なぜか、先輩を任せられて。
 幸村先輩と別れ、俺の肩を支えに歩く彼女と保健室へ向かった。
 その部屋の特質の所為か、保健室周辺に生徒はいなく、軽い音を立てるドアを開ける。
「失礼しまーす……」
 一応挨拶しながらドアを横へと開くけど、返事はなく室内も閑散としていた。
「れ?…誰もいねぇ」
「え、ホント?」
 室内に入り、周囲を見渡しても先生の姿はなくクスリの匂いが鼻につく。
 困ったと思いながら取り敢えず先輩を中央に置いてあるイスに座らせた。
 お礼を言ってくる先輩の足首を確認して、俺は首を傾げるしかなかった。
「えーっと…捻挫してるんスかね?」
「んー…どうだろ。ただどこかで打っただけかもしれないし」
 自分のことなのに他人事のように先輩も首を傾げた。
 ずっと痛いんじゃなくて、歩くと痛いならそれほど酷いモノじゃないと思う。まぁ、あんまり怪我を軽視するモンじゃないのは俺だって判ってるけど。
 先生がいないんじゃあ診断出来ないし、治療するにも俺にはどこに何があるのか判らないから勝手に棚とかは漁らない方がイイと思う。
 段々、考えるのが面倒臭くなった。別にイイだろう。俺の所為で怪我をした訳でもないし。
 けどほっといたことが幸村先輩にバレたら、それはそれで厄介だ。普段でもキツイ練習の更に倍をしなくちゃいけなくなるかもしれない。
「……さっきから百面相して、どうしたの?」
 俺の葛藤を、不思議そうに見上げてた先輩の問いに答えようとした時。
 室内の奥にあるベッドから知っている声がした。
「――何でこんなトコにおるんじゃ?お前ら」
 振り返ったベッドに座ってたのは、部活の先輩である二年の仁王先輩だった。
 驚く俺達に仁王先輩は楽しそうに笑っている。
「仁王こそ何してるのよ?…もしかして、サボり?」
「違うわ。眠かったから、少し休ませて貰ってただけ」
「それをサボりっていうのよ」
 先輩の質問に答えながら、仁王先輩はベッドから降りてこっちへと歩いてくる。
 そんな彼に先輩は呆れながらもどこか楽しそうだった。
 仁王先輩もよく彼女と一緒にいる内の一人だ。勿論、悔しいことにテニスも強い。
「お前らが一緒なんて珍しいな。怪我でもしたんか?――切原」
「お…俺じゃないっスよ!先輩が足を怪我したんス」
 明らかに馬鹿にしたような物言いに、俺は慌てて訂正した。
 すると先輩は意外そうな顔をしてしゃがみながら先輩の足首を見る。
「ドジだなー。腫れてるじゃねぇか、どうしたんや?」
「ちょっと階段から落ちちゃって…切原が受け止めてくれたんだけど、その時に――って足・掴まないでよっ」
 説明する先輩の足を浮かせるように掴む仁王先輩の頭を、先輩が押して離そうとするけどビクともしない。
 その間にも仁王先輩は足の赤く腫れてる所をマジマジと見ながら言った。
「……切原。そこら辺のタオル濡らして持ってきてくれ」
「え?何でっスか?」
「冷やすんだよ。一応、捻挫みたいだし」
 詳しいことは先生に訊いてみないと判んねぇけどな、という先輩に従って俺は室内に取り付けてある洗面台の近くに掛けてあったタオルを水で濡らす。
 水の流れを見ながら、仁王先輩がいるなら教室戻ってイイかな?と考えてたのを、背後からの声に遮られた。
「で、なして階段から落ちたんだ?」
「躓いちゃったみたいなんだよねー」
 仁王先輩の問いに訊かれた本人は、あははーと苦笑しながら答えた。
 余り笑って済むことじゃないと思うけどと思っていたのは、仁王先輩も同じようで声が硬質なモノに変わっていた。
「――本当に?」
 蛇口を締めて振り返ると、イスに座る先輩とその前にしゃがんでいる仁王先輩が真面目な面持ちで顔を見合わせていた。
 驚くというより少し圧倒されて立ち止まると、表情を顰める先輩が口を開いた。
「……どういう意味?」
「押されて、なんてコトじゃないんやな?」
 その言葉に、今度は俺が顔を顰めることになった。
「何スか?それ…」
「ま、コイツも敵が多いっちゅうコト」
「そうね。特に、女の子ってのは怖いから」
「お前が言うなや」
「アラ?その事で心配してくれたんじゃないの?」
 話の内容からいって、俺にも想像は出来たけど二人は核心には触れなかった。
 先輩はまた他人のことのように言いながら、息を吐いて座ってたイスの背凭れに疲れたように背中を預ける。
 その時の先輩はいつもの明るい笑顔じゃなくて、試合で見せるような冷めた表情。
 俺といる時には見せなかったのに、仁王先輩がいるからなのか。
 忘れかけてた濡れタオルを受け取った先輩が、腫れた先輩の足に宛がいながら呟く。
「違うならイイけど。……でも、今日の部活はムリだな」
「えっ嫌だよ」
 大人の顔だった先輩は、仁王先輩の言葉で一転していつもの表情に変わった。
 部活に出れないことがよっぽど嫌なのか、不満そうだった。それを見て仁王先輩が呆れたように息を吐いて顔を上げる。
「仕方ないやろ。今日無理して怪我を長引かせるか、二・三日我慢して直るのと、どっちがイイんだ?」
「うぅ……判ったわよ」
 親に窘められる子供のように、先輩は顔を逸らして頷く。それも俺には少し意外だった。
 判ってはいたことだけど、先輩は本当にテニスが好きなんだと思う。
 普通、年頃の女子で遊びより部活という人は珍しいし何よりテニスが好きだから、先輩はあんなに強いんだと思う。
 じゃなきゃ、立海で最強と言われている幸村先輩や真田先輩たちと互角に勝負出来るハズがない。

 俺もいつか…――

 話している先輩達を眺めながら、無意識に拳を握り締めていた時。
 背を向けていた扉が開く音がした。
「――あ、まだいたね」
 振り返ると室内に入ってきたのは、さっき別れた幸村先輩と真田先輩に柳先輩だった。
 部活以外で見ることのない三人に俺が呆気に取られてる横で、慣れ切っているらしい先輩と仁王先輩は挨拶を交わす。
「幸村と蓮二はともかく、何で真田まで来てるのよ…」
「どういう意味だ?」
「三人揃って、どうしたんだ?の見舞い?」
「戻る時に二人と会ってね。様子を見に来たんだよ」
「余計なことを…」
 にこやかな幸村先輩に先輩は不満そうだった。
 確かに病気でもないのに揃って見舞いも大袈裟だし、きっと先輩なりに心配させたくないのだろうと思ってたんだけど。
「まったくお前は不注意過ぎる。もし骨折でもしたらどうするんだ、足を見せてみ…」
「――鬱陶しい」
 違ったみたいだ。
 異様に心配して近付いてくる真田先輩に、先輩は冷めた目と口調で先輩の顔を押し返した。気持ちはよく判る。
 見てはいけないモノを見た気分で呆けてると、急に後ろから仁王先輩に引っ張られた。
「柳達が来たなら、俺ら戻るわ」
「えっちょ…」
 反論する間もなく、俺はそのまま引き摺られるように出口へと向かわされる。
「あ、仁王アリガトね」
「あぁ、またな
「切原も、助かったよ」
 振り返ると、先輩は普段見せるような柔らかい表情で微笑ってた。
 その年相応の笑顔にどこかで内心ホッとしながら、室内を出て行こうとした時には幸村先輩たちの影で先輩は隠れた。
 それを横目で見ながら、俺は思わず顔を顰める。

 また、あの三人が立ち塞がるのか――