Act.4


 丸井の報せを聞いて柳達が向かったのはテニス部のコート。
 そこではと、男子部の一年部員が試合をしていた。










 ――酷く、眩暈がしていた。

 は切原という少年の挑戦を受け、それなりに楽しんでいた。
 だがそれも始めの内だけで、次第にいつもより身体が怠くなり疲れ始める。
 少年の方も、一年にしてはなかなかの腕前だが、彼女には及ばない。
 勝敗ははっきりしていたが、彼の粘り強さで試合は長引いていた。それが返っての体力を奪う。
「…はぁっはぁ……はっ…」
 呼吸がやけに荒い。それは切原も同じだが、一年相手に苦戦しているの異変に気付いたのだろう。
 いつの間にか集まっていたギャラリー達が、様子のおかしい彼女にざわめき始める。
「…まだやるんスか?先輩……っ息、上がってますよ」
 そんなことにはお構いなく、少年は生意気にも挑発してくる。は愉しそうに口の端に弧を描いた。
「……そっちこそ」
 見慣れた筈の景色が歪む。
 既に少年の姿でさえ歪み始めているにも関わらず、執念なのかはサービスを始める。
 ボールを頭上高く投げた時、完全に空が揺いだ。
 の身体がゆっくりと、後ろへ倒れていく。
「――っ!」
 周囲が騒ぐ中、叫びながらネットを飛び越えて駆け寄ったのは柳。
「大丈夫か?…」
 ゆっくりと抱き起こしながら呼びかけると、は微かに眼を開いた。
 だが彼の顔は太陽の逆光で暗く、彼女にはよく見えなかった。
 その中で思い出したのは今朝みた夢。重なる、幼い頃の景色。
 重たい腕を持ち上げ、空へと伸ばしては呟いた。

 それはもう、随分口にしていない言葉。
 もう二度と、呼ぶことの出来ない名前。




 「 真斗




















 目を開けると、そこには見慣れない真っ白な天井が見えた。
 保健室だと判ったのは室内に漂う特有の匂いから。目覚めきっていない頭を動かすと、視界にいつもの無表情のような柳が映る。
「……蓮二、私…」
 訊こうとして、は経過を思い出して状況を理解した。
 彼女は体調不良のまま、切原という一年部員の挑戦を受けて試合中に倒れ、柳に保健室へ運ばれベッドに寝ていた。
 情けないことだと思いながらベッドから起き上がると、室内には柳だけでなく幸村に真田、仁王と丸井までがいた。
「……何をやっているんだ、お前は」
 いつものように怒鳴られるかと思ったが、真田は腕を組んだまま壁に凭れて静かに咎めた。
 保健室という場所に配慮しているのか、それともに気を遣っているのか。彼女は両方有り得るなと思いながら、前髪を掻き上げて吐き捨てる。
「仕方ないじゃない、イラついていたから」
 まるで拗ねるように視線を逸らした先に、柳を見て動きを止めた。彼の頭部を見て彼女は俯く。
 そしてゆっくりと、彼へ視線だけを向けた。
「…………傷、大丈夫なの…?」
 普段に比べて聞き取れない程の声音に、柳は黙っていた。
 暫くして、顔を上げないに声を落とすようにして彼は呟く。
「――…"マナト"」
 紡がれた言葉に、は目が冴えたように驚いて勢いよく顔を上げた。
「その名前…どうして……っ?」
「お前が気を失う前に、呟いていた」
 信じられないモノを見るかのような表情に、柳は動揺もせず真っ直ぐに彼女を見つめていた。
 その視線に耐え切れなかったという訳ではなかったが、は視線をまた下へと向けた。
 動揺しているのが真田達にも伝わったのだろう、黙り込むに彼らも沈黙した。遠くで練習に励む、部活生の掛け声が聞こえる。
 暫く黙っていたは、俯いたまま小さく呟いた。
「――…弟よ」
 覇気のない声音に、真田達がへ視線を向けると彼女は顔を上げ、とても虚ろな表情をしていた。
「マナ……真斗は、私の弟」
 どこか懐かしむように言うと、真田が不思議そうに訊く。
「お前、弟がいるのか?」
「――いたよ」
 彼の質問に、まるで訂正するように微笑んでは言った。
 出会ってから一年と経って親しくなったとはいえ、彼女が自分のことを話すことは殆どなかった。それは家族のことも含め、真田達に弟の存在を話してはいない。
 そして、頭の良い彼らはの言い回しに気付き、空気を強張らせていた。
「……死んでるのよ、昔――…家の火事でね」
 彼女に自覚はなかったが、その声音はまるで消えそうだった。
 自身、この話をするのは初めてだからどうすればいいのか判らなかった。……そもそも、どうして話す気になどなったのか。
 不意に顔を上げると、柳と目が合った。
 彼は、ただ静かに見ているだけだった。幸村達も見守るように強制はしない。
 ――いつからだろう。そんな彼らといるのが、心地良くなっていたのは。
 小さな溜め息をついては呟いた。
「昔話を、してあげましょうか」
 誰とも目を合わさないように、淡々と彼女は話し始めた。