Vol.6


 変わったヤツだ、と思っていた。
 それが真田のもつ、に対しての印象だ。もっと言えば奇妙ともいえる。
 ただ、見た目にも彼女は普通だった。何ら他の女生徒達と変わらない。
 ただ、いつも笑っている。

 ――けれど、は違っていた。










 学校の通学路から少し離れた、河川敷にある簡易なテニスコート。
 そこに準備を済ませて、真田達は集まっていた。
「――で、誰がお相手になってくれるの?」
 眼前の少女は普段の穏やかさとはかけ離れ、その冷たい眼差しは早くこの勝負を終わらせたいのだろう。それでもラケットを持ってウェアに身を包む姿は、やはり選手と言える。
 の言葉に、柳達が顔を見合わせている横で一歩、前に出たのは真田だった。
「…俺が相手になろう」
 言うと彼女は少し目を丸くして、フッと愉そうに微笑う。
「そう、宜しく」
 素っ気なく答えて、が片側のコートへと向かうのに真田も倣って反対側のコートへ向かう。柳達にも異論はなかったのだろう、観戦者にまわって静かに事の成り行きを見守っている。
 サービスは真田から始まった。が興味なく、それを譲ったからだ。勝負と銘打っているからには自然と幸村がコール役を勤め、柳は傍のベンチに腰を降ろして見物していた。
 二人の打ち合いは、激しいものではなかった。
 幾ら真田でも、女子相手に初っ端から本気を出す気にはなれなかった。勿論、始めは相手の出方と実力を見極める意味では当然の配慮なのだが、それはすぐに見破られてにカウンターを食らう。
「―――っ!」
 軽く不意を衝こうとした真田の打球は、軽々とに打ち返されて彼の真横を通り過ぎる。
 風を切るような速さの球に、一瞬だけ固まり正面に立つ少女へと目を向ける。は振り抜いた体勢を整えて真田に背を向けながら言った。
「……女だからって、甘く見ないで」
 冴えた声音に、真田は驚いたまま。幸村と柳は愉しそうに微笑う。
 それから試合は激しいものになっていった。
 真田の攻撃を彼女は全て返していった。真田もそれを打ち返し、長い長いラリーの応酬。それでも、双方の呼吸は乱れていない。
 ――対峙して、初めて判った。
 それは、彼女がとても的確で冷静なプレイをするからだろうか。
 確かには変っていた。異質といえば語弊を生むかもしれないが、真田には他の形容がなかった。
 選手としても確かに上手いし、真田が今までで会った中で彼女ほど強い選手はそういない。
 そしてとても、強い眼差しをする。
 他の一切の者を寄せ付けない、己を貫く力強い双眸。それはのプレイにも表れていて、真田はここにきて初めて理解した。
 柳が、言いたかったことを。
 真田の打球が、の横を抜けた――今までと比べ物にならない速度で。
 完全に追いつけなかった攻撃に、が初めて立ち尽くす。けれどすぐに振り返って真田を睨み返した。
 しかし真田は微笑って、彼女へとラケットを突き出す。
「……俺の本気を、見せてやろうか?
 それが、本当の意味で彼らの試合の始まりだった。















 夕陽が、傾き始めていた。
 僅かに赤みがかった日差しに、ほんの少し伸びた足元の影。広がる河川敷のテニスコートに男女が四人。
 内、まだ幼さの残る少年二人はただ黙ってその場に佇んでいた。幸村精市はコートの外で、真田弦一郎はコートの中で息を乱した様子もなく対面コートを眺めている。
 そしてもう一人。側のベンチに座ったまま、感情を面に出さず静かに試合を眺めていた柳 蓮二。
 三人が見つめる先のコート内には少女――― が消耗した体力と戦うかのように、必死に呼吸を整えていた。
「……っは、はぁ……は…」
 敵わなかった。あれから二人の試合は、一方的にが苦戦を強いられ勝敗は明らかだった。
 彼女の決め球は悉く真田に打ち返されて、全く歯が立たなかったのだ。
「…もう終わりか?」
 挑発にも似た、真田の言葉には屈めていた背を起こして彼を睨んだ。
 テニスが"巧い"なんてものではない。
 確実に、目の前にいるこの真田という男は、"強い"のだ。
 そして恐らく、幸村や柳も彼と同等だと考えていいだろう。ずっと見ていた訳ではないけれど、真田の圧倒的なプレイに彼らは顔色一つ変えはしなかった。
 自然と、の頬が緩む。
「…………面白い…」
 そう口の中で呟いて、彼女は真田達へと向き直った。浮かべる表情は強さへの期待、興奮。それに彼らも気付いて静かに眺めている。
 やがて彼女は言った。瞳に、炎にも似た光を湛えて。
「こんなに楽しめるテニスは久し振りだわ。自慢じゃないけど、ココ何年かは負け無しなのよ私」
「自慢だろう、それは」
「…ま、イイじゃない。褒めてるんだから。まさかここまで追い詰められるなんてね、予想外だったわ――そういう意味では、感謝するべきなのかしら?君達に」
 不利な状況下だというのにの態度はあくまで強気だった。冷静といっても良いだろう、これが本来の彼女の姿だ。
 けれどその中にある無邪気さが、が本当にテニスが好きなんだということをよく表していた。そうでなければこうして、笑ってはいられないだろう。
「そう言って貰えると、僕らも嬉しいよ」
「――でも、負けるつもりはないから」
「続けるつもりなのか」
「当然でしょ」
 真田へと一瞥した後、彼女は踵を返してベースラインまで歩き、悠然と振り返ってラケットを突き出す。
「なんだったら、君達全員でかかってきても構わないわ」
 緩やかな風を受けて、揺るぎない双眸と笑みを湛える姿に、真田達は少し驚いていた。
 今の状況でその強気は無謀とも言えるが、選手というのはそういう生き物だ。少なくとも、はそう思う。苦しい状況の試合ほど熱くなれて、絶対に負けたくないと強く思う。
 ……もう、ここ暫く忘れていた感情だったけれど。
 それに動いたのは幸村で、近くに置いてあった自分の鞄からラケットを取り出して、真田のいるコートの中に立つ。
「丁度良かった。僕もそろそろ、君とやりたいと思っていたからね」
 穏やかに微笑んでいるが、やはり彼も選手であって愉しげな笑みを浮かべていた。
 それを見て微かに笑ったの隣りには、いつの間にかベンチに座っていた筈の柳が立っていた。手には使い慣らしたラケット。
 が、訝しげな表情で問う。
「……何のつもり?」
「別に。ただ、お前と共にやってみたい――そう思っただけだ」
 何の感情も含まない声音で言う柳の横顔を見つめて、は零れるように笑んでから自分も対面コートへ振り向いた。
「――いいわ。特別に、私のパートナーを許可してあげる」
「それは有難いな」
 台詞めいた会話の後、は嘲笑にも似た挑戦的な微笑みで真田達へと言い放つ。
「さぁ、かかっておいでよ」
 それが、試合再開の合図だった。