学期でいう1年が終わろうとしていた3月。 校内に植えられた咲き誇る桜を眺めながら、変わりばえのしない部活練習にも飽き。 俺が人目のつかない木陰でサボ……休憩していると、運悪く気づいた真田がこちらへとやってくる。 また怒鳴られるのかと、俺は息を吐いた。先輩でもないクセに。 「何をサボっている?」 「サボりじゃありませーん。休憩です」 「同じだろう」 反論する俺に、珍しく呆れたカンジの真田。 怪訝に思って上目遣いで顔を窺った。多分、疲れているんだろう。 見上げたくもない奴を見ていると、隣りに現れたのは柳だった。 「――丸井。ヒマならを捜して来てくれないか?」 「を?何で??」 唐突な頼みに、預けていた背を木から離して質問を続ける。 「つーか、アイツどっか行ってんの?」 「部の買い出しへ行って、まだ帰って来ないらしい」 「何で?」 なぜそんなことを頼むのかと、立ち上がりながら訊いた。 だって子供じゃないから買い出しに行って学校へ帰るくらい、苦ではないハズだ。 俺の疑問を悟ったのか柳は珍しく、呆れたように苦笑した。 「…多分、迷子になっているだろうから」 transient days story [side M] 学校からそう遠くない、人通りの少ない河川敷の歩道。 俺は降りた自転車を停めて、斜面になった芝生に坐る人物に話しかけた。 「……お前、こんなトコで何やってんだ?」 見下ろす先のは制服姿で、振り返って不思議そうに訊いた。 「丸井……どうしたの?その自転車」 「仁王から借りた…――じゃなくて、お前はこんなトコで何やってんだよっ?」 的外れな質問をする彼女に答えつつも、話を戻そうとして俺は柳が言っていたことを思い出す。 「………まさか」 「 そ、迷子。」 感の良いが恥じらいもなく即答した。 「やっぱりか…」 柳が言ってたのはホントだったんだ。 呆れて納得しながら、感心した。――いや、それよりもっと複雑な感情だった気がする。 思考をとばしていると坐ったままのが振り向かずに訊く。 その声は、いつもより穏やかだったような気がした。 「丸井は?……蓮二にでも頼まれた?」 「んー…ま、そんなトコ」 俺は曖昧に答えた。本当のことではあるが、肯定するのはなぜか悔しかったからだ。 今まで意識したことはなかったけど、思い起こせばと一番仲が良い(というには違う気もするけど)のは柳だった。 そして、彼女をよく理解しているのも柳。 だけどもし自分がと一番の友人だったとして、それでも柳みたいにはなれないと思う。 自分を過小評価する訳じゃないけど、柳みたいに頭は良くないし観察力もない。だからこうして、彼女の居場所を言い当てることは出来なかっただろう。 動く気配のないに、斜面を降りながら俺は息を吐いた。 「それより、こんな学区内でどうやって迷うんだよ?」 「だって私、通学路以外はあんまり憶えてないんだもーん」 「可愛く言うなって…だったらお使いなんて受けるなよ」 「いや口頭で道筋は聞いてたから、大丈夫だと思ったんだけどなー」 呆れて言うと、表情は見えなかったけどきっと苦笑しながら、いつもより明るく言った。 最近になってから、は柔らかくなったように感じる。 今までなら台詞も口調も彼女は冷めていた。けどそれは性格が冷たいんじゃなくて、ただ感情の起伏がなかっただけで、はそれを知りつつある。 だからか、俺は前よりが判るようになってきたと思うし、それは嬉しいことだった。 彼女はテニス以外のことは割と大雑把だ。きっと興味もないんだろう。 頭が良いクセして、一般的に俺達が小さい頃やってた遊びは知らないし、遊び場にも慣れていない。 一体どんな幼少時代だったのか、訊いてみたい気もする。教えてはくれないだろうけど。 そして今も、呆れることにこの状況に慣れているのか。迷子であることを受け止めているが不思議でならない。 「お前…頭イイのに、道くらい憶えられないのかよ?まさか、学校でも迷ってんじゃ…」 「―― そんな訳ないでしょ」 隣りに坐ると、は横目で否定した。その目と声音は冷たいモノに変わっていた。 どうやら馬鹿にされてると思ったらしい。プライドは高いみたいだな。 この、所謂彼女の変わり身をジャッカルはよく怖がってたけど、俺にはそれが悪いモノには思えなかった。 の素を知っているからこそ、普段の優等生ぶりが何かから身を守っているようにも見える。きっとこれは、柳や幸村達も感じてることだ。 「建物内くらいなら憶えられるわよ。そこまでマヌケじゃない」 当然だとばかりなに、俺は益々首を傾げた。 「じゃあ何で道は憶えられないんだ?」 「それは…」 言いかけて、沈黙が落ちた。 密閉された所じゃないから苦痛はなかったけど、居心地が悪い。 流れる川の向こう側、夕色に染まりかけた空を見つめて、が息を吐いた。 「……そうね。憶える気がないからかな」 「憶える気がない?」 反芻すると、彼女は体育坐りだった体勢を更に屈めて言った。 「昔から私、道を憶えるのだけは苦手なのよねぇ……どうせ――居なくなるから」 言葉と共に吹いた風に、髪が後ろへ靡く。出会った頃より少し伸びている。 そんなことを考えながら最後の言葉に我に返り、訊き返す。 「いなくなるって…どういうイミだ?」 「知ってるでしょう?私、転校が多かったって…だからかな?道を憶えても居なくなれば意味がないから、いつの間にか憶えなくなってたわ」 「へぇー…」 諦めた様子のに生返事しながら、振り向く。 「そういうモンなのか?」 「そういうモノよ」 訊くと彼女は笑っていたけど、苦笑いになっていた。 考えるのは得意ではないがのこれまでを思ってみた。 転校が多いということは、それだけ彼女には出会った人達がいて、別れた街がある。折角憶えた街並みも、離れてしまっては意味がない。 『どうせ居なくなるなら、憶えても意味がない』 この街のこともそう思っているのか――? そう考えた時、悲しいよりも悔しい思いだった。 例え離れることになろうとも、俺たちは今、確かに一緒にいるのに。 「――よしっ!」 暗い考えはらしくないと、俺は勢い良く立ち上がった。 そして急なことに驚いているを見下ろして、手を差し出す。 「行こう!っ」 「え…?ちょ、何――」 彼女が訊き終わる前に俺は手を掴んで、斜面を駆け上がった。 訳の判らないままのを、俺は自転車の荷台に乗せて走り出す。 「どっ…どこに行くのよっ丸井?」 「イイ所!」 スピードに耐えるようにしっかり掴んでくるに、俺はペダルを漕ぎながら高らかに答えた。 二人分の重さを漕ぎながら、向かったのは街外れにある丘。 …流石に、坂はキツイから自転車を押しながら上へと向かう。 「……丸井。こんな所に連れて来て、一体何なの?」 少しヘバっているが訊くのに、俺も少し疲れた感じで答えた。 「お前に、見せたいモノがあるんだ」 言って辿り着いたのは、街を一望出来る丘の上。 そこには大きな桜の木が、艶やかにその花を咲かせていた。 「凄い……」 木の下に立って、夕暮れに沈む街を眺めるは感嘆しながら今日初めて見る、笑顔を見せた。つられて俺も笑顔になる。 「ココさ、小さい頃に見つけた俺のお気に入りの場所」 街へと視線を向けたまま、の隣りに並ぶと彼女も前を向いたまま答える。 「へぇー…」 「まだ誰にも教えたコトないんだぜ」 景色から目を離さないに、まるで我がモノ顔で俺は自慢した。 夕空に照らされた街はいつ見ても何度見ても鮮やかで、俺達は暫く黙ったまま眺めていた。 何分かした後、思い出したように振り向いてが尋ねる。 「これが丸井の見せたかったモノ?」 それに俺は振り向かずに、真っ直ぐ夕陽を見つめて言った。 「あぁ――ココが、俺たちの住む街だ」 連れて来た本当の理由とか言いたかったけど、考えれば難しくなりそうで止めた。 でも確かに伝えたいモノがあったから、代わりに出てきたのはそんな言葉だった。 それでも、には伝わったのだろう。 振り向いた先のは少し驚いた顔で、それから最近見るようになった、少し照れたように微笑った。 「…また、来年もココに来ような」 その笑顔を見たせいなのか、気づいたらそんな言葉を口にして、後悔した。 の立場を考えたら無責任な言葉だ。 それでも思ってしまったのだから仕方ない。――また、来年も一緒にいたいと。 不安が顔に出ていたのだろう、また驚いた表情をしたは今度は苦笑に変えて、穏やかに微笑んだ。 「うん……ありがとう、ブン太」 その夕陽に照らされた、の笑顔を。 ――俺は暫く、忘れられないと思う。 †END† 書下ろし 08/02/10 |