長かった夏休みも終わり、否応にも始まった二学期の学校。 通常通りの午前授業を受け、私は不二や菊丸と共に教室で、昼食を食べ終えたところだった。 「暑ィ――っ!」 開け放った窓枠に凭れて叫んでる菊丸は、運動もしてないのに汗だくだ。 「まだ9月入ったばかりだし。仕方ないよ」 「残暑ってヤツだねぇ」 「だからって暑過ぎー」 訴える菊丸に、傍で机を囲んでいる私と不二は苦笑するしかない。 夏休みは終わったとはいえ、夏の暑さは変わらず。照りつける陽射しに誰もが茹っていた。 手で自分を扇ぎながら太陽を睨む菊丸に倣って、私も空を見上げた。 普段なら彼と同じように自分も不機嫌になっていそうだけど、今の私の心境は澄み渡っていた。 まるで、今の青空のように。 微かに笑っていたのだろう、隣りの不二が話しかけてくる。 「機嫌良いね、最近」 「え…」 「何か良いコトあったの?」 訊かれて、私は目を丸くした。 そんなに表に出ていたのかな、と考えてその理由を捜してみた。すると、ふと思い当たることを思い出して無意識に微笑う。 ――それはあの、夏休み終了間際の夕暮れ。 向かい合うテニスコートの中で、彼が向けてくれた真っ直ぐな眼差し。 私はあの時、やっと並ぶことが出来たと、心の片隅で思った。 ただ、護られていた頃とは違う。 上手く言葉には出来ないけれど、それはまるで―― 「?」 不二の声で我に返り、不思議そうにする彼に苦笑しながら呟いた。 「…機嫌が良いのは、誰かサンのお陰、かな?」 「そ…」 私の言葉の後に不二が何か言いかけたけど、それは大袈裟な菊丸の声にかき消された。 「アイス食べたいなー。買いに行っちゃおうかな?」 「え、でも購買部にアイスは売ってないでしょ」 だらけていた身体を起して呟く彼に、私は一応答える。 いくらパンなどを売っている学校の購買部でも、アイスまでは置いてはいない。 判りきってることを言う菊丸の意見に、不二はさらりと告げる。 「じゃあ、コンビニ行く?」 「いやムリでしょ」 「うわぁ超ーコンビニでアイス買いに行きたいー」 「だから間に合わないって!」 そもそもが昼休みとはいえ、本日の授業はまだ終わってないんだから抜け出せる筈がない。 本気ではないんだろうけど、彼らならやり兼ねないと思って私は慌てて引き止める。 「…しょうがない。ジュースでも買ってくっか!」 「それがイイね」 「ほーら、もっ」 妥協案だとばかりに、菊丸は残念そうにして立ち上がった。 そしてなぜか私の腕を掴む。 「え、私も行くのは決定な…――っうわぁ」 反論の途中で強引に菊丸に引っ張られた私は、すぐに諦めて従うことにした。まぁ、ジュースなら1階の自販機に行くだけだし、いっか。 ――と思ってたんだけど、その思いはすぐに打ち砕かれる。 「……放して欲しいんだけど、菊ちゃん」 「えー何でー?」 何でって注目浴びちゃってるからでしょ〜! なぜか楽しそうな彼に、内心で叫びながら私は項垂れる。 こんな昼休みの校舎の廊下を、手を繋いで歩けば目立つのは当然だ。 おまけに相手は、学園内でも有名なテニス部の菊丸(元部員だけど)。 困惑する私は隣りを歩く不二へ助けを求めたつもりで見たんだけど、彼は一度微笑んで。 空いていたもう一つの手を握ってきた。 「えぇぇー…?」 意味が判らない状況に、私は困り果てた声を出すしか出来なかった。 そのまま二人に引かれるように、階段へ向かっているとその手前で手塚と乾に出会う。 「「…………」」 二人は私達に気づくと無言の後、乾が尋ねてきた。 「歩き難くないか?」 「歩き難いデス」 当たり前な疑問のように訊く彼に、私は不機嫌に答えたけど、もっと他に言うことあるでしょう。 「菊丸、不二。それでは通行の邪魔だろう」 いやまぁ、そうなんだけどそこなのっ? 正論の如く注意する手塚に、論点が違ってるような気がして私は内心で突っ込んだ。何だろう、テニス部の人達ってどっかズレてるよね…。 自分もその中に加わってることには気づかず、手塚のお陰で両手が自由になったことに安堵する。 「ところで、三人揃ってどこへ行こうとしてたんだ?」 「あっついからさ、ジュースでも買いに行こうと思ってさー」 「あぁ…」 「手塚達も行く?」 乾の質問に菊丸が答え、不二が二人を誘う。すると手塚と乾は顔を見合わせていたけど、特に異論はないのか珍しく了承した。 「よーしっレッツゴー」 「あ、待ってよ菊ちゃん!」 決まれば早速、とばかりに駆け出す菊丸に私は慌てて呼びかける。そんな彼に、不二と乾はいつものことだと歩き出した。 けれど、手塚は溜め息をついて歩き出すのが遅かったから声をかける。 「ほら、手塚も早くっ」 咄嗟に私が手塚の手を掴むと、彼は動かなかった。 「…?」 不思議に思って見上げれば、手塚は何やら驚いた表情をしているようだった。……凄く、判りにくいけど。 首を傾げていると、気づいた乾が振り返って淡々と告げた。 「あぁ…手塚の手を掴めるのはお前ぐらいだよ。」 「大物だね、」 「えー…」 どこかしみじみと言う乾と不二に、私は不満そうに声を上げた。 だって、菊丸がさっさと行くから置いていかれると思って、手塚を引っ張って行こうと思った訳で……普通のことだよね? 「ズルイよー手塚」 何がよ、菊丸。 先に行っていた菊丸が引き返してきてから、不満そうに告げる。 「…君だってさっき、私と繋いでたでしょ」 「だって手塚はお前から繋いで貰ってるじゃん〜ズリィ〜」 「意味判んないんだけど…」 抗議してくる菊丸に、私は脱力した。誰から繋いだって同じコトだろうに。 そう考えてると、不二がなぜかとても爽やかに微笑んで言った。そう、不気味なくらいに。 「で、君はいつまで手塚と手を繋いでるのかな?」 「うっ…」 ただならぬ殺気のようなモノを感じて、私は思わず手塚の手を放して手塚の後ろに隠れた。 「手塚を盾に使うとは、流石だな」 「にゃんか、すごーく怖いよ不二。その笑顔が…」 「え、気のせいだよ」 「嘘だ!明らかに脅してるオーラだよ!」 「…………」 感心する乾と怯える菊丸に、不穏な笑顔の不二から逃げる為に手塚を盾にしている私。 という状況は、端から見てとてつもなく異常だった(と目撃していたタカさんから後で聞いた)。 そんなことを私達がやっていると、廊下に昼休み終了を告げるチャイムが鳴り響いた。 「あぁっ!手塚のせいで予鈴なっちゃったじゃん」 「俺の所為か…」 叫ぶ菊丸に、手塚が思わず脱力するように呟いた。 珍しいコトもあるなぁと思いながら、引き止めてた理由に自分も関わっているから菊丸へと両手を合わせて謝る。 「あーゴメン。私のせいだよね。放課後にでも、何か奢るよ菊丸」 思いつきで許しを請おうと伝えれば、驚いた菊丸はみるみる明るい表情になってテンションを上げた。 「マジでっ?やったーデートだぁ!」 「え」 「じゃあ僕ともデートだね」 「え、何で」 戸惑う私を余所に、話に参加してくる不二に真顔で訊き返す。 そんな当たり前みたいに言わないでくれないかな。半分は君の所為で足止めくらってたんだから。 内心で呆れていると、話を聞かずに教室へ戻ろうとしている手塚に気づいて話しかけた。 「手塚も、一緒に行かない?」 「いや、遠慮しておく」 余りにあっさりと断られたから、私は驚いた表情の後に落ち込む真似をした。 「そ、即答された…勇気出して誘ったのに……」 「駄目だよ手塚。女の子の誘いを断るなんて」 私の落ち込むフリに便乗して不二がからかうけど、手塚はいつもと全く変わらない様子で反論した。 「いや、明らかについでで誘っただろう」 「まぁね。でも、傷ついたから何か奢って」 「何故だ」 その彼に対して、私も落ち込むフリを止めて真顔で要求した。それにも手塚は平静だった。 彼らとのそんなやりとりが面白いから、ついつい話し込んでいたのだけれど。 私達は大事なことを忘れていた。 「何でも良いが、もう授業が始まるぞ」 「「「あ」」」 それまで黙って私達の話を聞いていた乾の言葉により。 思い出した私達は、猛ダッシュで(不二は歩いてたけど)教室へと戻ったのだった。 |