Vol.3


 授業が終了して、柳が幸村と部活へ向かおうとしていた時。
「――柳、アレ・さんじゃない?」
 その声に振り返れば、廊下の先にいたのは確かにで、丁度図書室へ入っていくところだった。
 読書でもするのだろうかと、柳がぼんやり思っている隣りで何か思い付いたように振り返った幸村は愉そうに笑う。
「僕達も行ってみようか?」
「……いや、これから部活だろう」
「構わないよ。どうせ、今日は先輩達いないんだし」
 そう言ってさっさと図書室へ向かう幸村に、彼は苦笑と共に溜め息を吐いて自分もその後を追った。










 図書室は、それなりに利用者が多かった。
 微かな囁き声はするものの、そこには図書室という空間独特の静けさがある。その中で、目的の人物は室内に置かれた隅の長机で読書に耽っていた。
 幸村は迷わず彼女の許へと向かっていく。
さん」
 邪魔になると判ってはいるのだろうが、幸村は躊躇わずへと声をかける。彼女は本に落していた視線だけを柳達に向けてから、ゆっくりと顔を上げながら微笑んだ。
「…あれ、幸村君に柳君。珍しいね、君達がココにいるなんて」
「君に用があってね」
「私に?」
 穏やかに微笑む様は、あの日に見た冷めた態度とは違い、普段通りのだ。
 端から見れば人の良さそうに見えるが、その実、全く隙を見せてないように柳には見えた。向かい合う幸村も、少なからず感じてはいるだろう。
 首を傾げるに、彼は向かいの椅子に座りながら続ける。
「君が拒んでいる、部活に入らない理由を知りたくて」
 が微かに片眉を上げたのを柳は見逃さなかった。けれどそれはただの驚きだったようで、小さな溜め息の後、彼女は読んでいた本を閉じて幸村の隣りに座った柳へと振り向いて微笑む。
「幸村君に協力させるなんて、君も熱心だね柳君。悪く言えば、しつこいのかな」
「…否定はしないが。生憎、俺より幸村の方がこの話に乗り気でな。呆れていた処だ」
 予想外だったという程に、肩を竦めて苦笑する柳には少し驚いたようだった。それは乗り気な幸村に意外だったのか、呆れる柳に意外だったのかは判らなかったが。
「そうなの?……私はそんな、期待出来るような人間じゃないよ?」
「謙遜しなくて良いよ。まぁ、僕は実力云々より君自身に興味があるだけだから」
 愉そうに笑う幸村に、もクスリと微笑った。しかしそれは微かに自嘲したようにも見えた。
「それは作戦なの?それとも、本当にナンパ?」
「興味があるのは本当だよ。部活に誘うという意味では、柳と一緒でナンパに近いかも。ね、柳?」
「幸村……」
 またややこしい発言をする彼に、柳は疲れ気味に呟いた。
 幸村を引き合いに出したことを少しばかり後悔する。…遅かれ、彼を巻き込むことに変わりはなかっただろうが。
「余り、を困らせるような事は言うな。ただの軽い男に思われるぞ」
「柳が誘いたがっていたじゃないか。それに心外だな、紳士的と言ってよ」
「それは柳生のような奴の事だ。お前は自覚してやっているだろう」
 言い争いというには少し遠い会話を続けていると、置いていかれていたが少し吹き出すように笑った。
「…君達、仲がイイのね」
 思わぬ台詞に柳達は顔を見合わせた。
 悪くはないと本人達に自覚はあるとはいえ、他人から仲良しだと言われるのは意外だった。
 それで機嫌を良くしたのか、は改めて柳達へ向き直りいつもの笑顔を見せる。
「君達の好意は嬉しいけど、私もそんなに暇じゃないわ。それに、柳君は私の実力を本当に知っている訳じゃないし、幸村君だって本当に信じてる訳じゃないんでしょ?」
「でも、確かめたいと思ってるのも本当だよ」
「…物好きね」
「好奇心旺盛と言って欲しいな。それは、柳も一緒だよね?」
「いや………まぁ、そう言えなくも、ないか?」
「「いや、訊かれても」」
 柳は二人にツっ込まれてしまった。
 軽くショックを受けていると、が少し顔を隠すように手を添えて少し俯く。
「……やっぱり、喋り過ぎてたかな…」
?」
 呟くような声に、見ると彼女は真っ直ぐ柳の方を見つめて――あの時と同じ、眼差しで尋ねる。
「ねぇ、柳君」
 それが少し悲しそうに見えたのは、気のせいだったのだろうか。
「どうしてあの時、放っておいてくれなかったの?」
「…それは――」
 衝いて出て柳の言葉は、後ろから発せられた怒気の含む声に遮られた。
「おい…っ」
 振り返ると、そこにいたのはどうやら怒っているらしい部活の練習着姿の真田だった。
 見るからに凄い剣幕を表している。けれど幸村は、ケロッとした様子で彼に向けて声をかけた。
「どうしたの?真田。そんな息切らせて」
「どうしたじゃない…っお前ら、こんな所で何をしている…!?」
 恐らく二人を捜して校舎中を走り回ったのだろう。呼吸を整えようとしている真田に、この後の事態が予想出来た柳は少しだけ視線を仰いだ。机を挟んで座るはキョトンと不思議そうな顔をしている。
「部活はとっくに始まっているのに、何故お前らはこんな所で油を売ってるんだ!!?」
 叫びにも似た怒声は、思いの他室内に響き渡り生徒達の注目を浴びる。
 そしてすぐ後ろで聞こえた咳払いに振り返れば、ご立腹な係委員が立っていた。
「「あ…」」
 我に返った真田と幸村は気まずそうに呟き、柳は溜め息をついた。
 そうここは、多くの生徒が静かに読書をする図書室なのだ。
 しかしそんな気まずい空気を打ち破ったのは、なぜか楽しそうな、の笑い声だった。
「はは……っ君、面白いね」
 自分が笑われていることに気付いて、真田が微かに紅くなる。けれど、柳達は驚いていた。
 が声を上げて笑うところなど初めて見たからだ。
 今も笑いを堪える彼女は、戸惑う真田に向けて意地悪そうに微笑む。
「でも、図書室で大声はいけないなぁ。周りに迷惑だよ」
 愉そうに尤もらしいことを言うに、真田は恥ずかしさを必死で隠しているように見えた。















 ―――結局。
 図書室で騒いでしまったことで、柳達は追い出されるように教室から出ていった。
 今は校舎の廊下を、が前を歩いてその後を柳と幸村達がついて歩いている。
「…折角読書してたのに、これじゃ目を付けられて図書室に行き難くなっちゃうなー」
 穏やかな笑顔で言ってはいるが、は珍しく怒気を孕んでいるように柳達へ振り返る。
 無理もない。読書タイムを邪魔された上に、問題を起こして図書室を出る羽目になったのだ。柳と幸村もそんなつもりは無かったにしろ、申し訳ないと反省はしていた。
 無論、その大元になった真田は罪悪感だらけな訳で。
「……悪かった。俺もあんな所で大声で怒鳴って、注意が足りなかった」
「あ…ううん、君は悪くないよ。部活をサボってた二人を捜して呼びに来たんでしょ?えっと…」
 珍しく小さくなって謝罪する真田に、は慌ててフォローしながら言い淀むのを見て柳が気付く。
「真田弦一郎だ。俺や幸村と同じテニス部の一年」
「そう。私は 。悪いのはそこのクラスメイトの柳君と幸村君だから気にしないで」
「これまたはっきりと言ってくれるなぁ、さんは」
 にっこりと笑う彼女に、幸村も笑って誤魔化す。何やら放っておいたら凄いことになりそうな予感がした柳は、話を変えることにした。
「…。俺達の部活を見学していかないか?時間、余っているだろう」
 その提案にの動きが止まった。驚いたのだろうが、表情には出ていない――というより出さなかったのだろう。反応は溜め息に変わった。
「確かに、今日は読書する予定だったから時間は余ったけどね………そうまでして、部活に入れたいの?」
「いや、ただ見学しないかと言っているだけだ」
「そうだね。折角だし、ヒマならそれでも良いんじゃないかな?」
 あくまで提案として誘う二人に、彼女は少しだけ考える素振りを見せて息を吐いた。それはどこか諦めに似ていた。
「でも、良いの?他の先輩とかもいるんでしょう?」
「大丈夫だよ。今日は先輩達出払ってるし、練習してるのは一年だけだから」
「………判った。じゃあ、見学させて貰うよ。どうせヒマだしね」
 そう言って承諾するは、苦笑いしていた。
「じゃあ、真田と二人で先に行っててくれるかな?僕達は着替えるから」
 幸村がまた愉しそうに言うと、真田は驚いて困った表情をした。
 まさか自分が頼まれるなんて思っていなかったのだろう。困惑する彼には笑って、真田を促す。
「案内お願いね、真田君」
「あ…あぁ……」
 ぎこちなく歩き出す真田との後ろ姿を眺めていると、隣りの幸村が不意に呟いた。
「――なんとなく、判ったよ」
 少し弾むような声に、振り向くと顔を窺うように見つめ返してきた彼はどこか、嬉しそうに。
「君があの子を気にかけていた理由がね」
 その言葉に柳は答えないまま、彼もまた少し優しい笑顔を浮かべて、コートへと歩いていくの背中を見送った。