Vol.7


 夕陽が、沈み始めていた。
 街を照らす日差しも茜色に染まり、地面の影も細長い。歩く人々が帰路へつく中、四人は河川敷を取り囲む斜面の上で疲れ果てたように腰を降ろしていた。
 あれから柳達は時間を忘れ、勝負も忘れてテニスをすることだけに夢中になっていた。
 とにかく、楽しかった。
 それは遊びにも似ていたが、全員が真剣だった為、物凄く白熱していたとも言える。
 そして今、柳達は動き過ぎた疲労で身体を休めるように、四人が並ぶようにして斜面の芝生の上に坐っていた。
 暫らく黙ったまま、四人は沈む夕陽を眺めていた。
 ふと、柳が隣りにいるへと視線を向けるとそこには清々しい表情をした横顔。それは年相応の、中学一年生の顔をした少女がいた。
「――…久し振りだな」
 不意に呟いたに、彼女の反対側にいる真田と幸村も振り向く。
「誰かとこうやって夕陽を見るの、本当に久し振り…」
 何かを懐かしむような声に、柳達は訊き返せなくて。代わりに出てのは幸村の質問だった。
「…それで、どうするの?さん」
「部活のコト?」
「うん。今更、こんな事を言うのも卑怯だけど、入るかどうかは君に任せるよ」
 柔らかく言った彼の言葉に、驚いたのはと真田。
「何故だ?勝負は俺達の勝ちだろう」
 確かに試合の勝敗でいえば勝ったのは真田達で、は負けた。当初の約束通り、彼女が女子テニス部に入ることになるのだが。
「僕は最初から、彼女の意思を尊重するつもりだったよ」
「よく言うわね。強引だったくせに」
「多少の努力はするよ。……でも、ま。柳じゃないけど」
 そこで切って、幸村はへと振り向いて苦笑して。
「僕もただ、君とテニスがしたかっただけなのかもしれない」
 少し照れ臭そうに言った。
 それを聞いたは、黙ったまま一度俯いてから空を仰いだ。無表情に。
 ただ静かに沈黙が流れる中で、それを破ったのは抑揚のない声。
「………ホントに、いつ居なくなるか判らないわよ?私」
「それはどういう意味なんだ?」
 疑問を向けたのはの左にいる真田。よく考えれば、クラスの違う彼には以前のについては話していなかったと柳は思い出す。
「親の仕事の関係でね、転校が多いの。短い時は一年もいなかったかな。……それに」
 そこで言葉を切っては目を伏せた。躊躇いの後、紡がれたのは思いの他しっかりとした声音で真っ直ぐな眼差し。
「――決めているの。私は、自分の意志で両親について行くって……だから本当はもう、」
 揺るぎない声は途切れ、そこから続きを紡がれることはなかった。
 その、後に続く言葉がテニスに対してのことだったなら、と思うと柳は少しだけ胸が痛んだ。
 の夕陽を見つめる横顔が、照らし出された表情には微かに、悲しみが見え隠れしていたように映ったから。
 ――既に、その笑みは諦めることに慣れてしまっている。
 そして彼は一度、思案するような素振りの後、へと振り向いて話しかける。
「――…。お前がもう、諦めてしまっているなら」
 それでもまだ、テニスが好きで、続けたいと思っているなら。
 ゆっくりと振り向く彼女と視線を合わせて、改めるように柳は言った。
「お前の残された時間を、俺達にくれないか?」
「…え……?」
 予想外の言葉に戸惑っているのか、は不安そうな表情を浮かべていた。それになるべく笑顔で答えて、柳は再び夕陽へと顔を向けた。
「いつ転校するか判らないのだろう?それはもう近いのかもしれないし、まだずっと先かもしれない」
「そう…だけど」
「だったら、それまでの間だけでも俺達とテニスをしてみないか?」
 その提案には当惑したように俯いて、真田達へと振り向く。けれど彼らも柳と同じ表情をしていた。諭すような、真剣で真っ直ぐな揺るぎない顔。
「…でも、本当に転校とかになったら皆に迷惑…」
「――大丈夫だ。俺達は、構わない」
「なんとかなるよ」
「……まぁ、お前とテニスをするのは悪くなかったしな」
 三人がそれぞれの言葉で伝えたことに、彼女は驚いたように呆然としていたかと思うと、諦めたように溜め息をついた。
「……本当に、物好き過ぎるよ君達」
 そう言っては、坐っていた地面に横たわる。
「そんな風にアッサリ言われたら、悩んでた私が馬鹿みたいじゃない」
「へぇ、悩んでくれてたんだ?」
「当たり前でしょ」
 意外そうな幸村に、彼女は心外とばかり吐き捨てて夕空を見上げる。それを見ていた柳達も誰ともなく地面に背を預けて空を仰いだ。
 夕暮色に染まった空を、緩やかに流れる雲の行方を追っても、それを知ることは出来ない。
 時が停滞したかのような錯覚に、柳もこんなに緩慢な時間を過ごすのは久し振りだと思った。先程まで、時を忘れるほどにテニスをし続けていたというのに。
 ふと、独り言のようにが呟く。
「…そうだね。どうせ諦めるなら、君達に賭けてみるのも悪くないかもしれない……」
 振り向くと、彼女は柳の方を向いて微笑んでいた――…それは見たこともない、柔らかく優しい笑顔。
「私の残された時間、柳君達に預けるよ」
 再び空へと顔を向けて呟かれた声は、まるで挑戦を挑むかのように澄み切っていた。
「勿論、愉ませてくれるんでしょ?」
 それに声を併せて、柳達も当然と強く応えた。これから待ち受けているだろう、出来事への期待を笑みに変えて。
「じゃ、これで晴れてさんもテニス部員だね」
「まだ気が早いって」
 愉そうに呟く幸村に、は苦笑して答えた。正式な入部は明日からになるだろうが、テニスが出来るということで少しだけ彼女の頬が綻んでいるように見えた。
「でも君なら、レギャラーなんて簡単に取れると思うけど」
「買い被り過ぎ……まぁ、出来ればそうなりたいけどね。どうかしら」
「弱気だな。なる位の意志がなくてどうする」
 思わぬ真田の台詞に、も幸村達も驚いていた。
 彼が他人を認めるのは珍しいことだが、それだけ彼女に驚かされたということなのだろう。認めたという意味で、そう判断するには性急過ぎているかもしれないが。どの道、本人に訊いたら否定するだろう。
 が視線だけで彼を見つめて、ゆっくりと口を開く。
「…そういう真田君は、何か目標でもあるの?」
「当然だ」
「何?」
「全国制覇だ」
 躊躇いもなく紡がれた言葉に、柳と幸村は目配せするかのように視線を合わせて苦笑した。
 言ってしまえば、極端だ。余りに直球過ぎてピンとはこない。
 だが成し遂げるとなればそれは壮絶な目標だ。まずは呆れられるか笑われるだろう。
 けれど、はそのどちらでもなかった。
「へぇー……全国制覇かぁ。それってやっぱり凄いの?」
「当然だ。全国には強豪が揃っている。それらを倒して勝ち取る勝利にこそ、意味がある」
「そうなんだ………でも全国制覇か。いいなぁ、それ」
 まるで珍しい玩具でも見つけた子供のように、空を見上げて呟くは愉そうに見えた。
 それにまるで味を占めたような表情をしたのは幸村で。
「だったらさんも目指してみる?僕ら男子部と女子部で全国制覇。そうだな…――三年連破、とかどう?」
 遊びにでも誘うような幸村の発言に、流石の柳達も一度沈黙した。
「それはまた……大きく出たわね。出来ると思っているの?」
「…確かに、それぐらいの意気込みで行かなければ、全国は目指せないだろう」
「あれ?真田君も乗り気?……皆、血の気が多いわね」
 クスクスと、声を出して笑う彼女にそれは自分も入っているのだろうか、と柳は少し悩んだ。
「うん。そうね、出来ることなら、この四人で…――全国制覇しようよ」
 まるで自身へと呟いた言葉は、仰ぐ空に吸い込まれ、彼らは染まる夕暮れに約束をした。

 出来れば本当に、叶うことを願って――















 帰ろうとするまで、ずっと見上げていた夕空の下。
 振り向いた隣りのが、見上げる瞳から涙を流しているのを見て。
 柳はゆっくりと、彼女の掌を握った。

「――…。お前はもう、一人じゃない」
「…………うん…」


 それが、彼らの新たな世界の始まり。





 END...




初出 06/12/04
編集 07/08/31