夏へと足を踏み入れた7月の中旬。修業式当日。
 明日から待ちに待った夏休みということで、HRを終えた校内は未だに残る生徒達で騒がしかった。

 …こういう雰囲気は、何処にいても幾つになっても一緒よね。

 私がそう思いながら廊下を歩いていると、前方に真田と幸村の姿を見かけ、声をかけた。
「――二人共、もう帰るの?」
「…
 通学鞄と兼用しているスポーツバッグを持った二人は、こちらへ向かいながら答える。
「今日はもう部活がないからな」
「だから二人でジムにでも行こうと思って…」
「へぇ…熱心ね」
 午前中で式もHRも終わり、部によっては休みのところもある。テニス部も珍しく今日はオフだった。
 それでも練習に励む二人に関心していると、幸村が問いかける。
「君も行く?」
 笑顔の彼に私は苦笑するように肩を竦めて視線を逸らした。
「遠慮するわ。この後、柳にスポーツショップへ連れて貰う約束があるの」
「その柳は…?」
「確か、委員会か何かで先生に呼ばれてるみたいだから、教室で待ってようと思って…」
 真田の質問に答えていると後方から物凄い足音が聴こえてきて、それは私達の横を物凄い速さで走り抜けていこうとした。
 だがその後ろ姿に、なぜかまるで生徒を叱るように真田が叫ぶ。
「コラ!廊下を走るな!!」
 その怒鳴り声で本当に先生に見つかったと思ったのだろう。反射的に驚きながら立ち止まって振り返ったのは同じテニス部員の丸井ブン太。
「〜〜あーびっくりしたぁ…ナンだよ真田、先生かと思ったじゃん」
「廊下では静かにしろ」
 見るからに大人と子供の立場になっている二人を眺めながら、私は困ったような笑顔で、幸村は愉しそうに微笑っていた。
 何と言うか、真田は将来的に部長にでもなれるような威厳さがある。要は堅いということだけど、彼がもし本当になったらで部員達は大変そうだと無意味な心配をしてみた。
 まぁここの場合、選手の性質に関係なく強い者が部を取り仕切るみたいなところがあるから、はっきりとは言えないが。
「だって今、クラスの奴らに追いかけられててさ〜…」
 まるで言い訳のように話す丸井に、真田が何をしたんだと訊こうとした時。彼が走ってきた方向からまた数人の足音が聴こえてきて口々に『丸井だ!』や『掴まえろ!』などと言っている。
 つまり、その丸井を追いかけているクラスメイト達なのだろう。
「うっわ…ヤバ!」
 慌てて再び走り出す丸井を真田が注意するも全く聞かず、彼は逃げるように駆けて行く。
 その後ろ姿を見送りながら元気だなーと関心していると、走り去る丸井が振り向いて叫ぶように言った。
「――っ夏休み、いっぱい遊ぼうな!」
 彼の言葉に驚いて、私は苦笑しか出来なかった。










 transient days story


 [side -]










 真田達と廊下で別れた後、私は教室まで歩きながら考えていた。
 思い出しているのは丸井の先程の言葉。彼にとっては何気ない言葉だったのかもしれないけれど。
 それでもなぜか私には少し嬉しかった。思い起こせば、友人と夏休みに遊ぶ約束なんてしたことがなかったからだ。いや寧ろ、そういうことを私は避けてきた。
 休日といえば、私は勉強か両親の手伝いか、ずっとテニスをしているかだけだった。
 …………家族と出掛けるなんて、もう随分と昔のことだ。
 この夏は丸井や皆と遊びに出掛けたりするのだろうかと考えて、それは無いだろうと考え直して息を吐いた。
 きっと、部活練習に追われるのだろうと思ったからだ。
 自分的にはそれも悪くないと思っている。なぜなら夏休み中、ずっとテニスが出来るのだから。これ程喜ばしいことは今の処ない。
 それでも、少しは遊びに行けたら良いなとらしくないことを考えながら、自分の教室に着いてドアを引いた。大して力も入れずに開けた扉の音は、思いの他室内に響き渡った。
 ガラン、とした誰もいない教室に少しだけ淋しさを憶えて、笑えた。そして柳を待つ為に、窓際にある自分の席へと向かう。
 机に着きながら、そういえばこうして教室に残って誰かを待つこともなかったと。
 私は夏の陽射しが増した空を窓から見上げた。




















 微かに涼しくなった風を感じて、目を覚ます。
 いつの間に眠ってしまったのかと記憶を辿るように顔を上げると、本を読んでいる柳が目に入った。
「………柳…」
 微睡む思考の中で呼べば、柳は落としていた本から顔を上げた。
「…起きたのか」
「今…何時?」
「3時前だ」
 起ききれてない声で訊くと、本を閉じると同時に答えた彼の言葉に、私は一気に目が冴えた。
 確かまだ柳を待っていた時は正午だった筈だ。それから通算するとかなりの時間寝ていたことになる。
「……起こしてくれれば良かったのに」
 乱れた髪を掻き上げながら文句を言うと、柳が真っ直ぐにこちらを向くものだから私は怪訝な顔をした。
「何?」
「いや、疲れているんじゃないかと思ってな。この処、無理をしているだろう」
 その言葉に私は少し目を丸くした。余り言われない言葉だと思いながら、自嘲めいた視線を柳に向ける。
「…何でそう思うの?」
「何となくだ。お前は隠すのが、上手いからな」
 彼にしては珍しく曖昧な答えだと思いながら、柳なら些細なことでも読み取ってしまうのだろうとも思った。
 諦めにも似た思いで椅子の背に身体を深く預ける。
「別に、いつも通りよ。学生らしく勉学に励んで、好きなテニスで部活に精を出して……ホント、青春してるって感じかしら?」
 皮肉げに吐き捨てるとなぜか柳は苦笑したように見えた。
「良い事じゃないか――…お前の場合は、気を張り過ぎる処があるが。もう少し気楽に生きる事も憶えた方がいい」
 緩やかに流れてくる風に揺れるカーテンを背に、窓の外を見ながら話す柳はそれからこっちを振り向いて。
「少なくとも、俺の前ではな」
 そう言ってくれる彼の言葉が、少しだけ眩しかった。
 それが優しさなのか温もりなのかは判らなかったけれど、それが柳なんだと思うしかなかった。
「……これでも、譲歩してるんだけど…」
 彼の言ったように、幾分かは疲れているのかもしれない。さっきもいつ眠ったのかも判らない程、テニスやこの間の期末試験に根を詰めた自覚はある。それを悟られないようにしていたこともだ。
 少しは彼らの影響で変われたのかもしれないとも思うけれど、それは私が望んでいるモノじゃない。
 出来れば変わりたくないと思いながら言うと、柳は息を吐きながら向き直る。
「……まぁ、お前はプライドが高い方だ。直ぐに変われとは言わないが、少しは慣れても良いとは思うが」
「仕方ないじゃない、もうこれが染み付いてしまっているもの……転校したことがない君には判らないでしょうけど」
 半分は拗ねたように呟く。転校を繰り返していたお陰で、私は他人と深く関わらずに上手くやり過ごすことが出来るようになってしまった。その方が楽だからだ。他人にとっても、自分にとっても。
 "関わる"ということは、"繋がり"を作ることで。それを断ち切るのは簡単なことのようでいて、一番辛いことだと無意識に知っていたからだ。
 私の言葉に返答がないことを不思議に思って顔を上げると、柳もなぜか不思議そうな顔をしていた。
「…俺も一応、ここには引っ越して来たんだが……」
「え、そうなの?」
 驚いて身を乗り出すと、柳は間を空けて考え込んでいたかと思うと。
「………言っていなかったか?」
「 聞いてない。」
 抜けたように言う彼に私はきっぱりと返した。
 柳と話すようになった時に彼は真田や幸村達とは親しかったから、小学時からの知り合いと思っていた。……考えてみれば、私は柳のことなど何も知らないし深く訊いたこともなかった。勿論、自分のことも深く語っていないのだから無理もないけれど。
 私とは違うかもしれないが、住む場所を変えるということはそれなりに断ち切らなければいけないこともあっただろう。
 沈黙が続く中で私はふと、訊いてみた。
「……前にいた所で、親しかった人はいたの?」
「――…あぁ、いた。俺と同じでテニスが好きで、ダブルスを組んでよく大会に出場していた」
「ちゃんと、別れは告げた?」
 その間に顔を上げると、柳は無表情に窓の外に視線を向けていた。
「いや、言えなかった。後悔が無いと言えば嘘になるかもしれないが」
「そう…」
 こっちが気まずい気持ちでいると、柳は傍に置いていた鞄を持って椅子から立ち上がりながら。
「――ま、今はお前に逢えたから、良い事も遭ったと思っているが」
 見下ろす柳に呆けて、私は苦笑した。
「何それ?クサイわよ」
「こういう時は照れるべきじゃないのか?」
「お生憎様。そこまで乙女じゃないわ」
「ま、期待はしていなかった」
「なら訊かないでよ」
 半分はお互いに笑いながら会話している間に、柳はそのまま教室の出口へ向かっていた。
「帰るぞ、もう遅い」
「え…ショップには行かないの?」
 慌てて柳に追いつこうと、鞄を持って立ち上がる。今日はまだ地理を憶えてない私の為に、柳がスポーツショップを教えてくれる約束をしていたのだ。
 けれど彼は、扉の前で立ち止まって振り返った。
「いつでも行けるだろう…――夏休みは、長いからな」
 その言葉に私は思わず立ち止まって、苦笑した。今度は妙に嬉しくて。
「………そうだね」

 ――――長い、夏が始まる。





 †END†




書下ろし 07/08/31