Vol.2


 教室を出ると、女生徒達とブツかりそうになった。

「…スマン」
 真田弦一郎が少し避けて謝罪すると女子達は驚いて、というより怖がりながら足早に去っていく。
 それを彼は無表情で見送り、すぐに廊下を歩き出した。いつものことだ。
 自分の外見上、女子達から怖がられることには慣れている。
 本人がいつも怒っているような険しい表情をしているからもあるが、あそこまであからさまなのもどうかと真田は思う。まぁどうでも良いことだが。
 その生まれつきの、まだ幼さの少し残る大人びた表情のまま、真田は用のある柳と幸村のクラス前まで訪れる。
 入り口から彼らを呼び出そうとして、今度は教室から出てきた女生徒とブツかってしまった。
「――わ…っ」
 小柄で真田の頭分ほどか背の低い少女が彼に衝突したことで少しよろめく。幸い、少女は自分で持っていた本を落してはいなかった。
「悪い…大丈夫か?」
 俯く彼女を心配そうに見下ろしながら謝ると、少女は肩よりも少し長い黒髪を揺らして顔を上げ。
「……こっちこそ、ごめんなさい」
 真田へと、穏やかに微笑んだ。
 それが真田にとって余りに意外なことだった為、彼は息を飲んで驚く。
 固まっている彼には気付かず、少女は教室を出て廊下を去っていった。その背中を、半ば呆然と眺めていると背後から声をかけられる。
「――そんな所に立っていては通行の邪魔だぞ」
「見とれるほど、可愛い女の子だった?」
 冷めた言葉とからかい混じりの言葉に振り返ると、そこにいたのは真田の友人で部活仲間の柳と幸村。
 意味有りげに微笑む幸村に、彼は向き直りながら呆れるように息を吐く。
「…何の話だ」
「アレ?だってさっきのさんだよね。てっきり真田も彼女に興味をもったのかと思って」
……?」
 聞き憶えのある名に、訝しげに柳へ視線を移す。
「お前が昨日、部活で言っていたあのか?」
「あぁ」
 端的な肯定に真田はますます顔を顰めた。あの少女が本当に柳の言っていた名プレイヤーとは、俄かに信じ難かったからだ。
 よく観察した訳ではないが、どう見てもあの少女は普通の女子中学生だ。肩も腕も細かった。
 確かに、人というのは外見でどうこう判断出来るようなものではないが、まだ中学生の彼らにはその経験も浅いといえる。
 その沈黙に、真田の考えていることを悟ったのだろう。柳は少し肩を竦める仕草をして彼へと振り向く。
「…まぁ、俺も実際に試合を見た事がある訳ではないが、アイツを部活に誘いたい理由は、それだけじゃないと言っておく」
「他にどんな理由があると言うんだ?」
 突き放したような問いに、柳が少しだけ優しく微笑ったように思えたのは、真田の錯覚だったのかもしれない。
「………お前も、アイツと話せば判るかもしれない」
 曖昧な回答に真田はまだ納得していないようで、柳は苦笑する。そして隣りの幸村は相変わらず愉そうに微笑みながら口を開いた。
「一つ、面白い事を教えようか真田」
「なんだ?」
「入学してすぐにあった体力測定で、持久走があったよね」
 それは丸一日を使って行われた個人の体力値を測るものだ。恒例行事とはいえ、殆どの生徒が面倒臭がっていたあれが何だと言うんだ、とでもいう表情で真田は続ける。
「それで、アイツがとんでもない記録でも残したと?」
「いや…順位は、平均的だったと思うよ。ただ」
「……それなりの距離があった中、は走り終えても汗は勿論、息一つ乱してはいなかった」
「………」
 柳の淡々とした言葉に彼は少し沈黙した。
 持久走の距離は精々が校庭のグラウンド十数周という程度だ。だが、走り慣れていない生徒にとってはかなりキツい筈。それを苦もなく走り続けたとなれば。
「手を抜いていた…というよりは、慣れているんだろうな。身体を動かす事に」
「少しは、納得した?」
 柳達の言葉の意とするところは判った。真田も別に頑なに拒否している訳ではない。ただ、彼がをよく知らないというだけだ。
「…それは間違いないのか?」
「お前だって知っているだろう。俺の得意分野」
 珍しく間の置かない返答に、少し目を丸くして真田は思い出す。
「……あぁ、データテニスだったな。そういえば」
 データを武器に、計算して試合をする柳のプレイスタイル。それはテニスだけでなく、日常でも彼の身についているものだ。
 だからその情報も正しいのだろう。なぜか知らぬ内に、幸村の方も彼女に興味をもっているようだ。
 少なからず、真田も彼女が少し普通の女子とは違うとは思っていた。

 真田を見て、驚くどころか微笑んだ者など、が初めてだったからだ。