丸井達に残っていたクッキーを全て与え。
 彼らと別れてから、私は仁王の証言で校舎を上の階へと上がった。
 辿り着いた先は、最上階にある屋上への古びた扉の前。
 寒いから出たくはなかったけど扉を開けて外へ出てみると思ったほど寒くはなく、寧ろ空が近い所為か太陽の陽射しで暖かいくらいだった。
 成程、丸井達が日向ぼっこをしていた理由も判る。
 背伸びをしながら暫らく空を見上げて、暖かい陽射しを浴びた。
 閉じていた瞳を開けて、横目に屋上を見渡すとある一角。腰を下ろして、フェンスに凭れている男子生徒がいた。
 それは捜していた人物――柳 蓮二だった。手には本。
 少しの間動きを止めて、私は徐ろに彼の元へ向かう。動かない足元まできてしゃがみ込む。
「…………」
 眠っているように見えた。
 目が閉じられてるからじゃなく、本を持ってる手はぶら下がるよう地についていたからだ。 
 息を潜めるように眺めて思う。珍しい。
 眠っているような彼にもだけど、こんな無防備な蓮二を見ることはそうないから。
 心地良い陽射しに負けたのか、それとも疲れていたのか。考えていた時に微かな風が吹いて我に返る。
 いくら暖かいとはいえ、ここは冬の外。
 蓮二にしては迂闊だなと思いながら、何か掛ける物はないかと捜す。こんな所で寝ていれば誰だって風邪を引くだろう。
 けれどこんな屋上には何もなく。カーディガンを教室に置いてきてしまったことを後悔した。 
「―― 平気だ」
 そんな私の行動を読んだように、平坦な声が蓮二から聞こえた。
「起きている」
 身を起こす彼に思った以上に驚いたらしく。
 呻きにも似た声を出し、間の抜けた表情で固まっていた私を蓮二が怪訝に眺める。
「…どうした?」
「い………いつから、起きてたのよ?」
 どう反応すべきか判らず、何とか平静な声を出すよう心掛けた。彼相手では無駄な努力に終わるのだろうけど。
 珍しく、蓮二は零すような笑みを浮かべた。
「寝ていた訳じゃない。少し、ウトウトしていただけだ」
「全然そうには見えなかったけど」
「…そうか?」
「そうよっ。で、いつ私が来たのを気づいたの?」
「足音で」

 つまり、ほぼ最初っからじゃない。

 彼に近づいていた時点で判っていて寝たふりなんて、そんな悪戯好きなんて知らなかったわ。
 寝てると思っていたとはいえ、蓮二の顔を眺めていたのが恥ずかしくて私は大きな溜め息をついて立ち上がる。
 そうと知ってか否か、蓮二は坐ったまま見上げて尋ねる。
「そういえば、お前はこんな所へどうしたんだ?」
 私は答えようか迷いながら彼の手元に目を向けた。
「……蓮二は?読書しにここへ?」
「あぁ、天気も良いし。たまにはな」
 気前よく答える蓮二はその場に坐ったまま、動こうとしない。無言で、自分の質問への回答を待っている。
 けれどそれは強制を感じるモノではなかった。
 受動的姿勢は、相手に有利的な状況になりやり過ごし易いが、反対に答えるも答えないも自分次第になるということだ。
 そして自分にとってそれは居心地が良く、蓮二といると落ち着くということ。
 私はもう一度溜め息をついて、彼の隣りに腰を下ろす。
「蓮二を、捜しに来たのよ」
「俺を?」
 少し拗ねたように言うと蓮二は首を傾げ、代わりに私は制服のポケットから小さな包みを出して渡す。
 受け取った彼は暫らく手の上にある、シンプルにリボンで包装された物を眺めて、振り向く。
「……これは?」
「調理実習で作ったクッキー」
「こんな包装袋、持っていたか?」
「それは班の子に貰った。女の子ってのは、用意周到だから」
「そうか…」
 途切れる会話。もっと他に言うことはないのか。
 また黙って包みを眺める蓮二を眺めていると、不意に彼は呟く。
「何故、俺に?」
 不思議そうに訊かれて、私は彼に向けていた顔を前に戻して立てていた膝に顎を乗せるようにして、両腕で両足を抱いた。
「なんかね、先生が『日頃お世話になっている人にあげたら?』って言うのを聞いたとき、君が浮かんでさ」
「……お前の世話をしていない、とは言い切れないが」
「いや、本当の意味でお世話になってるからとかじゃなくて」
 そんな近所の人に面倒を見て貰ったから、みたいな感じではなくて――というか私は君のお世話になっていたんですか。
 言い返してやりたかったが、強ち嘘でもないから口には出さなかった。
 考えてみれば、感謝すべきことは出てくるような気もする。すぐには思い当たらないだけで。
 ではなぜだという表情の蓮二に、自分でも判らないと首を傾げながら。
「何となく…あげたいと思ったのよ、蓮二に」
 付け足すように呟いて黙ってみるけど返事はなかった。不思議に思って振り向くと、彼は少し驚くような顔をしていた。
「それで、俺を捜していたのか?」
「…まぁ、そうなる……かな」
 再度訊く蓮二に、間違ってはいないんだけど、何となく肯定するのが恥ずかしくて言葉を濁す。
 だけど彼はまた不思議そうに言った。
「捜さなくとも、昼休みが終われば教室で会えるだろ」

 …………………………。

 言われてみればそうだ、と同意しながら首を傾げて思考停止。
 そして自分のやっていることに、今日一番に恥ずかしさを憶えて勢いよく立ち上がった。
「……どうした?」
 突然な行動に、蓮二の驚いた声で不自然さに気づいて、また動きを止める。
 だけど隣りにはいづらしくてその場を離れようとする。
「……寒いから教室に戻る」
 平静を装って歩き出そうとして、腕を掴まれた。
 驚いて振り返ると少し、ほんの僅かだけれど、蓮二は嬉しそうに微笑った。
 最近、見るようになったその明かりを灯すような笑顔を見れることが、いつの間にか私は嬉しくなっていた。
 きっと私の動揺なんて蓮二には筒抜けなんだろうと、苦笑して。
 彼に応えるよう、無意識に微笑いながら気づく。


 ――あぁ、私はこの笑顔が見たかったのかもしれないと。





 †END†




書下ろし 08/02/08