昼休みにはまだ早い校舎の階段を、越前は下っていた。 時間もまだ授業中で、彼は失敗したと内心で悪態つく。右手の指がやけに痛んだ。 越前のクラスは今、美術の授業で工作をしていた。 普段なら面倒臭いという理由でやる気が出ないのだが、今日の彼は別のことで身が入らなかった。 それは今朝、昇降口で見かけたが気になっていたからだ。 不二と話していた彼女は、明るく見えたが少し様子がおかしいように思えた。そんなことをカッターを使っている最中に考えていた所為で、注意が逸れて指を切ってしまった。 我ながら情けないと、イラつきを吐き出すように溜め息を吐く。 だがイラついているのは自分の不注意に対してではないことを、越前は自覚していた。 階段を下りながら、彼は僅かに目を伏せてからしっかりと開ける。 判っていることだった、が不二と仲が良いことは。 不二に限らず彼女はテニス部の先輩達と仲が良い。何を今更と、自分でも思う。 しかしああして見せつけられると、情けないが嫉妬するのは当然だろうと思う。 ――己の想いを自覚して、向き合ったなら尚更。 そんなことを考えていた時、明るい声が耳にとび込んできた。 「あれぇ?越前君だーどうしたのー?」 声のした方へ視線を向けると、下の廊下から女子が現れたのが見えた。 越前は一度立ち止まり、笑顔ながらも不思議そうに見上げてくる彼女に思考を巡らせる。それを察してか、恐らく先輩だろう女子はあれ?と小首を傾げた。 「ヒドイなー何度か会ってるのに憶えてない?女子部で部長だった皆森だよー」 困った表情を見せつつも、それほど気分を害した様子のない彼女の自己紹介に越前はあぁ、と思い出す。確かに何度か、と一緒のところを見たことがある。 思い出してくれたところで、体育の授業だったのか体操着姿の皆森は人懐っこさを感じさせる笑顔で彼に尋ねる。 「もしかしてサボりー?」 ダメだよーと言いながらも全く咎めていないような彼女に、階段途中で止めていた足を動かし、下りきってから越前は反論する。 「指切ったから保健室に…」 ほら、とでも言うように血が出ている指を見せると皆森は顔を少し引き攣らせた。 「ありゃま、結構深く切っちゃってるねー」 そう言って何やら止血出来る物を探しているようだったが、体操着だったことを思い出した彼女は両手を広げて苦笑する。 「ごめんねー今・ハンカチとか持ってなかったよー」 「イイっスよ別に」 越前は気にせずに彼女の横を通り過ぎて、保健室へ向かおうとした時。不意に皆森に呼び止められる。 「――ねぇ、越前君。サンのコトどう思ってる?」 唐突にそんなことを訊かれ、越前は思わず足を止める。 なぜそんなことを自分に訊くのか、怪訝な表情で皆森へと振り返った。 「…どういう意味っスか?」 まさか、自分の気持ちを気づかれている訳ではないだろうが、訊き返す彼に皆森は平然と、寧ろいつもの明るい笑顔で続ける。 「そのままの意味の質問だよ。……誰かサン曰く、ちゃんと見守っておかないと危なっかしいんだってさ」 その誰かは大方見当がついたが、越前はそこには触れず、一度目を伏せて皆森へと向き直る。 「…確かに、先輩は危なっかしいところはあるっスけど」 以前は明るくて時に強さを見せる不思議な人だと思っていたが、それだけではなく脆さも持ち合わせた人だと、越前はこの数ヶ月で痛いほどに理解した。 そんな彼女だからこそ傍にいたいと思い、好きだと想った。 「――無謀って訳じゃない」 そう、は頭の良い人だからきっと自分以外の色々なことを考え、だから思い詰めて一人で先に進んでしまう。 「…そうだね」 自分の思っていたことを察したかのように、笑顔の中に淋しさを帯びて笑う彼女は一度目を伏せて歩き出す。 「変なコト訊いてゴメンねーサンによろしくー」 その時にはいつもの皆森で、手を振りながらそう言って去っていく。それを見送りながら、最後の言葉が気になったがすぐに思い直して越前は保健室に向かうことにした。 そこで、彼は皆森の去り際の言葉の意味を知ることになる。 |