大事な大会を間近に控え、厳しさの増した部活練習が終了し。 各々が散っていく中で私が先輩と打ち合わせを終えると、男子部の方から疲れ果てたように丸井ブン太が寄って来た。 「ー…み〜ず〜〜」 その声を聞いて、呆れたように溜め息を吐いた後、私は苦笑しながら振り返る。 「…また切らしたの?丸井」 「だって暑いんだもん〜」 縋ってくるような彼に、傍に置いてあった水分補給用のペットボトルを手に取って差し出す。 レギュラーや上級生達と違い、一年である丸井達が本格的な練習に参加出来ることは殆どない。実力のある幸村達は例外だが、一年生がやることといえば素振りか雑用だ。 されど強豪である立海ともなれば、練習でも雑用にしてもハードなことに変わりはない。 勿論、疲れの原因はそれだけではないが。 歩み始めたキミの 2 「もう夏休みも終わってんのに、この暑さだもんな。参るぜ」 「そうだね。確かに今日は暑かったから、少し疲れたかも」 夕刻に近いとはいえ、夏が過ぎたこの時期の陽はまだ高い。そんなに残っていない水をカブ飲みして零す丸井にもう一度苦笑して、タオルを差し出した。 そこへやって来たのは、汗を掻いていながらも疲れを感じさせない真田だった。その後に柳や幸村も続いてやってくる。 「お前は無駄に体力を使い過ぎなだけだろう」 「なんだよ、真田。エラそうに」 言っていることは間違っていないが、丸井は不快に頬を膨らませる。まぁ無理もない反応だが。 と、その時。余り聞き慣れない音が聞こえてきた。 丸井のお腹から。 ――― ぐぅぅぅ。 「…………丸井、今のって…」 そこにいた全員が目を丸くする。 何の音かは直ぐに判った。だか耳にするには余りに大きくハッキリとした音だった為、驚いたのだ。 こんな絵に描いたような腹の虫を聴くことはそうない。幸村が、可笑しさを堪えながら微笑む。 「随分、大きな腹の虫だね」 「し…仕方ねぇじゃん。動きまくったから腹減ったんだよ―― そうだ!」 言いながら、丸井は何かを思い付いたように目を輝かせた。 「帰りに何か食いに行かねぇ?ファーストフードとか!」 同意を求める彼に、幸村達は顔を見合わせた。 確かに運動後で疲れてはいるが、空腹ではないらしい幸村は迷うような表情で、真田はまったく行く気がないのか呆れるように溜め息を吐いている。 私は、思わず隣りにいる柳を見上げた。 中学生といえど、まだ育ち盛り前の柳はそれでも私より身長が高い。横で見上げてくる私に気付いた彼が振り向いて訊いてくる。 「…お前も行きたいのか?」 「……行きたいって言うより、行ったことが無いからね。そういう所」 「えっマジで? 行ったことねぇの!?」 驚いて身を乗り出してくる丸井に、私は曖昧に微笑んだ。 別に珍しいことではないだろう。知ってはいても行く機会が無かった、唯それだけのことだ。 「じゃあ行こうぜ、。俺が教えてやるよ」 「威張る事ではないだろう?」 「そうだな、偶には息抜きも良いだろう」 得意気に言う丸井に真田が冷静に反論するのを見ながら、柳が無造作に私の頭に手を置いてから離れて行く。 どうやら、私もついて行くことになったらしい。 学校を出てから柳達と向かったのは、街中にある有名なファーストフード店。 平日といっても人は多く、時間的にも私達のような学生が多いように思う。 店内を物珍しく眺めながら注文を済ませた私は、柳と共に後を丸井に任せて先に席を取りに二階へと向かった。 そして窓際の良い席で待っていた私は、戻ってきた丸井達を見て、露骨に怪訝な表情を浮かべたのだった。 「……何で仁王がココにいるの?」 私の隣りにいる柳は相変わらず無表情で、眼前の仁王は珍しく満面の笑顔。その隣りで丸井は勢いよくバーガーを頬張っている。 少し戸惑いながら笑顔で尋ねてみるが、二人は平然としていた。 「俺が呼んだから」 「いや、うん。そうなんだろうけどね」 「別にイイじゃねぇか、俺が一緒に寄り道してもよ。同じ部活仲間だし」 いやだからアンタ今日・部活に居なかったでしょうが、と思わず素で反論しそうになってしまって思い止まる。 女子部である私には彼ら男子部の内情など関係ないことだが、部活でも見掛けず帰りも一緒にいなかった人間がいきなり当たり前のようにトレイを持って現れたりすれば驚くのは当然だ。 寧ろこの場合、平然としている柳の方がおかしい筈だ。きっと。 既にそのことから興味が失せたように食べる丸井達から、横に座る柳へと視線を移した。生憎、メニューの中にお茶は無かった為かアイスコーヒーとサラダを頼み、紙コップに口をつけている様は少し違和感がある。 私の視線に気付いたのか、柳がコップを置いて促してくる。 「……冷えるぞ。食べないのか?」 「…食べるけど、柳は随分慣れているようね」 「…この店にか?」 紙で包まれたバーガーを手に取りながら呟くと、柳は意外そうに訊いた。 「そうじゃなくて、この二人に」 「あぁ、いつも部活で顔を会わせているから慣れもする」 前の二人に視線を向けての一言で全てを汲み取った柳は、淡々と答えた。 丸井達は不満そうな顔をしていたがそれもそうかと納得する。…まぁ、柳の場合は慣れなくてもそういう順応は早そうだけれど。 「お前は真面目なんじゃ、。もっと気楽に行け」 フライドポテトを摘みながら、軽く言う仁王に私は目を丸くした。 「そうかな?私は至って、常識的だと思うけど」 「そうそう。仁王は不真面目過ぎっから」 「お前はどっちの味方だ、丸井」 「強いて言うなら……?」 「妥当な判断だな」 「ヒデーな、柳まで」 小さな言い争いを始める彼らの様子を、私は途中からバーガーを食べながら眺める。 普段を考えればこの三人の組み合わせは珍しいのだが、こうして見るとやはり彼らは男子中学生という感じだ。 けれど暫く黙々と食べながら会話を聞いていると、内容は次の大会の話になっていた。やはり彼らもテニス部員ということか。 「――で、注意すべきなのは其処の新部長位だ。残りの選手は大した事はないだろう、ウチにとってはな」 テーブルの上に広げられているのは、次の試合に出場する各校のリスト。 当たる学校と注意すべき選手を上げながら柳は淡々と説明する。余り詳しくはないけど、データテニスを得意とする柳の情報はまず間違いがない、と聞いている。 簡単な問題を解くかのような彼に、仁王が感嘆していた。 「さっすが、言い切るねぇ」 「けど、結構・強豪って言われてるんだろ?そこのガッコ」 「県内ではな。全国には、それ以上のレベルの選手が沢山いる――と、部長なら言うだろうな」 デザートで頼んだパイを食べながら付け加える丸井に、柳は珍しく冗談めかして言った。 その横で私はまだバーガーを食べながら出場校リストを眺めていた。基本的に、私は食べるのが遅いのだ。 今も試合のことで話を続ける柳達の言葉を聞きながら、改めて考える。 テニス部に入る前ほどではないが、私は対戦相手に対して余り興味を持っていない。つまり、柳のようにこれから試合をするという選手の情報など調べないのだ。 とはいえ、私が今まで参加してきたのは地区や地域で主催される個人競技で、小学生では実力があっても情報として大して残らない。けれど中学校の部活競技ともなれば、結果が残り情報も得易いという訳だ。 それも踏まえて、これまでの試合を思い出しながら私はふと呟いた。 「………中学テニスでも、結構レベルが高いんだね」 私の言葉に、仁王達が動きを止めて視線が集中する。 それは純粋に思った感想だ。予想していた以上に、これまで対戦してきた対戦校の実力には驚かされてきた。 私の言葉を繋いだのは柳で、視線をテーブルに広げた用紙へと落とす。 「…そうだな。俺も中学に上がってそう思った」 「でも、圧倒的に高いのは男子の方ね。女子は部活で専門的になっただけで、レベルとしてそれほどは高くない。大して変わらないわ」 「…不満か?」 何処か楽しそうに訊いてくる柳に、私は一度目を伏せてから飲んでいた紙コップを置いた。 「……そうね。少なくとも今の女子部の実力じゃ物足りないわ。まぁでも、練習は厳しいからこれからじゃない?」 「なら、手加減をするのは止めたらどうだ?」 素直に述べた感想に、淡々と柳から返ってきたのは思いもよらない言葉だった。驚きも忘れて真顔で問い返す。 「…どういう意味?」 「お前、部活では手を抜いて練習しているだろう?それでは鈍るぞ」 「あら?バレてたの?」 「因みに幸村も気づいている」 そうなんだ…と、内心で脱力しながら私は溜め息をつく。 表向きでは真面目な部員を演じていたつもりだったのだけれど、まさか柳達にバレていたとは思わなかった。 「物足りないなら、お前が起爆剤になれば良いだろう。周囲も影響されるだろうし、お前も全力で取り組める」 「嫌よ。目立ちたくないもの」 目を逸らしてきっぱりと言った。 ただでさえ噂になっているというのに、これ以上厄介事はご免だ。出来れば私は平穏に暮らしたい。 ………このメンバーと共にいる以上、無理な気もするが…。 それに本気で強くなりたいのなら、その為の練習とは人には見せないものだ。他人に手の内を見せないということもあるが、それが最も練習に集中出来るからだ。私に限らず、柳や幸村達が個人的に練習をしていることを私は知っている。 柳はそれで何を言っても無駄だと判断したのだろう。それ以上は何も言わなかった。 呆れているという風ではなかった。私の性格を把握している上で、考えていることを察したのだろう。たまに、全てを晒している存在というのは有難いと思う。 そんな私達の会話を、黙って聞いていた仁王と丸井が目を丸くして顔を合わせていた。不思議そうにしているのに気付いた時、丸井が戸惑いながら訊いてきた。 「……なんかさー、。雰囲気違うくない?」 「というより、いつもと違うな」 首を傾げる丸井と、どこか落ち着いた様子で仁王が言った。しまった、と思う。 柳と話していたことで思わず素に戻ってしまっていた。 自分で言うのも何だが、普段は笑顔を絶やさない穏やかな女子中学生を演じていたというのに。それは丸井達にも同じだ。 今更隠すことも出来ないが、どうしたものかと悩んで無意識的に柳へと視線が向く。 それに彼は飲んでいた紙コップを置いて、穏やかな仕草で二人へ向き直る。 「見ての通り、今のが偽りのない本当のだ――言うなれば、素の部分だな」 「な……」 迷いなく平然を告げる彼に、思わず絶句する。 ……まぁ、確かに隠す手助けを期待していた訳ではないけど、こうもあっさりと言うのはどうだろう、と私は溜め息を付いて少し柳を睨んだ。 「…どういうつもり? 私の今までの努力を無にするつもり?」 その時の顔には笑みや穏やかさなど無く、私は無表情に訊いた。感情の削げ落ちたような私に、丸井が微かに怯むのが気配で判る。 「何れは判る事だろう。それに、努力なんてしていたのか?お前」 「それもそうね」 悪ぶれもない柳に私は肩を竦めた。そうだ、私はただ楽をしていただけなのだから。 「じゃあ、いつも笑っとるお前は演技で、今みたいのが本当のって訳だな?」 確かめるように、改めて言う仁王はそれでも笑っていた。どこか楽しそうだ。 私はもう一度溜め息を吐いて、仁王達に向き直った。表情は、挑むような狡猾は笑みを湛えて。 「そういうことになるわね。こっちが素に近い、本性とでも言うべきかしら。いつもの、普段君達に見せてきた私は―― そうね、自己防衛的なモノかしら」 一方的に告げて、今度は苦笑する。 「…どう? 幻滅した?」 試すような口振りに、自分でも可笑しくなる。 嫌われることを期待している訳ではないが、気を紛らわせているのかもしれない。初めて、反応が怖いと思った。 それに先に反応したのは仁王で、溜め息の後に出てきたのは呆れたような声だった。 「まさか、する訳ないだろ。――ま、俺は何となく気付いてたし」 「……そうなの?」 開き直るような口調に、私は素直に驚いた。 「いきなり豹変したようになったからって、お前はお前だろ?俺達は何も変わらない」 「そう…だな。そっちが本当のお前ってんならその方がイイしな、俺達も」 「? それってどういう……」 驚きは隠せないものの、丸井の方も納得しながら何故か賛同している。悩む私に、答えたのは相変わらず無表情な柳。 「お前には、素顔のままでいて欲しい、という事だ」 それが彼らの思いを代弁していたのだろう。ただ驚く私に、仁王達はただ笑っていた。 受け入れられた――ということなのだろうか。 私はそれが可笑しくて、出てきた苦笑はなぜか諦めにも似ていた。 「………ホント、変わり者よ。君達は」 それは不確かながらも緩やかに、私も何かが変わり始めていたのだろう。 †END† 初出 07/04/05 編集 07/10/19 |