秋も深まり、寒さをより強く感じ始めた11月の終わり。 昼食を食べ終えた不二・菊丸・の三人は、次の授業の移動教室へと向かう為に校舎の一階の廊下を歩いていた。 他愛のない話をしていた時、前方を歩いていた菊丸が窓の外に広がるグラウンドを見てふと気づく。 「――アレ、おチビちゃん達じゃね?」 「え?」 残りの二人が菊丸の示す方へ目を向けると、そこには制服姿の越前が、恐らくクラスメイト達なのだろう。この寒空の下で、仲よくバスケを興じていた。 「ホントだ、元気だね」 「…元気だねー」 笑顔の不二の言葉に、も苦笑しながらその光景を見つめて呟く。 越前がテニス以外の競技をするなど珍しかったが、それ以前に同級生と何かをすることの方が珍しかった。恐らく無理やり付き合わされているのだろう。 けれど彼の性格上、負けるなんて嫌だろうからそのプレイは遊びとはいえ、本気のようだった。 そう思っては越前らしいと、無意識に笑みを零した。それはそれは、とても穏やかな微笑みを。 だから、それを隣りで見ていた不二は息を止めた。 同じようにグラウンドを見ていた菊丸が、何かを思い出したようにへ振り向いた。 「そういえば、最近・って越前のトコに行かないよな?」 「…そうだっけ?」 彼の疑問に、もまた首を傾げて訊くと菊丸は天井を仰ぐ。 「んー前はもっと行ってたっしょ?テニス部の練習にも来ないって、桃が言ってたし」 言われて彼女もそうかもしれない、と考えるように視線を宙に向ける。 越前の所というのは正確には越前のいる一年生のクラスで、元々学年が違うから彼女が頻繁に会いに行くことはない。 それとは反対に、テニス部の方は元部員であるから引退した後もちょくちょく遊びに行っていた。 だがそれも最近ではぱったり無くなっているから、気になったらしい菊丸が訊いたようだったが。 訊かれた本人は少しの間の後に、伏せるように微笑んで告げた。 「勉強で忙しいからね。越前も、そんなに来られたら迷惑でしょう」 「そっかなー?まぁ、忙しいならしょうがないけど」 どこか納得いかないといった風の菊丸に、は笑うだけだった。それを遮るように、不二が菊丸へ話しかける。 「――英二。確か今日、日直だから早く行かないといけないんじゃない?」 遊びに誘うような気軽さで言われて、一度立ち止まった菊丸の表情がみるみると驚きに変わる。 「そうだった!授業の資料出し頼まれてたんだった」 先に行ってる!と言い残して去っていく彼を、不二は笑顔でが手を振って見送る。 「廊下走っちゃいかんよー」 「」 聞こえてはいないだろうなと思いながら言う彼女に、不二が名を呼んだ。 それはどこか縋るようなニュアンスが含まれているように感じて、は思わず振り返ったが、そこにはいつものようににこやかに笑う不二の姿があった。 「今日の放課後って、空いてる?」 だからは質問の意図には触れることが出来ず、素直に肯定したのだった。 授業が終わり、は不二に連れられて写真部の部室へと来ていた。 「へぇーっいっぱい写真が飾ってあるんだね」 「写真部だからね」 彼に促されて入った部室に部員の姿は見えなかったが、室内の壁には様々な写真が引き伸ばされて貼られていた。写真に詳しくないでも綺麗と思える空や山、そして人物写真を彼女は物珍しそうに眺める。 昼休みに不二から『放課後付き合って欲しい所がある』と言われて、特に予定もなかったは彼の申し出を受けた。 行き先を教えてくれなかった為、彼女はどこへ行くのだろうと思っていたが。着いた場所の表札を見て、不二が写真を趣味にしていたのは知っていたからすぐに納得した。 「ここの前部長と仲が良くてね。前からよく来ていたから、部員達とも知り合いで今でも遊びに来てるんだ」 「へぇーでも、私が入っちゃって良かったの?」 「機材とかに触らなければ大丈夫だよ」 「部員の人達は?」 「今日は屋外撮影らしいよ」 「そうなんだ」 不二と話しながらも、彼女の視線は飾られている写真達へと向けられている。 興味津々に眺めるその表情は、可愛いとさえ思えて彼は苦笑した。 ゆっくりと歩きながら写真を見つめる彼女を眺めながら、不二は窓側の低い棚に腰を降す。外のグラウンドからは窓を締め切っていても、屋外部活の部員達の掛け声が聞こえる。 暫く会話もなく写真を見ていたが、中央の机に置かれた一つのカメラを見つけた。 「あれ?これだけ出しっぱなし?」 それは写真好きの人が好んで使うような一眼レフのカメラだった。 雑然ながらも種類別に整理されているだろう部室の中で、不自然に置かれたそのカメラに首を傾げていると不二があぁ、と呟く。 「それ、僕の」 「えっ不二のなの?」 「うん。現像とちょっとメンテナンスもお願いしてたから」 驚く彼女に、不二はにこやかに答える。 確かに彼は普段からコンパクトカメラを持ち歩くほどの写真好きだ、本格的なカメラを持っていてもおかしくはないとは再び納得する。 「凄いなぁ…コレ、触ってみても良い?」 「どうぞ」 どこか楽しそうに訊いてくる彼女に、苦笑を隠して答えると今度は嬉しそうな表情でがカメラを手に取る。 そのカメラを持つ手は、決して乱暴なものではなく、大事に持って観察する彼女に自然に笑みが溢れた。 「結構・重いんだね」 「そうだね、慣れてない人にはそう感じるかも」 「ふーん…どれ」 そう言ってはシャッターを切るように、持っていたカメラを顔の前に構えてレンズを覗いた。 見つめた先は不二で、レンズ越しの彼も同じように自分を見つめていた。 それは、言葉に出来ないほどの真剣な眼差しで、は息を呑む。 「不……」 「――僕は、いつもそうやって君だけを見てたんだけどね」 抑揚なく告げた不二が窓際から離れて、の許へと歩み寄る。 それは早くもなければ遅くもない足取りだったが、にはとても早く感じ、不二はとても遠い距離を歩いているように感じた。 目の前へ来た不二は、彼女が持っていたカメラを優しく取って横の机へと置く。 見るからに固まっているに、一度微笑んで告げた。 「好きだよ」 二人しかいない静かな部室で、それはやけに響き渡った。彼女の耳にも、胸にも。 「っ…」 何か言わなければと開いた口は言葉を成さず、は視線を彷徨わせる。そんな彼女を眺めながら、目を伏せて不二は切り出した。 「やっぱり、僕じゃダメだったのかな」 「え…?」 独り言のような呟きにが顔を上げると、その頼りない表情に抱き締めたい衝動を抑えてにこりと笑う。 「好きな人、いるんでしょう?」 「へっ…何で?」 「その戸惑いを見れば判るよ」 驚く彼女に口ではそう言ったが、不二が本当にそう確信したのは今日の昼休みだ。 グラウンドにいる越前を見つめる姿が、表情が。が纏う総てが優しく、切なく見えたから。 だから不二は判ってしまった、悟ってしまった――この恋は実らなかったのだと。 いつも見ていた先の彼女が見ていたモノは、自分ではなかったのだ。 「そっか…」 暫くの沈黙の後、彼の顔を見つめていたは一度視線を落としながら呟いて。 「――…ゴメンね」 次に顔を上げた時には、明るく微笑っていた。 それは哀しみを帯びた笑みで、目にした後には衝動的に彼女の腕を引いて抱き締めていた。 「……言ったよね。僕の前ではムリに笑わなくても良いよって」 まるで顔を隠すように抱き締める彼の言葉に、腕の中の少女は年齢にそぐわない口調で答える。 「それはお互い様でしょ。不二だって、さっきから笑ってる」 言われて初めて、自分が無意識に笑顔を作っていたことに気づく。 きっとどこかで断られるのを怖がっていたのかもしれない。こうして笑っていれば、彼女も自分も傷つかないんじゃないかと。 けれどそんなモノは無意味で、真正面から向き合っていないことと同じ気がした。 それでも顔を見ることは出来なくて、を抱き締める腕に力を込めてもう一度告げた。 「――好きだ、」 「うん、ありがと」 返事は待ち望んだモノではなかったけれど、それでも優しいモノで。 夕暮れへと緩やかに進む、静かな教室の中。 弱々しく、彼の制服の袖を掴むことしか出来なかったの手が。 その彼女の存在自体が、不二には愛しく思えていた。 †END† 書下ろし 11/10/25 |