夕刻も去り、すっかりと陽の落ちた頃。
 辺りも暗くなったというのに人足は絶えることなく増しているようだった。
 目的は多分みんな同じで、この後の花火を待ってるんだろう。
 そんな人の波を眺めながら、並んだ屋台達の開いた場所に私は蓮二と休んでいた。
 真田と幸村はゴミ捨てのついでに花火がよく見える所を捜しに行ってる。同じ留守番の丸井は、歩き回って疲れてる筈なのに近くの射的屋で景品を狙っていた。
「…疲れたか?」
 流石に浴衣じゃ地面に坐れないから塀に凭れる私に、蓮二は前を向いたまま訊いてきた。
 振り向いても彼は相変わらず前方を眺めているだけ。
「大丈夫よ。楽しいから、思ったほど疲れてないわ」
「だが、着慣れてないから歩き難かっただろう」
「今更?……慣れたから平気よ」
 意外なことを訊かれて私は皮肉げに笑って答えた。
「そうか…――それにしても、今日は驚いたな」
「?何が?」
 どこか愉しそうな蓮二に首を傾げて訊き返すと、彼は振り向いて。
「その浴衣だ。本当に着るとはな…断ると思った」
 今度は蓮二が意外だとばかりに言うから、私は顔を引き攣らせて顔を逸らす。
「よく言うわよ。蓮二だって知ってたんでしょう、柳生の悪巧み」
「あぁ、近くで聞いていたからな」
 サラっと言うのが余計に憎たらしく思う。
 私は振り向いて、思いっきり彼を睨んで刺々しく吐き捨てる。
「判ってたなら止めて欲しかったわ。私が嫌がるのも判ってたでしょう」
「それでは面白くないだろう」
 幸村と同じようなことを悪びれもなく、でも表情や態度は普段通りで淡々としてるから本当に何を考えてるのか判らない。
 私が怒るべきか考えてると、蓮二は珍しく笑いを零して振り向いた。
「まぁ、楽しかったならそれで良いだろう。その浴衣も似合っている」
 それは屋台や街灯の淡い明かりの中で、表情は読み難かったけれど。
 ほんの少しだけ、その表情は優しく見えた。
「蓮二も……」
「何だ?」
 思わず呟いて視線を落とすと、聞き取れなかった蓮二が訊き返す。
 私は笑みを零してから顔を上げて振り向いた。
 表情には、悪戯な微笑みを浮かべて。
「蓮二も楽しかったんでしょう?いつもより饒舌だもの」
 表情や思考は読めなくても、多少の変化や癖は判るようになってきた。
 無口な彼がよく喋るのは知っている限り、テニスの話と――私と二人きりになる時だけだ。
 私の言葉に驚いたのか、少し間を置いて蓮二も微笑う。
「――あぁ、そうかもな」
 彼の答えに満たされたような気分でいると、思い出したように私達を呼ぶ声が聞こえた。
 振り向くと今まで射的をしていた丸井が、両手に景品を持って駆け寄ってきた。
「悪ぃ、夢中になちまって。楽しくってさー」
「夢中だったもんね。でもよくそんなに取ったね」
 満足そうに話す彼に苦笑しながら感心すると、丸井は自慢するように両手を広げる。
「スゲーだろ?天才だからな」
 誇らしげに言ってるけど、確かやってた時間を考えればかなりの回数な筈。
 男の子というのは見栄っ張りだな、とよく思う。
 可笑しくて笑いを堪えてる横で、丸井は持ちきれない景品を無理やり鞄の中に押し込んでる。
 そして最後の残った可愛らしいぬいぐるみを私に向けて言った。
「コレ、にやるよ」
 受け取ったのはクマのぬいぐるみだった。置き易いように足が横に伸びている。
「折角・祭りに来たんだし、残るモンがあった方がイイだろ?」
 無邪気とも言える笑顔を向ける丸井に、私は驚いて苦笑した。
「有り難く貰っとくわ」
「おう」
 ニカっと丸井が笑った後、唐突に夜空に光るモノが打ち上がった。

  ―――ドォォン…

 それは夜空に広がる、鮮やかな花びらで見上げた人々が歓声を上げる。
「アレっ?もう上がってんの?」
 驚いた丸井が振り返って焦りを見せる。
 確か、幸村の話じゃ予定時刻はもう少し後だったのに変更したのかもしれない。
「ここでは少し見難いな」
「アイツらどこまで行ってんだよっ?」
 蓮二が言うように、屋台や人々がひしめき合ってるここでは花火が見え難かった。
 それに折角花火がよく見える所を探しに行った幸村や真田も、いなければ一緒に来た意味がない。
 見上げる花火は綺麗なんだけど困ったなー、と考えていると急に腕を引っ張られる。
「捜しに行こうぜ!」
「えっちょ…!」
 慌てる丸井が私を掴んで走り出す。蓮二が呼び止めるより早かった。
 けれどこんな人込みの中を走れる訳もなく、人を掻き分ける間に丸井の手から放れてしまった。
 進もうにも周りは花火に見入って立ち止まってる人もいれば、よく見える所へと移動してる人達で道が出来ない。
「ぃたっ……」
 前がよく見えなくて、人とブツかり思わずよろめいてしまった。
 何とか脇道に逸れてから立ち止まって態勢を整え、周りを見渡す。
 ――そこには、誰もいなかった。
 人は溢れ返るくらいにいる。一体どこからこんなに集るのかと疑問に思うほどに。
 ただ、一緒にいた筈の丸井や蓮二の姿がどこにもなかった。
「…あれ?二人、は……?」
 呟きは雑踏にかき消され、胸に言い知れない喪失感が襲う。
 それを押し殺すように目を閉じて、『大丈夫』だと自分に言い聞かせる。
 今は一人とはいえ、皆と来たのだから捜せば良いし、知らない土地じゃないから家にだって帰れる。
 確認を取るように言い聞かせながらゆっくりと歩き出す。
 「…っ皆、ドコ……蓮――」

 ―――ドォォンッ

 その時、頭上に高く打ち上がったのは、音と共に広がる花火。
 誰もが立ち止まって見上げ、私も空を振り仰いだ。
 そして視界にとび込んできた色彩に息を飲む。
 夜空に広がる、大きな赤い華――
 燃え上がるようなそれは、あるモノを彷彿させ、私の中の記憶を蘇らせた。

 ――幼い日の、世界を奪った炎。

 無意識に呼吸を止めていた私は、大きく息を吐いて胸を掴むように押さえる。
 掌へと伝わる早鐘のような鼓動が耳の奥で鳴っているようだった。
 眩暈のような感覚に、前へと倒れそうになった、その時。

「――!」

 耳に届いたのは、蓮二の声だった。
 顔を上げれば人込みを掻き分けて、こちらへ向かってくる姿。
 それを見て安堵する反面、凄く不思議だった。

 何で、なんだろう……。

 周りは人で溢れているのに、埋め尽くしているのに。
 花火の音とか話し声ともつかない雑音ばかりなのに。

 なぜか、その時。

 蓮二の声が…彼が私を呼ぶ声だけが、鮮明に聴えた――。

「捜したぞ。逸れるなとあれ程…」
 走って来たのか、目の前の蓮二は呆れるように呼吸を整える。
 安堵してくれてる彼を見上げていた顔を俯かせて、私は蓮二の袖を掴んだ。
「…どうした?」
 私の様子に気づいたのか、蓮二が尋ねるけど俯いたまま掴んだ袖を握り締める。
 ……情けない。自分はこんなに弱かっただろうか。
 人込みは慣れた筈だった。知り合いも増えたから、取り残されることはないだろうと思えてきたのに。
 奪われたモノを思い出すだけで、こんなにも弱ってしまうなんて。
 自分が情けなくて嫌になりそうだった時、不意に袖を掴んでいた手を蓮二が握っていた。
 流石におかしく思われると思い呟く。
「何でも、無い。ちょっと人酔い…」
 自分でも判るほど震えた声に蓮二は黙ったままだった。
 けれど今もまだ打ち上がり続ける花火を見上げて、言った。
「――あぁ、"赤"か…」
 それは何気ない言葉だったのかもしれない。
 でも余りに的確で、核心を突くような言葉だった。
 驚いた私がゆっくり顔を上げると、彼は意外そうな表情をする。
「なんだ、てっきり泣いているのかと思った」
 残念がっているのか、らしくない台詞に少し苦笑して私はまた俯いた。
「……まさか、私が泣く訳ないでしょ」
「そうか――…強がるのは良いが、たまには力を抜け」
「何、ソレ…」
「気にするな、戯言だ」
「そっか…」
 声だけじゃ表情を読み取るのは出来なかったけど、きっと蓮二はいつも通りだと思う。
 普段と変わらないから、泣きそうで有り難うは言えなかった。





 その後、何とか連絡が取れた真田達と合流出来たんだけど。
 なぜか掴んだまま放さない蓮二と手を繋いでたら、逸れた丸井が文句を言ってきた。
「あー!柳ばっかずりぃーよ俺も繋ぐ!」
 まず無理やり引っ張って逸れさせたことへの謝罪はないのか、と思いながら訳の判らない丸井とも手を繋ぐことになり。
 幸村達が見つけたという花火がよく見える絶好の場所で、僅かだけど一緒に眺めることが出来た。
 それは皆といるお陰なのか、それとももっと別の何かなのか。

 その時見た花火は恐怖を煽るモノではなく。

 とても、綺麗な花火だった。





 †END†





書下ろし 08/06/05