Act.3


 校舎を後にして、が向かっていたのは校庭にあるテニスコート。
 少し、足取りの鈍い彼女の後ろを歩くのは柳生。
 全く振り返らないの様子を窺おうと、隣りに追いつく。
「機嫌、悪そうですね」
 さり気ないつもりで並んだまま問う柳生に、彼女はそこで振り向いた。
「……確かに良くはないわ。けど、君に対して、じゃないから安心して」
「そうですか…」
 平坦な声音に、柳生の返事は苦笑に似ていた。無理もないと頭の片隅で思う。
 先程の上級生達との衝突後、負傷した柳を保健室へ連れて行こうとした幸村達はが来ることを止めた。
 彼らからすればこれ以上、心配させたくなかったのかもしれない。
 それでなくともを庇って怪我をしたのだ。いつになく不安そうな表情の彼女に、柳が宥めさせたが納得している筈がない。
 そして彼女が気を変えないよう、部活へ向かわせる役に柳生が指名された。
 達がテニス部のコート手前まで来ると、二人へ駆けてきたのは丸井だった。
「オーイっー柳生ー!」
 手を振りながらこちらへ来る彼に、二人は立ち止まる。
「…2人が一緒なんて珍しいな」
「そうですか?」
「それで、何か用なの?」
 少し息を上げて不思議そうに言う丸井に、柳生は疑問で返しは突き放したような質問で返した。
 それですぐに彼女の様子に気付いたのだろう、丸井が驚いて一歩下がる。
「何か…機嫌悪くね?」
「……そんなこと無いわよ」

 ぜってー嘘だ。

 そんな丸井の呟きが、柳生には聞こえたようだった。
「それで、どうしたんです?」
 空気を変える為、柳生が改めて問うと思い出したような丸井が振り向いた。
「そうだった。あのさ…」
「――なぁ」
 言い掛けた丸井を遮ったのは、少し高い男の子の声だった。
 不思議に思って三人が振り返ると、そこに立っていたのは体操服姿の一年生。
「…アンタが、 ?」
 癖のある黒髪の少年は、生意気そうな表情で話しかけてきた。正確にはにだが。
「……君は?」
「切原赤也」
「私に何か用?」
 珍しく笑顔を浮かべぬまま問う彼女に驚く丸井と柳生に、本人は気付いていない。寧ろは、前しか見えていなかった。
 そして黒髪の少年はどこか楽しそうに問う。
「アンタなんだろ?女子テニス部で一番強いってのは」
「…そうだと、思うけど」
「だったら俺とテニスで勝負しろ!」
 先輩に対して礼儀もなく挑発するような彼を、は値踏みするかのように眺めた。
 これまで自分に勝負を挑んでくる者は確かにいたが、それは稀だ。
 大抵が女子か他校生といったところ。それを彼は噂を聞き付けてやってきた。……まだ、入部したての一年生坊主が。
 そこまで考えて、は不敵に微笑んだ。
「……良いわよ」
「お前…何言ってんだよっ?」
 承諾する彼女に、丸井が慌てて非難するがは聞いていない。
 見ているのは目前の面白い少年と、良いストレス発散が見つかったとしか考えていなかった。
「退屈、させないでよ?」
 吐き捨てながら、視界に映る景色が妙に薄暗く見えた。

 ――酷く、眩暈がする。




















 と柳生を部活へ向かわせ、仁王達が向かったのは保健室。
 割れた窓硝子の事後処理は幸村が引き受け、室内には柳の治療をする真田とそれを眺める仁王。生憎、担当の先生は不在だった。
 ――妙な、沈黙が室内に流れる。
 確かに会話が弾むような雰囲気ではないし、仁王達がそれほど親しい訳ではない。それでも流れる空気は重かった。
 ……というより、真田が見るからに不機嫌だったのがその一因ではあったが。
「なーに怒ってんだぁ?真田」
「…怒って当然だろう」
 室内のベッドに腰を降ろす仁王に、真田は声を強めて柳の頭に巻く包帯をキツく締めた。
 それまで大人しく治療を受けていた柳は頭に巻かれた包帯に触れながら、少し不満げに呟く。
「…これは大袈裟ではないか?」
「大袈裟ではない。当然の治療だ」
「そうそう。頭、殴打されてんだから」
 まるで自覚のないような柳に、真田は治療道具を棚に戻しながらはっきり答え、気楽そうに仁王はベッドの上で座り直す。
 そして再び椅子に座った真田が、真正面の柳に向かって強く訊いた。
「――何故、あんな事をした?」
 先程よりも怒った様子で、そして真剣な彼に二人は黙る。再び、空気が張り詰めたように重くなった。
 質問の意は判っているのだろう。僅かに驚いたような柳は、不思議そうに答えた。
「…が危なかったからだ」
「違う。どうして躱さなかった?お前ならあの程度、避けられただろう」
 鋭い眼差しの真田は、彼がまるでワザとを庇い殴られたように見たという。それは仁王も同じだった。
 柳のことだから多少は衝撃を少なくする為に避けてはいたのだろうが、その反動で結果的には窓硝子にブツかり怪我を負ったのだ。真田が疑問に思うのも当然。
「あの場合、止める事も出来ただろう。なのに何故、を庇ったんだ?」
 確実に答えさせる姿勢で返答を待つ真田に、問い詰められている柳は微笑ったような気がした。
「…それが、を護る事になるから」
 無造作に頭の包帯を解きながら、柳は悠然と言い放った。頭部に貼られたガーゼが少し痛々しく見える。
「…護る?」
「自分の危機に己の身も顧ず助けにとび込めば、も無茶はしなくなるだろう」
 真田が怪訝に問うと、柳は普段通りに答えながら立ち上がって自分の鞄を掴む。
 仁王は彼のその言葉で成程、と天井を仰いだ。
「その為に自分の身も危険に晒すのはおかしいだろう?」
「だったら、お前ならどうする?弦一郎」
 立ち上がる真田に、柳が出口の扉へと向かいながら強く尋ねると彼は黙り込んだ。
 恐らく真田も同じ立場だったならを助けるだろう。今回のような、それ以上の危険にもとび込むかもしれないと仁王は思った。
 だが、柳になれば話は違ってくる。
「――よく言うぜ」
 それまで黙って聞いていた仁王がベッドを降り、柳の前に立ち塞がる。
 そして彼にだけ聞こえる声音で、意地悪い笑みを向けた。
「お前は、アイツを繋いでおきたいだけだろ」
 言うと柳は少し驚いたようだった。だが表情に出ていた訳ではなく、答えまで間が空いたから仁王はそう思っただけだ。
 柳は緩慢に、苦笑するように言った。
「…そんな、可愛気があれば良いがな」
 望みを込めたような言葉だったが、仁王は呆れていた。――何を、今更と。
 その時、廊下からバタバタと騒がしい足音が聞こえ乱暴に扉が開かれる。
 現れたのは慌てた丸井で、息を切らせながら柳達へと叫ぶ。
「――大変だっが…!!」
 その言葉に、彼らは一様に怪訝な表情をした。