合宿3日目:朝


 真田が、立海メンバーの誰よりも早起きした朝。
 日課のランニングを終らせ、廊下を歩いていた時に彼は見た。
 軽く運動が出来る程に広いベランダになっているそこで、が洗い終えた洗濯物を干していた。
 爽やかな朝の陽射しに、緩やかな風に靡く洗濯物の中で。
 全てを干し終え、一仕事を終えたらしい彼女が背伸びをする。
 ――とても、穏やかな微笑みを湛えて。
「っ……」
 その時、言い知れない焦燥感が沸き上がる感覚を、真田は無理やり押し込めて彼女に声をかける。
「――…っ」
「!……アレ?真田」
 呼ばれて振り返ったは、真田を見るとすぐに見慣れた表情で答えた。
 そのことに僅かに安堵しながら、彼は徐ろにの許へと寄る。
「走ってきたの?」
「あぁ…」
「相変わらず真面目ね。ウチはまだ、皆・寝てるわ」
 汗も既に消えているというのにぴたりと当ててくる彼女は、その声で今の仲間である青学メンバー達のことで苦笑する。
 そんな彼女に眉を顰めつつ、それから目を逸らすように物干し竿へ視線を向けた。
「洗濯までしてるのか」
「まぁ、タオルとか消費が激しいモノだけよ」
 意外そうに呟く真田に、も干している物に向き直って大変だと、苦笑しながらも楽しそうに答えた。
 それに驚いて眺めていると、気づいた彼女が首を傾げる。
「何?」
「いや、人間変わるものだなと思って」
「何よソレ?」
 益々判らないという顔をする彼女に真田は振り向いて言った。
「お前、合宿の時は自分の事は自己責任だって、俺達の手伝いなんてしなかっただろう」
「あぁー…」
 思い出しては頭を掻く。こういう時の彼女は決まって怠そうで、そんな姿を見せるのは真田達のような親しい者の前だけだ。
「それは、自分のコトで一杯だったから……余裕が出来たのよ」
 妙に落ち着いた様子に、真田はなぜか再び焦燥感を覚えて。
 気づいたら、咄嗟に彼女の腕を掴んでいた。
 が驚いたのは当然だが、それ以上に驚いたのは真田自身で繋ぐ言葉が見つからない。
 少しの間、沈黙していた二人だが動いたのはの方で小さな溜め息をつく。
「――判ったよ。真田達の分もやってあげるから」
「は?」
 言っている意味が判らず、間抜けた声を出す真田に彼女は得意げな笑みで見上げてきた。
「洗濯物、溜まってるんでしょ?」










 どういう流れなのか真田にも判らなかったが。
 に促されるまま、立海メンバーが宿泊している部屋へと彼女を案内した。
 とはいえ、場所は去年の合宿時とほぼ変わっていないからに物珍しさはないようだ。
 寧ろ問題なのは、女子一人を男だらけの部屋に連れていっても良いものかという疑問だったが。
 それは他人から見た意見であり、当事者である達からすれば然して特異なことではなく、去年の合宿でもあったことだと真田も気に留めなかった。
 部屋の前まで着き、騒がしい気配のない中の様子に彼は勢いよく扉を開けて室内へ入る。
「――貴様ら、いつまで寝ているっ!」
 その一喝には驚きもせず、立ち塞がる真田の横から覗き込むとなんとまぁ、想像通りの光景だった。
 襖で隔てられた二つの畳部屋の手前、丸井や桑原・切原が寝ている所の布団は凄いことになっていた。
 まず、全員がちゃんと布団に入っていない。
 辛うじて入っている桑原は、大の字で寝る切原の下敷きになっている。丸井は端の方で丸く布団を被って熟睡していた。
 真田の声でも起きない彼らに、真田が勢いよくその布団をはぎ取る。
「…んだよ、まだ寝かしてぇ」
「起床時間は過ぎているっ――まったく……。仁王達も起してくれるか?」
「りょうかーい」
 頼まれてがもう片方の畳部屋へ向かうと、そこは丸井達とは対照的だった。
 二つ並んだ布団には仁王と柳生が規則的な寝息を立てて寝ている。寧ろ、柳生の方は寝る姿勢もキチンとしていた。
 その様子に彼女は苦笑して、布団の横に腰を降ろして始めに柳生を起こす。
「柳生ー朝よ。起きてー」
 声をかけながら、彼の布団を2・3回ポンポンと叩く。
 寝起きが良いのを見越しての声かけに、案の定・彼は目を覚まして起き上がった。
「…――あ、さん。おはよう御座います」
「おっはよう」
 礼儀正しく頭を下げる柳生に、彼女は明るく返した。
 そしてすぐに布団を畳み始める彼に背を向けて、今度は仁王を起こす。
 隣りでは真田が相変わらず怒鳴りながら丸井達を起しているというのに、仁王に起きる気配はない。
「おーい仁王、起きなよ朝ー…」
 肩を揺らしながら起こそうとすると、思ったより早く彼は目を開けた。
 だがその瞳はまだ寝ぼけていて、起きたかと思ったらいきなり腕を引っ張られた。
「……わかったて、一緒に寝ればえぇじゃろ…」
「は…っ?」
 寝言のように言ってを横に寝かせる。
 そしてまた寝息を立てる仁王に、彼女を横になったまま溜め息を吐いてから起きた。
「起きろ仁王」
 たし、と彼の頭に手刀を食らわせると一拍置いて目を開けた。今度ははっきりと。
「――アレ、バレた?」
「バレるわよ」
 始めから起きていた彼に呆れながら、は立ち上がって辺りを見渡した。そこで丸井に気づかれる。
「あ、じゃん!何でこっ!?」
「うっさい。朝から大声だすな」
 駆け寄ろうとした丸井に、仁王の投げた枕がヒットする。
 苦笑していると、布団を片付け終えて顔を洗いに行こうとしていた柳生が尋ねた。
「そういえば、さんはどうしてここに?」
「いや、洗濯物干してた時に真田と会ってね。ついでだから皆の分も洗濯しようかと思って」
「お、マジで?」
 その提案にノってきたのは桑原で、部屋の隅を指差す。
「結構溜まっててなー赤也はやらねーし」
「はぁっ!? 何で俺のせいになってんスか!」
「雑用は後輩の仕事だろ」
「それぐらい自分でやって下さいっスよっ」
「ハイハイ。判ったから、洗濯して欲しい物・持ってきて」
 言い合いを始める彼らを宥めると、そそくさと荷物を漁り始めた。
 その時、部屋の入り口が開かれて落ち着いた声が聞こえてきた。
「――何を朝から騒いでいる。外まで響いているぞ」
「蓮二」
 恐らく彼もランニングにでも行っていたのだろう。運動着の柳はに気づくと少し驚いた表情をした。
、どうしたんだ」
「ちょっとね、皆の洗濯物洗おうと思って。蓮二もある?」
「いや、俺は自分で洗ってるから…」
 柳と話している間に、丸井達が持ってきた洗濯物の量に軽く呆れる。持てるだろうか。
「俺のも頼めるか?
「勿論」
 仁王の申し出に快く引き受けたものの、量の多さに内心で困っていると柳がその洗濯物達を持ち上げた。
「手伝う」
「え、良いの?」
「どの道、この量をお前一人では抱えられないだろう」
 歩き出す彼に、確かにと苦笑して後についていく。
「じゃあ、行ってきまーす」
「おう」
 皆に手を振って出て行くを確認して、その場が静まり返る。
 桑原が首を傾げていると、柳生が誰ともなく呟いた。
「嬉しそうでしたね、さん」
「そうか?」
「…違うんですか?」
「んー…」
 何のことかは、判ったのは恐らく真田と答えた仁王だけだっただろう。
 怪訝な表情をする柳生に、生返事をする仁王は先程の枕攻撃で倒れたままの丸井の許へ行き、思いっきり踏みつける。
「いい加減、起きんしゃい」
「ぐふっ!!」
 呻きを無視して、黙ったまま二人が出て行った扉を見つめる真田に彼は言った。
「どう思う?真田」
 仁王の問いに、真田は先程のことを思い出して眉に皺を寄せた。
 それを仁王が見逃す筈がなかったが、あの感じた焦燥を認めたくなかった彼は答えなかった。