保健室にいた僕達は、落ち着いたを残し。
 戻ってきた先生に邪魔だと、追い出されるように室内を出た。

 暫く五人で立ち尽くしていたけれど、やがて歩き出したのは仁王。
「俺ら先に戻るわ。行くぞ、丸井」
「え…ちょっ、待てよ」
 このまま居ても仕方ないと離れる彼に呼ばれ、丸井が後を追う。その後ろ姿へ僕は呼び掛けた。
「じゃあ、悪いけど先生に連絡しといてよ」
 振り返らずに手を振って応えたのは仁王で、二人を見送りながら呟く。
「――驚いたな」
「…何がだ?」
 自分に対してだと判ったらしい真田が訊き返すのに、僕は振り向いて微笑った。
「好きにしろなんて……きっと君なら、止めると思ってたから」
「ああでも言わなければ、アイツは聞かないだろ」
 楽しそうに言うと、彼は呆れたようにチラリと横目で柳を見た。
 つられて見れば彼はただ、静かに目を閉じて笑っているようだった。
「…お前達も先に戻っていてくれ」
 言いながら柳は振り返って保健室のドアに手を掛ける。
「君は?」
「先生に、の容体を聞いておくだけだ」
 そう告げて室内へ消えて行った。
 扉が閉まる音を聞き届けてから、真田は前を向いて殊更に言った。
「……絶対に止める。アイツより先にな」
 歩き出した彼を、僕は黙って見つめて後を追った。




















 騒動があった、翌日の朝。
 朝練習が早くに終わり、教室へ着いた僕はの姿がないことに疑問を抱く。
 集合時には見かけていたから、昨日の影響で休みではないと知っていたから捜しに出た。
 もしかして本当は体調が治っていなく保健室に行ったのかとも思ったけど、その人物は意外にすぐ見つかった。
 廊下の前方に、教室前で立ち話をしている男女がいた。
 片方は自分のクラスに背を向けている仁王と、向かい合っているのはだ。
 近付いていくと最初に仁王が気付き、彼の視線でが振り向く。
 そのタイミングで僕は二人に話しかけた。
「――こんな所で何の話?デートの約束?」
「おう。だから邪魔すんな」
「二人して下らないコト言わないで」
 仁王が悪乗りしたのに、隣りののツッコミは容赦なかった。怒るというより呆れ気味だ。
 けれど余り機嫌は良くないようだから、挨拶はこれ位にしておこう。
「それで?何で二人が一緒なの?」
「俺が捕まえた」
 彼の話によると、朝の爽やかな陽射しとは裏腹に、路頭に迷ったような沈んだ表情のが廊下を歩いていたものだから呼び止めて話していたらしい。
 それを聞いて彼女に何か思い悩むことでもあったのかと訊こうとして、不満を訴えたのはだった。
「だ…誰が沈んでたのよ?普通に歩いてたわ」
「いーや。ありゃ暗い顔だったぞ」
「暗くないわよ」
「でも実際悩んでるんだろ」
 珍しく感情を露にする彼女に、仁王は意地悪く言い返す。
 もそれを隠していたのだろうが、彼が呼び止めて断言するくらいだ。僕達のような付き合いの長い者には判る程度に落ち込んでいるのだろう。
 仁王に言い返されて、黙り込むに僕は戸惑った。
 普段の彼女なら深く突っ込まれても誤魔化していた筈だ。そんなに仁王は溜め息をついて、組んでいた腕を解いて向き直る。
「喧嘩した訳でもねぇし、どっちが悪い訳でもねぇんだ。変なプライドも無いんじゃから平気だろ――例え」
 そこで切ると、は顔を上げてそれを確かめるように仁王は続けた。
「柳が望んでなくてもな」
 出てきた名前に僕が振り向くと、彼女はまた俯く。
 黒髪が掛かる小さな肩を見つめて、話の内容を仁王に確認した。
「…柳のことで?」
「あぁ、アイツにどんな顔して会えば良いか判らんらしい」
 あっさりと説明した彼に、今度は頬を赤らめては顔を上げる。
「なっ……そこは言う必要は無いでしょ!」
「事実だろう。大体、あの柳にそんなコト気にしてどうする?謝りたいならさっさと言ってくればいい」
「だって……」
 そこまで言って、彼女は再び口を噤ぐ。
 こんなに悩んでいるも珍しいと、顔を見合わせた仁王は苦笑していた。
 他の友人や知り合いとなら気にしないのだろうけど、柳だからなのか。迷うような彼女に疑問は募る。
「昨日は、一緒に帰ったんじゃないの?」
 確かあの後、部活には戻らず柳が彼女を家まで送った筈だ。
「帰ったけど……話さなかったし…」
「――怖かったか」
 続けた仁王の言葉に、は驚いたように固まって、やがて頷いた。
 そこでやっと『そうか』と、僕は気付く。
 昨日の上級生との衝突で非は向こうにあったとはいえ、自分を庇って怪我を負った柳に対して彼女の罪悪感は根深い筈だ。下手をすれば命に関わっていたかもしれない。
 他人からすればそれは大袈裟かもしれないし、柳も気にしていないのも判っているだろう。
 けれど、昨日の保健室でから聞いた話を考えれば納得がいく気がした。
 彼女は死に対して敏感で、人一倍怖いんだと思う。
 ……いや、それ以前に彼女にとって柳は特別な位置にいる。それは昨日の騒動で僕達に確信を与えた。
 があれ程憤慨して誰かに縋る姿など、見たことが無かったからだ。
 だからあの時、間近で傷付く柳を見ては恐怖を感じたんだと。
 仁王が指す言葉で、守ることを知らない彼女が柳にどう接すれば良いのか判らないのだろうと理解する。
 それが判っていて仁王は彼女を呼び止めたのだろう。見ると彼はやはり苦笑しながら溜め息を吐いて、の頭に手を置く。
「ま、悩むのは良いコトだ」
「…子供扱いしないで」
「同じコトだろ――ホラ、お迎えだ」
 睨みながら文句を言う彼女に、手を退けないまま仁王は軽く言って振り向いた。
 その先を追って僕とが振り向いた視線の先にいたのは、柳だった。
 一番驚いたのはのようで、身体を強張らせていたのが後ろ姿からでも判った。それを知ってか否か、真っ直ぐ歩いてきた柳は誰ともなく尋ねた。
「何をしている。もうすぐ本鈴が鳴るが…」
 授業が始まると報せる彼に、何を思ってか微笑った仁王はの手を取って柳に差し出した。
「姫を頼んだぜ、柳」
 台詞めいた言葉に、誰もが驚いて動きを止める。
 仁王の言葉にも驚いたし、何より僕にはその行動が不思議だった。けれど彼女の方が驚いたようで、手を掴む仁王に振り向く。
「何フザけたことを…」
「――あぁ、判った」
「って蓮二まで乗らないでよ、ちょ」
 文句を言うには構わず、楽しそうな仁王から彼女を受け取った柳はそのまま手を引いて教室へ戻った。
 その後ろ姿を見て、軽く息を吐いた仁王は自分の教室へ戻ろうとして、僕はそれを引き止める。
「……随分、あっさりと明け渡すんだね」
 普段に比べて抑揚のない声で呟くと、彼は立ち止まって振り返る。
「どの道、今回のは本人でなけりゃ解決しないだろ?」
「まぁ、そうだけど」
 結論を言われてはそう返すしかないけど、彼も納得はしていないと思う。
 仁王だって昨日の一件で思い知らされた筈だ。言い表せない、と柳の繋がりを。
 それを断ち切りたい訳ではない。それでも隠していた彼女の悩みを、的確に理解出来ている仁王だ。求めているモノも判っているのだろう。
 納得のいかない顔をしていたのだろう。僕を見て肩を竦めた彼は踵を返す。
「別に俺は柳になりたい訳じゃねぇし。俺等に出来るコトつったら…」
 仁王は教室に入ろうとしていた足を一度止めて、頭だけで振り返って言った。
「話を聞いてやるくらいだ」
「……確かに」
 少し驚いた後、眼を伏せて僕は微笑った。
 それでも、彼女の傍にいたいのは思うのは変わらないのだと。