私は今、賑やかな祭り会場の中を、慣れない履物でよたよたと歩いていた。
 踝近くまであるこの着物も歩き難い。





 あの後、柳生に連れられたのはなぜ彼の家だった。
 そこで待っていたのは、なぜか彼の姉二人。
 いつの間に連絡をしていたのか、柳生のロクでもない案によって楽しそうな姉達に、私は浴衣に着替えさせられたのだ。
 脅迫紛いに無理やり着せられたのは、水色を基調とした爽やかな着物。
 そして髪や顔までも弄られたお陰でほんのり化粧と、上げられた髪には装飾が付いてるから少し重い。

 私……着せ替え人形じゃないんだけどな…。

 思い出しただけで、私は疲れで脱力した。
 しかも柳生になぜ浴衣なのか訊くと、『祭りに浴衣は定番じゃありませんか』なんて平然と返された。

 お祭りだからという理屈はまぁ何となく判るけど、それで私に着せる理由が判んないって!

 内心で文句を垂れていると、いつもより足取りの遅い私を心配して前を歩く幸村が振り返る。
「――大丈夫?
「うん、まぁね」
 私は笑顔で答えながら、少し早足で皆に追いついて横に並ぶ。
 すると幸村がこれ以上ないくらいに微笑んで言った。
「似合ってるよ、その浴衣。可愛いね」
 口説くような台詞に、私は嬉し恥ずかしもせずに無言の視線を彼へ向けた。
 普通、男子中学生が女子に向かって惜しげもなく可愛いなんて言えるものじゃないけど、幸村なら納得がいく。
 私が不満に思ってるのは彼(と真田)が、柳生の提案に賛同したことだ。
 立案者は居ないものの、あからさまに幸村が楽しそうにしているのが気に食わない。
「…何がそんなに楽しんだか」
「楽しくないの?」
 お祭り、という幸村にそうじゃないと首を振って長い袖を広げながら吐き捨てる。
「私の浴衣姿なんて、面白くもないでしょ」
 私だって浴衣が嫌いな訳じゃない。日本人だから和風なモノは好きだし、何より女性に着物というのはやはり華やかで見ていて気分の良いモノ。
 ……けれど、自分が着て見られる側になると話は別。ただでさえ目立つのに、通行人の視線が痛い。
「やだなぁ。楽しいに決まってるよ」

 軽く変態染みた台詞になってますが?幸村君。

「やっぱり女の子の浴衣姿は良いね、可愛いし。男なら見入っちゃうよ」
「――おーい!リンゴ飴食おうぜっ

 丸井は一直線に食い気へ走ってますね。

「真田だっての浴衣姿、可愛いよね?」
「あっ?…………あー…そう、だな…」

 慣れてないとはいえ困惑し過ぎよ真田。

 全く統一性のない彼らに、私は疲れたように溜め息をついた。
 まぁ、一緒にいるのは楽しいから構わないけれど。
 そんな私の心境を知ってか否か、見守っていた蓮二が横に並んで呟く。
「折角の祭りだ。楽しまないでどうする」
「そー…だよね」
「人が多いからな、迷子になるなよ」
「ならないわよ」
 真田の余計過ぎる心配に、私は冷静に即答した。
「まぁでも、逸れないように気をつけないとね」
 不穏な空気を纏う私を遮るように、幸村が苦笑しながらフォローに回る。
 確かに人通りが多いから逸れることはあるかもしれないけど、小さい子供じゃないんだから迷うことはないし、逸れたらさっさと帰るかも。
 何とか合流するという考えが無い私の思考を読んだのか、隣りの幸村が肩に手を置いて笑顔で告げた。
「大丈夫。その時は僕達がちゃんと見つけてあげるから」
「何で逸れる前提なのかが判らないけど、取り敢えずあんまり歩き回らないようにするわ」
「それじゃ祭りを楽しめないだろー」
 寧ろ一番はしゃいでる丸井の方が逸れそうなんだけど、と思いながら私は周りを見渡した。
 地元の祭りとはいえ人は集まるもので、夕方のこの時間は老若男女で溢れていた。
 友人達で来ている者や恋人同士に家族連れと、様々な人達がすれ違っていくのを見て、少し俯き加減に呟いた。
「……ホントに、多いな」
「…人込みは苦手?」
 私の呟きが聞こえたのか、気遣うように幸村が控えめに訊いてくる。
 力の無い声だったのは自分でも自覚していたから、聞かれてたことに驚いて顔を上げる。それから少し考えて、答えた。
「苦手、かな…――取り残される気がするから」
 自嘲混じりな言葉に、皆は不思議そうに黙っていた。
 人の波や雑踏が煩わしい訳じゃない。ただ全く知らない赤の他人に囲まれると、まるで世界から置いて行かれるような錯覚に陥ることがある。
 ここに、私の居場所なんてどこにも無いのだと。
 他人には判り難い感覚かもしれない。自分でも、言葉じゃよく言い表せられない。

 ――あの、腹腔から侵食されるような感情は。
 
 黙っているのを落ち込んでいると思ったのか、いち早く声を上げたのは丸井だった。
「だったら、こうすればはぐれないんじゃね?」
「わあっ」
 突然引っ張れるように腕を組まれて、止める間もなく彼は歩いていく。
「ホラ、あそこのヨーヨー釣りする?」
「しないわよっ――て、ちょ…そんなに早く歩かないでっ」
 ただでさえ歩き難いのに、腕を組まれたまま引っ張られては足が縺れてしまいそうだ。
 止めようと顔を上げれば丸井の肩が不意に目に入った。
 身長もそうだけど、出会った頃に比べれば随分大きくなったと思う。私だって背は伸びた筈なのに。
 狡いなぁ、と思ってたら案の定よろめいてしまい、気付いた丸井が空いてる腕の方で支えようとしてくれた。
「うおっ大丈夫か?
「う、ん…平気……」
 体勢を整えながら答えると、なぜか丸井は不思議そうに私を見ていた。
「な…何?」
 怪訝に首を傾げて訊けば彼は生返事をしながら、意外そうに呟く。
「……その格好だと、いつものと違うな。女の子ってカンジで…」
 今更に私の浴衣姿を眺めながら丸井は何か考えてるようだった。

 ……ちょっと、そんなに見られると居心地悪いんですけど…。

 数十秒経って、丸井はまた私の腕を組んで幸村達へ振り返って声を張る。
「こーすると何かカップルみたいじゃね!?」

 何・勝手なこと言ってんの。

 また思いっきり頭を抑えて放してやろうとして、私の手は空を切った。
 振り返ると、いつの間にか真田が私の腕を掴んで丸井から引き剥がしていた。少し痛い。
「何を阿呆な事を言っている。勝手に先へ進むな!」
 まるで引率の教師みたいなことを言う真田に、丸井が文句を言っている。
 真田も言い返してるけど、私は聞き流しながら隣りの彼を見てその腕を掴んだ。

 丸井より太いなーやっぱり。

「なっ…何だ突然?」
 私の行動に動揺してる真田を見て、何となく悪戯心が沸き上がった。
 少し考えて、彼の腕にしがみつく。
「なっっ何をする!!?」
 するとこれ以上ないほど慌てふためいて、真田は私の腕を振り払って距離を取る。

 あ、面白い。

 普段では有り得ないくらい取り乱す彼が余りに面白くて、私はまたからかおうとする。
 けれど、今度は幸村に止められた。
「楽しいのは判るけど、その辺にしておきなよ。浴衣が崩れちゃうよ。それとも僕にもしてくれるのかな?」
「いやぁ、まっさかー…」
 肩に手を置いてにっこりと諭す彼に、振り向く私は引きつった笑顔で答える。何だか後ろに背負ってる空気が怖い。それは何?脅してるのかな。
「…何故、俺の後ろに隠れる?」
「いや、なんとなく」
 気付くと逃げるように蓮二の後ろに隠れていた。ここが一番安全な気がする。
 幸村はまだ笑顔のままだし、真田は動揺を隠しきれてないまま何やら文句言ってる丸井に怒鳴ってるし、お陰で周りの注目を集めてるし。
 でも考えてみればいつもの彼らで、これに仁王がいたらマイペースに別のことしてるか柳生は無干渉だろうし……あ、桑原は止めに入ってくれそうだ。
 普段の彼らを容易に想像出来るところ、私も相当慣らされたものだと苦笑する。
 それを見てたのかは判らないけど、目の前の蓮二が歩き出して真田達に声を掛ける。
「…いつまで遊んでいる。屋台を廻らなくて良いのか?」
「そうだったっ真田の所為で忘れてた!」
「お前が立ち止まったんだろう!コラっ走るな!」
 目当ての屋台でもあるのか、楽しそうに走り出す丸井を真田も後を追う。
 幸村も仕方ないとばかりに歩き出して、後を追う蓮二が気づいたように振り返る。
「――ほら、行くぞ」
 掛けられた言葉に、私は目を丸くして息を吐いた。
 少し強引な処は、出会った時から変わっていないと思いながら歩き出す。