授業が終わった、その日の放課後。
 私はテニス道具を片手に、菊丸と共に男子テニス部のコートへと赴いていた。
 けれどそこはいつもより騒がしく、フェンス近くでは何人もの女子達が黄色い声を上げている。
 首を傾げてると、先に来ていた乾が私達に気づいて声をかけてきた。
「なんだ、二人だけか?」
 昼休みのやり取りを含めて意外そうに訊く彼に、私は少し落ち込んだ素振りで呟いた。
「逃げられた…」
「手塚か?」
「生徒会があるんだってさー」
 暗い私に、隣りにいた菊丸が苦笑しながら明るく答えた。
 不二の方も教師の呼び出しで遅れてくることになっている。
 折角・出掛ける約束をしてたのに(手塚は無理やり参加させるつもりだったけど)、用事が出来ては引き止められないと。
 私は菊丸と男子部へ遊びに来たという訳だ――それにしても。
「随分ギャラリーが多いね」
 ふと向けたフェンス前の女の子達に、乾は特に何の感情も含まずに答える。
「まだ練習前だからな」
「ていうか、桃達目当てでしょー」
 ニヤニヤする菊丸に言われなくても、それは誰が見ても一目瞭然だった。
 練習開始時間の前に、一つのコートを占領しているのは、その女の子達の声援を浴びている中心人物達。
 レギュラーで二年の桃城と、一年の越前だ。
 そこで私は、騒ぐ彼女達の声を聞きながら彼らを見て改めて思う。
 ルックスは勿論、これだけ運動神経がずば抜けてる男の子達が揃っているのだ。
 そんな有名人の彼らを、女子達が放っておく訳がない。
 僅かに呆れを滲ませる苦笑を浮かべながら私が声援を聞いていると、大半は桃への呼び声なんだけど。
 その中に越前を呼ぶ声もあって、少し目を丸くした。
「……越前て、モテるだねぇ」
 何となく呟いた私に、驚いた様子の菊丸と乾がそれぞれに口を開く。
「まーおチビちゃんもそれなりに人気みたいだにゃー」
「あぁ…越前は先日、告白してきた女子を泣かせたらしいからな」
「「え"っ」」
 乾の言葉に、越前が告白されてた事実よりその情報を手に入れてる事実の方に私と菊丸は驚いた。

 ホント、どこから収集してるんだか…。

 油断も隙もないと、警戒しながら横目で未だ声援を送る女子達を見て。
 私は少し考えるように、空を仰いだ。
 その時、急に騒がしかったフェンス前が静かになったから何事かと見てみれば。
 余程、騒がしかったのが気に障ったのか。アップを済ませた海堂がいつもにも増して睨みを利かせてたから、どうやら女の子達が怖がって黙ってしまったらしい。
 可哀相にと少し同情してると、それに気づいた桃城が私達にも気づいて駆け寄ってきた。
「先輩達、来てくれたんスね!」
 笑顔で駆けて来る彼に、菊丸が片手を上げて声をかける。
「よ!モテモテじゃん、桃」
 すると、元レギュラーの菊丸と乾の登場でギャラリー達からどよめきが上がって、私は内心で苦笑した。
「そ、そんなコトないっスよ」
「またまたーちゃっかり声援なんて貰って、喜んじゃってるでしょ」
「顔がニヤけているしな」
「えっ?顔に出てるんスか!?」
 桃城をからかって楽しんでいると。
 本人達は声を潜めているつもりなんだろうけど、その言葉達はしっかり私の耳に届いていた。
「――…ねぇ、誰?あの人」
「何で桃先輩と馴々しく話してるの?」
「ほら、例の女子部の3年生」
「へぇーホントに男子部の人達と仲良いんだぁ」
 好奇というより、嫉妬の念が強い視線を背後に浴びながら私は意味のない溜め息をついた。
 それは自分達が遠巻きでしか声のかけられない彼らと間近で話していれば、腹は立つだろう。
 予想はしてたし、以前も立海にいた時に経験してるとはいえ。やっぱりこういう状況は面倒臭いものだ。
 内心で考えていた私に、菊丸達と話していた桃城が訊いてくる。
「じゃあ、今日は先輩も練習に参加してくれるんスか?」
 嬉しそうに訊く彼に申し訳ないと思いながらも、私は苦笑して輪から離れようとする。
「…ううん、今日はこのまま帰るよ」
「えっ何で?折角来たのに」
「練習の邪魔しちゃ悪いし」
 驚く菊丸が引き止めてくれるけど、このままここにいて練習にまで参加したとなれば余計な噂が立つのは必至な気がしたから、私は帰ろうとした。
「――先輩、ウェア持ってるんスよね」
 すると後ろから声がかかり、振り返るとそこには越前が立っていた。
 今までの話を聞いていたのか、少し真剣な表情の彼に私は反射的に答える。
「え…うんまぁ」
「じゃ、この間の続きやらないっスか?」
 返答を聞いた越前は不敵に笑いながら、私に試合を申し込んできた。
 ――そう、あの夏休みの終わりに彼の自宅でした試合の続きを。










 越前に誘われ、私は男子部の部室を借りてテニスウェアに着替えた。
 一年である彼とは違い、自分は三年で既にテニス部は引退してるから、今・私が着ているのはレギュラーウェアじゃなく淡い水色のウェアだ。
 そんな姿で現れて、越前と試合を始めようとする私に当然だけどギャラリー達がざわめいていた。
 私がその状況に少し戸惑っていると、傍にいた越前がボソっと呟いた。
「…手加減、しないっスから」
 そう言って、反対のコートへ向かう彼に驚いてから。私は内心で生意気、と思いながら対峙するコートへと入る。
 ――その時には、不思議ともう迷いはなかった。
 審判は乾に任せ、コートの周辺には菊丸を含めた男子部員達がアップを中断して私達を眺めていた。
 練習開始の前だというのに、そのコートの内も外も緊張が流れた。
 サービスは越前から開始され、打ち上げる前に彼はボールを二度ほどバウンドをさせた。
 それを見て、私は驚きながらも実際は愉しそうに笑みを零して地を蹴った。

 やってくれるね、越前!

 開始から攻め姿勢な彼のツイストサーブの急激な軌道変動に、見ていたギャラリーが驚く間もなく私が速攻で打ち返す。
 その速さに、周囲から息を飲む気配がする。
 実際に前と比べて強くなっている越前の球に、私は追いつくことで精一杯だった。
 だけどそれも打ち合ってる内に慣れ、彼が仕掛ける前に思考を巡らせる。だが――
「っ!!?」
 その隙をついたのか、ボールが私の横をすり抜けていく。
 後ろから黄色い歓声が上がり、ふと見た越前は、愉しそうに笑っていた。
「……生意気だなぁ」
 声になってない呟きを漏らして、再開するラリーに集中する。
 そして、私もやられたからには黙っていない。
 力強く打ち込んできた越前のボールを、カウンターで大きく打ち上げた。
 それは普通に見てアウトと思われた打球に、焦りを見せたのは越前だった。
 私が打ち上げたボールは、ベースラインの手前に落ちたから。
 乾のコールが響き、振り返っていた越前が私へと向き直る。
「――越前」
 それを見て笑みを浮かべ、私は彼へとラケットを向けて告げた。
「私の本気、見せてあげるよ」
 その挑戦状にも似た言葉をきっかけに、私と越前の真剣勝負の火蓋が切って落とされた。