Act.2


 真田は、部活へと向かう為に校舎の階段を下りていた。
 隣りには幸村。前に柳と、後ろに仁王・柳生という珍しい組み合わせで歩いている。
 彼が頭の片隅で、『何故コイツらと一緒に行かなければならん』と思っていることに気付いていたのは柳ぐらいだ。
 メンバーが珍しいだけに、彼らに盛り上がる話題はない。とはいえ目立つ面子なので、放課後の人も疎らな中でも生徒達は無意識に避けて通る。
 そんな中で、話しかけきたのは後ろにいる仁王だった。
「――なぁ、は?一緒じゃないんか?」
「…そういえば見ていないな。アイツはどうした?」
 誰とも訊いた質問に、今更に気付いて真田が再度尋ねる。
なら先に行ったよ。早く部活がしたいんだろうね」
 笑顔で答えたのは彼女と同じクラスの幸村だ。真田は怪訝な表情になり、仁王は両腕を頭の後ろに回しながら天井を仰ぐ。
「へぇー。珍しいな、が先になんて。いっつも柳と一緒な気がするし」
「……アイツの体調は?」
 仁王の軽い口調の後、空気を止めたのは抑えたような真田の言葉。
 それに幸村はゆっくりと振り向いた。
「さぁ、どうだろうね。保健室には行って無かったみたいだけど」
「何だそれは…?お前は心配じゃないのか?」
「心配だよ。でも――」
 責めるような真田に間髪入れずに幸村が答える。珍しく、笑みを無くした表情で。
 そして、続く言葉を紡いだのは後ろで黙っていた柳生。
「…心配したら、返って彼女に無理をさせる」
 抑揚なく告げられた言葉に、真田達は黙り込んだ。
 が無茶をすること。それを悟られまいと、更に無理をすることを彼らは知っていた。
 人はそれを強さと呼ぶのかもしれないが、結局は本人を苦しめているのに変わりはない。
 僅かに沈んだ空気を払うように、幸村は少し明るい声音で呟いた。
「そういうことだよ。今の処、僕達に出来ることはないのかもしれない――…柳は、判らないけど」
 階段を降りながら前を行く柳に目を向けると、彼は廊下の手前で立ち止まっていた。
 佇んだまま前から視線を逸らさない姿に、気になった真田達が階段を降りて見ると。
 廊下の先には、部活の上級生二人と後ろ姿の がいた。










「――なん、だと…?」
 あからさまに不穏な表情で問う上級生に、は冷静な表情で見上げる。
「私に対してなら何を言われても構いません。けれど、柳君達のことを悪く言うのは許せないんです……訂正、して下さい」
 低くは無い平坦な声が、返って怖さを増して二人の男は息を飲んだ。
 そんな彼らには構わずは続ける。うっすらと瞳を細めた。
「彼らが何の努力も無しにレギャラーになれたとでも思ってるんですか?そんな甘いものでは無いと、先輩方もご存じの筈ですが」
 頭で考える前に、口に出ていた。というより脳が回っていない。
 今まで気に留めていなかったが、はどうも身体が重いように感じていた。この上級生達が煩わしいからだけではない。
 答えは簡単、風邪が悪化しているのだ。けれど彼女はそれを認識しなかった。
「それに、これ以上恥を晒さない方がい…――」
 敵意を表して言いかけた時、軽い眩暈がを襲った。思ったより熱の広がりが早い。
 しかし、目前の男はそれには気付かず彼女の台詞に我慢できなかったのか、キレたように手を振り翳した。
「黙って聞いてりゃ、このアマっ…」

 ――マズい…!

 予想に反して相手の気が短かったのと、体調不良で普段のなら避けられていた攻撃を躱しきれない、と思った直後。
 視界を遮ったのは、大きな背中だった。

 ―――ガシャンッ!!!

 打撃音は硝子が砕ける派手な音にかき消され、破片が周囲に舞う。
 その時、何が起こったのかには判らなかった。
「「――柳ッ!!?」」
 幸村や仁王達の叫び声で我に返り、現実が目にとび込んでくる。
 彼女を庇った背中が崩れ、床に膝を着く。頭部から滴り落ちるのは鮮やかな緋色。
 とび出して来た柳がを庇い、殴られた勢いのまま窓硝子にブツかってしまったのだと、理解しても彼女は身動きが取れなかった。
 蹲る柳に駆け寄る真田達の姿が、まるで音のない映像のように見える。
「…蓮…二?」
 掠れるように呟いたの耳に、慌てるような狼狽えるような上級生達の声が聞こえた。
「な…何なんだよっ!急にとび出してくんじゃねぇよ……」
「放っておけ、行くぞ」
 まるで悪いのは柳の方だとでも言いながら、その場から逃げるように立ち去ろうとする二人。
 は頭の中が真っ白になり――持っていた鞄を壁に投げつけた。
「「「――!」」」
 壁と革や本達がぶつかり合う激しい音に、そこにいた誰もが驚き、動きを止めた。
 視線の先の少女は腕を振りきった体勢のまま、ゆっくりと顔を上げ。
「――…何よ、ソレ…っ」
 底冷えする程に冷徹な眼差しで、上級生の二人を見据えた。
 恐怖すら憶える彼女に驚いたのは彼らだけではない。真田や仁王達も、の豹変に息を飲む。
 傷口を押さえる柳は、ゆっくりと顔を上げた。
「アンタ達…人に怪我をさせといて、逃げようなんて最っ低な人間ね」
「なっ…」
 緩慢に歩いてくるに、上級生達は一歩後退る。
 だがそれ以上動けなかった。鋭い彼女の視線が、それを許さなかった。
 尚も、少女は冷たく告げる。
「そうよねぇ…ろくに努力もせず自分を棚に上げて、他人の悪口を吐くなんて人間のクズがすることだから、人の痛みなんて判る筈も無いわ」
 澱みなく言いながら、は立ち止まり怯える上級生達を見上げる。
 そこで初めて、彼女は表情を歪めた。
「…目障りなのよ……っアンタ達みたいな低俗な人間といるだけで虫酸が走るわ、消えてよ…――いな…」
「――っ」
 殺気にも似た敵意をブツけようとするを止めたのは、背後でしゃがんでいた柳。
 叫ぶ訳でもなく、嗜めるよう放たれた声に彼女は動きを止めた。
 そのまま動かないの背中に、彼にしては珍しく柔らかな声で呟く。
「……俺は、大丈夫だ」
 それを聞いたは一度俯いてから、勢いよく振り返った。
「……蓮二…っ」
 彼を呼びながら、が駆け寄って抱きつくのを柳は受け止める。
 仁王達が心配している中、見守っていた幸村が立ち尽くしている上級生達の方へ振り向いて声をかけた。
 顔は、あくまで友好的な笑顔のまま。
「……先輩方。ここは僕達が引き受けますから、お引き取り願えませんか?」
「な…に?」
 酷く混乱しているのだろう。情けない表情の先輩達に、幸村は笑みを深めて続けた。
「――これ以上、傍にいられると……僕もキレてしまいそうなので」
 見た目は穏やかだが、空気がその不穏な雰囲気を表していた。
 流石に不利だと悟ったらしい上級生二人は、足早にその場を離れる。それを見送った幸村は溜め息を吐いて振り返った。
 そして少し苦笑している彼に気付いた真田が振り返れば、傍で坐り込んでいるはまだ柳に抱き付いたまま。
 よく見ると、首に回している腕が微かに震えている。
 頭を強打したのだ。硝子にブツけたのか切ったのか、こめかみ辺りから血を流す柳を見れば誰でも心配をする。
 況してや、自分を庇って受けた傷となればの罪悪感は半端では無いだろう。
 そう思いながら見た、の腕の中で大人しくしている柳は全くの、無表情だった――