地元から離れた街にある、総合病院。
 年季の入った白い建物を見上げてから、柳はその院内へと足を運んだ。
 割と大きな病院の内部はそれなりに人が多く静かで、病院特有の匂いが鼻を掠める。珍しい訳ではないが、見慣れていないせいか周囲が新鮮に見えた。
 受付で所在の確認を取ってから、彼は目的の病室へ向かった。
 廊下や階段を歩いて行くと待合室やすれ違う人々は緩やかで、見慣れた学校や街中での喧騒からは全く離れた別世界のようにも錯覚する。
 その裏で、急患が入れば慌ただしく走る看護師たちや命に関わる難病と戦う患者もいるのだから、病院とはまったく不思議な場所だと柳は思う。
 そんなことを考えながら着いたのは『幸村精市』と記された表札前。幸村のいる病室だ。
 控えめにしたノックに返ってきた静かな返事に、柳は扉を開けた。
「……久し振りだな、精市」
 声を掛けるとベッドに座り窓の外を眺めていた少年は驚いたように振り返って、微笑った。
「――柳…」
「どうだ?調子は」
 後ろ手でドアを閉めて、窓際のベッドにいる幸村へと歩み寄る。
「お陰様で順調だよ。暖房完備だから寒さには困らないし」
「そうか」
 いつものように笑みを浮かべて言う彼は、変わっていなかった。
 けれどそれは中身のことであって、表面的には少し細くなった気がする。
 柳は彼の容体を気にしながらも、それは悟らせないように傍のパイプ椅子に座った。
「珍しいね、君が一人で来るなんて……部活は?」 
「早退してきた。それとが来ただろう?」
「え?」
 尋ねながら顔を上げると、幸村は不思議そうな顔をしていた。
「……来ていないのか?」
「…少なくとも、僕は会っていないよ」
 少し寂しそうな答えに、柳は何も言わずただ息を吐いただけだった。




















 夕暮れも近い、院内の中庭にあるベンチで。
 制服姿のは何もせず、ただ座っているだけだった。
 広い敷地の中で、そこにいる人々も様々だった。入院患者とその家族らしき人達や車椅子で看護師に押され散策している人など。
 彼女はその光景を虚ろに眼に映してから視線を足元に落とした。
 何をしているんだろうと、自分でも可笑しくなる。
 吹いてきた風が冷たくて帰ろうかと思いかけた時、視界に見覚えのあるズボンと年季の入った運動靴が入ってきた。
「――こんな所にいたのか」
 顔を上げるより早く聞こえた声にが見上げると、そこには同じく制服姿の柳が立っていた。
「…風邪を引くぞ」
「蓮二……」
 恐らく捜してきてくれたのだろう。見下ろす彼に、はまた俯いた。
 普段よりも落ち込んでいるように見える彼女の前で佇む柳は何も言わない。
 尋ねる内容がないのではなく、言わないのだ。それもはよく判っている。
 やがて少し沈黙が堪えられなくなり、が口を開く。
「…………幸村は、元気そうだった?」
 我ながらおかしな質問だと、自分に呆れていた。
 これでは見舞いにきた筈なのに会っていないのが明白だ。……柳が自分を捜しにきた時点で判ってはいたが。
「…あぁ、体調はな。お前にも会いたがっていた」
「…………」
 彼は何の感情も含まずにそう言った。
 柳が言うのだからそれは気遣いではなく、事実なのだろう。
 そのお陰かは判らないが、先程まで張っていた気が緩んだような感覚には肩を落とした。
 焦点の合わない視線を落としたまま彼女は呟く。
「……どんな顔をして会えばイイのか、判らなくなった」
 最近は自然に出せるようになった明るい態度で会っても、自分の本当の姿を知っている幸村には気を遣っているように見えるだろうし。
 かと言って普段通りに愛想なく接するのも喜ばしいモノではない気がする。
 ――何より、自分にはどんな風に接すれば良いのか判らないでいた。
 黙り込むに、目の前の柳は普段と変わらない様子で口を開く。
「それは、アイツを傷付けたくないと思うからだろう」
 それはつまり、大切に思っているということだと柳の言葉に気付かされる。
 にとってそれは驚きべきことで、息を吐いた。
「……嫌だな…」
「何だ?」
 自嘲するような呟きに柳が訊くと、彼女は俯いていた顔を上げた。
 視線の先には遠くに沈んでいく、空から大地を染めていく夕陽。
 時を報せる太陽を眺めながらは無表情に、呟いた。
「――こんなに、変わってしまうなんて思わなかったわ」
 それは今日、彼女にとって心から思うことだった。
 確かに自分は周りがこれまで言われてきたように、変わったかもしれない。
 だがそれは表面的なモノであって、内面的な思考が変わっていくなんて思っていなかったし気づきたくはなかった。
 しかし気づいてしまった以上、胸の内のざわめきは拭えない。
 同じように夕陽を見ていた柳は暫らく黙っていたが、やがて呟いた。
「…この世に、変わらないモノなどない」
 いつものように淡々とした口調。
 けれどには判った。その声音は少し穏やかだ。
「時間は規則的に過ぎてゆくし、季節も同じように巡るが一つとして同じ風景はないだろう?」
 だから想いも変わっていくのだと、伝える柳に彼女はゆっくりと顔を上げた。
 夕焼けに照らされている彼の表情はいつも通りで、安堵と戸惑いを招く。
 そんなには気づかず、柳はもう遅いと帰る為に歩き出した。それに彼女が慌てて後を追いながら、柳の背中を見上げる。
 彼の言う通り、人は変わっていくモノなのかもしれない。
 感情が無ければただの人形で、自分達は生きる為に様々なことを想い、考えるのだ。
 ――喩え、失くした過去を置き去りにしたとしても。
 歩く速度の早い柳に追いつきながら、はふと思いついて横に並ぶ。
「……蓮二も、変わった?」
「あぁ…」
 少し控えめに訊くと、前を向いていた彼は少し振り向いて答える。
 そしてまた前を向いて真っ直ぐに、柳は続けた。
「俺が興味を持った女子はお前が初めてだ、
 その言葉が持つ意味たちを、彼女は考えることなく素直に嬉しかった。
 微笑う彼には気づかず少し歩みを緩めたも、小さく笑った。


 ――私も、他人で信頼出来たのは君が初めてだよ、蓮二。