Vol.4


 丸井ブン太が大幅に遅れて部活へ向かうと、見慣れない女子生徒がそこにいた。
 コートの隅にあるベンチに座っていたのは制服姿の女の子。何をする訳でもなく、周囲の視線を気にも留めず、ただジっとコートで打ち合っている真田と幸村の姿を目で追っている。
 その様子を丸井もベンチの後ろから見つめていると、気付いた彼女が振り返って微笑んだ。
「こんにちは」
「……アンタは?」
 穏やかな仕草の少女に、丸井が不思議そうに尋ねると笑みを深めて彼女は答えた。
。君は?」
「俺は丸井ブン太って言うんだ。アンタは、こんな所で何してんだ?」
「部活見学だよ」
 彼女の質問に答えながら自分もベンチの前に回って、の隣りに座る。
 見学していることは言われなくても判っていたが、女子が見学に来てるなんて初めてだから不思議だった。
「見学って…何?マネージャー志望とかだったら、無理だと思うよ」
 少し呆れ気味に言いながら、丸井は頭の後ろで腕を組む。
 元々、この男子テニス部に女子マネージャーはいないし募集もしてない。一年の丸井は詳しいことを知らないが、志望者はいたらしいが殆どの女子が男子目当てという、不純な動機だったらしいからだ。
 けれど隣りの少女は、前方のコートに目を向けたまま苦笑した。
「まさか、私は柳君と幸村君に強引に誘われて、見学に来てるだけだよ」
 笑顔で否定しながら断言するに、丸井は瞠った。
 女子を部活へ連れてくるような人物に心当たりがない訳ではなかったし、幸村ならまだ納得できるにしても、大人しい柳が女子を連れてくるなんて予想外で丸井は大袈裟に驚きの声を上げた。
「へぇ〜柳達がねぇー…そりゃおっどろきー」
「そういう、意味じゃないんだけど。なんか私、柳君達にテニス部へ勧誘されてて」
「それって女子部にってコト?だったら何でこっちにいんの?」
「…その方が、手っ取り早いと思ったんじゃないかな?」
 隣りで話す小柄な少女に、丸井は不思議な感じを抱く。
 はっきりとしてる訳ではなかったが、彼にはが他の女子達とどこか違う気がした。
 丸井がもっている女の子のイメージは、極端にいえば"騒がしい"だ。彼がもつ環境の所為もあったが、どうしてあんなに女子はお喋りが好きなのか不思議だった。
 けれどの雰囲気は、違っていた。同級生達とは。
 穏やかというよりは大人びているのだ。そう、人種でいうと確かに柳や幸村達に近いんだと思う。
 そんな彼女を改めて見つめて、不思議そうに見返してくるに丸井は楽しそうに笑った。
「じゃあ、もテニスやるんだな。俺・見てみたいな、お前のテニス」
 無邪気に言う丸井に、今度はが怪訝な顔をした。
「………どうして?」
「だってなんか、面白そうだもん。って」
 そして嬉しそうに紡がれた言葉に、彼女は面を食らったように驚いて目を丸くした。それから顔を逸らしたかと思えば俯いて、は可笑しそうに苦笑しているようだった。この時、丸井にはそれが彼女にとって珍しいことなのだとはまだ知らない。
「そんなこと言われたのは初めて。別に、私のプレーは普通だけど?」
「あ、そういうんじゃなくて、が!お前自身が、面白いヤツだなーって」
「それも初めてだよ。……ココは変わってる人達が多いね、柳君」
 笑いを堪えながらが振り返るのにつられて見ると、いつの間に来たのか。柳に、同じ一年部員の柳生比呂士にジャッカル桑原。
 向けられた問いに、柳は少し肩を竦めてからの横に立つ。
「…それは俺も入っているのか?
「ご想像に任せるよ」
「確かに、個性的な人達が集まっていますからね」
「てかブン太!お前チコクっ」
 柳と達の会話に続けて、丸井に忠告するのは色黒でハーフのそれだと判る顔立ちをした桑原だ。けれど当人は聞こえない、とばかりにそっぽを向いた。その態度に桑原はもちろん怒って隣りの柳生に宥められる。
 その様子を笑顔で不思議そうに眺めていたに、気付いた柳生が話しかけた。
「自己紹介が遅れてしまい、申し訳ありませんさん。私は柳生比呂士と申します。そして彼が…」
「ジャッカル桑原だ。宜しくな」
 対照的な二人の自己紹介に、彼女はいつものように微笑って答えた。それを見計らったように柳が問いかける。
「それでどうだ?見学の感想は」
 その言葉に、の表情が微かに変わったように丸井は感じた。
「………巧いね。あの二人」
 視線は先程からラリーを続けている幸村と真田に向けられていた。値踏みするような眼差しで、他の部員達を一瞥して背をベンチへと預ける。
「まだ一年だから仕方ないかもしれないけど、他の子達が打ち返すのにも精一杯に対して、あの二人には余裕があるしコートの広さを充分に活かしてる……慣れてるね」
 先輩達がいないことで、一年生達がコートを交代で使って打ち合っているのだが、まともに出来ているのは幸村達ぐらいだった。
「ま、柳を含めたあの三人は特別だからなぁ」
「…化け物、ってヤツ?」
 投げ遣りに呟いた丸井に、はどこか愉しそうに付け足した。
 噂くらい聞いたことがあるのだろう。
 『今年の男子テニス部には強い新入部員がいる』のだと。
「そうですね。彼らはほぼ、レギュラー決定でしょうから」
 そんな話をしていると、不意にの方へテニスボールが転がってきた。見れば、前方のコートにいる幸村がこちらへ手を振っていて、反対側の真田はなにやら怒っているようだ。
「ごめんっさん。ボール取って貰えるかな?」
「お前ら!何をサボっているッ!!」
 どこまでも真面目だな、と呆れ気味に思っていた丸井の隣りでボールを拾ったに、なぜか柳は持っていたラケットを差し出していた。
 その意図を悟ったのだろう、はラケットを受け取ってボールを軽くバウントさせる。
「――避けててね、幸村君」
 彼女はそう言ってボールを投げ上げてサーブ体勢に入る。
 そして、滑らかなほどに綺麗なフォームでボールを打ち放った。
「「「っ…!」」」
 誰もが息を飲んだ。が打ったボールは、見事に真田側のコートへと入っていた。
 しかもベースラインギリギリを狙って。
「す…げぇ……」
 丸井が思わず呟く。ボールの速度もそうだが、彼らがいるベンチから真田がいる側のコートまでの距離は通常のテニスコートの長さより倍はある。それをは難なく打ったのだ。
 周囲が呆然とする中で、柳だけは冷静にその光景を眺めて満足そうにしていた。
「流石、だな」
 誰ともなく告げた言葉には持っていたラケットをくるり、と軽く回転させて柳へと差し出しながら強気に微笑った。
「このくらい、君達には朝飯前でしょ」
「…確かに」
 悪びれもなく言う二人に、丸井は興奮にも似た眼差しでを見ながら。
 やっぱ面白いヤツだ、と期待に胸を躍らせていた。