合宿2日目:夕方


 旅館に戻り、遊び疲れも取れぬままは夕食の支度を始めた。
 今日のメニューはハンバーグで、栄養のバランスを考えた材料にサラダも付ける。
 炊事場に立ち、人数以上に食べる人達だから余分に作るかと思っていた時。
 練習を終えて着替えた青学メンバー達が、食堂へ入ってきた。
 そして一人では大変だろうと、ハンバーグ作りを手伝ってくれたのだ。
 全員が炊事場で丸めることは出来ないので半分がハンバーグを丸め、もう半分がサラダや食器の準備に回ってくれる。
 途中、乾が余計な提案で特製ジュースを作ろうとしたが、皆が全力で止めた。
 そうこうして出来上がった夕飯を食べている時、予定外の来訪者が現れた。





「……何で君達がこっちにくるの?」
 さも当たり前のように、青学メンバーの中に交じって食事を摂っているのは、先程まで一緒に海で遊んでいた向日。
 更には立海の丸井と、彼に連れて来られたのだろう桑原だった。
 エプロン姿で凄むに、聞こえていないかのように食事をする中、桑原は平然と要求する。
「あ、ドレッシング取ってくれ
「はいはい…――て、そうじゃなくて」
「おかわりー!」
「まだ食べるのっ?」
 茶碗を差し出してくる向日に、驚きながらも受け取ってしまったは渋々と炊飯器へ向かう。
「あっソレ、俺が作ったハンバーグなんスから取らないで下さいっスよ!丸井先輩っ」
「イイじゃねぇか、ケチだなー…てか、ハンバーグ……?超・歪だけど…」
「桃先輩、丸めるのヘタ過ぎ…」
「う、うるせぇよ越前!!」
 いつの間にか和気藹々と騒ぎながら食べている彼らに、妙な光景だと思いつつも。
 は苦笑しながらご飯を注いだ茶碗を向日へと渡す。
「はい。大盛りにしといたから」
「お、サンキュー!」
「他におかわりの人ぉ――…っと」
 声を上げて尋ねようとした彼女の腕を引っ張り、無理やり椅子に座らせたのは不二。
も早く食べなよ」
「え、でも…」
 隣りに座らせて微笑む不二に、彼女は戸惑う。
「おかわり位、自分達で出来るんだからそこまで世話しなくても大丈夫だよ」
「そうだよ。早く食べないとおかず、ホントに無くなるぞ」
 続ける大石に、確かにと思ったはあとは本人達に任せて食事につくことにした。
「じゃあ、頂きまー…」
「――やっぱりここにおった」
「何しとんじゃお前ら」
 が手を合わせて言いかけた時。
 示し合わせたかのように現れたのは、氷帝学園の忍足・宍戸と立海大の仁王だった。
 食事を止めて注目する皆に構わず、彼ら三人は食堂へ入ってくる。
「何でこんなトコにいんだよ、お前」
「だっての作った料理食いたかったんだもん」
 向日の許へと歩み寄る宍戸達に、反省の色など微塵もない彼は食事を続ける。
 その様子を見ていた忍足は、意外そうに目を見開いてへ振り返った。
「…ホントにお前が作っとるんやな」
「まぁね。今日は皆で作ったけど」
 苦笑する彼女に、何を思ったのか忍足も向日の隣りに座る。
「何やってんだよっお前まで!」
「えぇやん。今から戻るより、ここで食べても変わらんやろ」
「いや、その前にこっちの承諾を得ようよ」
「いうても、あっちはもう食べてるみたいやけど」
「え?」
 忍足が指差す方へ向くと、既に丸井達のテーブルで食事をしている仁王がいた。
「丸井達を迎えに来たんじゃないのっ?」
 思わず脱力するにはお構いなしで、食卓に参加する仁王はあっさりと告げる。
「やっぱは料理上手いよなー」
「褒めても何も出ないわよ」
「あー茶碗て、余分にある?」
「あるから自分で取ってきて…」
 忍足に唆されたのか、席に着いて訊いてくる宍戸に彼女は疲れた表情で食器棚を指差した。
 そして好き勝手に立ち回り、食事をする青学メンバーと他校生六名という大人数を眺めながら。
 多めに作ってて良かった、と的外れにも似たことを思っていたであった。




















 合宿2日目:夜


 夕食後に、跡部の足は大浴場へと向かっていた。
 多人数が入る浴場は落ち着かない為、余り好きではないがたまには良いだろうと思ってのことだ。
 暫く歩いていると、浴場へ続く狭い通路の前方から見覚えのある人物が歩いてくる。
 私服姿に、まだ乾ききっていない髪を揺らしながら歩く女子――
 跡部に気づいてか、視線を向けてきたに彼は無意識に声をかけた。
「――…よぉ」
 そのことを少し後悔したが、意外にも立ち止まった彼女はいつもの笑みに冷静さを含めた笑顔で答えた。
「これからお風呂?」
「あぁ…」
「そう」
 けれどその声音にはいつもの明るさはなく、端的に答えたはすぐに視線を逸らして歩き出そうとする。
 それが、跡部には引っ掛かった。
 なぜかは判らないが、何かが疼いて彼は僅かに眉を顰める。
 そんな彼には気づかず通り過ぎようとしたを、咄嗟に片腕で塞ぎ止めた。
「……?」
 怪訝な表情で上目遣いだけで訊いてくる彼女に、跡部は緩慢に振り向く。
「…随分、冷てーじゃねぇか。まだ根に持ってんのか」
 彼としては喧嘩を売るつもりではなく、話のきっかけとしての言葉だった。自分としては情けない話ではあったが。
 もそれを汲んだのか、苦笑した後で向き直る。
「そこまで子供じゃないよ。気に障ったなら謝るし、私も疲れてるの。君んトコのレギュラーに海へ連れてかれたからね」
 尤もらしいことを言いながら微笑む彼女に、いつもの明るさはなかった。
 けれど冷たいという訳ではなく、穏やかではあった。
 つまりそれは、気を遣わなくなったということではないかと。跡部は目の前の少女を見ながら考える。
 普段の彼女はどこか演技めいていて、人当たりというモノを熟知しているように思える。
 そんな中でも、見え隠れする狡猾な笑みに跡部は惹かれた、と言ってもいいだろう。
 だが今のに鋭さはなく、昼間に見せた明るさもない。
 それは単なる彼の思い込みかもしれないが、が自分に対して興味が無くなったことだと思った。
「…………」
 向き合うに、歩み寄る跡部は彼女を壁際へと追い詰める。
 特に抵抗しなかったは壁へ追いやられたことに、大して戸惑いはせず対峙する跡部を見上げた。
「他校の奴らに誘われてホイホイついていくなんざ、随分と軽いんだな」
 視線を合せて告げれば、少し驚いた彼女は目を細めた後。
 上目遣いに、睨み返してきた。
「それは、喧嘩を売ってるの?」
 僅かに笑みを湛えたは、真っ直ぐ跡部を見据えて吐き捨てた。
 昼間の氷帝メンバーには見せなかった、青学メンバーの前でも余り出さない彼女の素に近い――根本。

 ――あぁ、その眼だ…。

 僅かな興奮を憶えながら、彼は改めて目の前の女が面白い存在だと思う。
 自分でも判るほどに笑んだ跡部は、無造作に右手をの横の壁に当てる。
「俺のトコに来いよ、
「…?」
 紡がれた言葉に、首を傾げた彼女は素直に疑問を口にした。
「それは、どういう意味なのかな?」
「好きなように取ればイイ。青学よりウチにくればとも、それとも――俺のモノになればイイとかな」
 ストレートと思える彼の言葉に、は顔色変えず肩を竦めて見返した。
「これはまた、唐突ね。口説いてるんだったら悪い冗談だけど」
「お前は青学みたいな連中とは違う人間、だろ?」
 そこで初めて彼女は表情を落とした。傷ついた訳ではない。恐らくそれは、怒りに近かった。
 言ってしまえば、本当には立海大の連中に近いのだろう。青学は彼らとは正反対と言ってもいい。
 状況としては追い詰められているというのに、それでもなお彼女は凜としていた。
「例えそうだとしても、君には関係ないし。私は青学の皆といたいの」
「青学を選ぶと?」
「…選ぶなんて、私にはそんな権利はないよ。ただ、一緒にいたいだけ」
 苦笑して、それでも確かにそう願っているに、彼は違和感を覚える。
 一ヶ月ほど前に比べると、明らかに彼女は変わっていた。
 人間らしいといえば、語弊があるかもしれないが。確かに柔らかくなっているのだ。
 青学のことを思っているからなのか――
 それを、摘み採りたいと思ってしまった跡部が壁に当てていた手で、その頬に触れようとした時。
「――何してんスか?そんなトコで」
 大浴場へと続く通路側からかけられた声に、二人は振り向く。
 そこにはお風呂から上がったばかりの、越前リョーマの姿。
 目付きの悪いのは元からなのか、それとも本当に睨んでいたのか。機嫌の悪そうな越前に、跡部は舌打ちをして彼女から離れる。
「…ま、飽きたら迎えてやるよ。
 背を向けたまま手を振って去っていく彼を、はただ呆然と見送った。
 そして越前とのすれ違い様、跡部が見下ろした彼は目を合わさなかった。
 ただ、警戒を解かないままを見つめていた。それに跡部は面白くなさそうに鼻を鳴らす。
 彼が大浴場へと、完全に姿を消してから越前はの許へと歩み寄った。
 けれど彼女は、静かに跡部が去った方角を見つめていた。まるで、何かから切り離されたように。
 それが越前にはもどかしく、彼は半ば無理やり言葉を紡いだ。
「何、話してたんスか」
 それでもの視線が彼に向いたのは一度だけで、天井を仰いだ彼女はぽつりと呟く。
「……口説かれて、たかも」
「え?」
 人事のように言う彼女に、越前の声は辛うじて音を発した。
 驚いている気配にが振り向けば、彼は怪訝な表情で自分を見つめていた。
 それを見た彼女は我に返ったように微笑んで、預けていた背を壁から離した。
「いや、またいつもみたいに喧嘩売られてただけだから」
 いつものように笑いながら歩き出すに、一掃眉間に皺を寄せた越前は慌てて後を追う。
「…ホントに?何もされてないっスか?」
 珍しく心配する言葉をかけてくる彼には驚いて振り返り、苦笑して答えた。
「何にもないよ。跡部だって、そこまでバカじゃない」
 危害という意味で受け取ったらしい彼女の言葉で、安心と呆れが半分――いや、実際は驚きのほうが勝っていたのかもしれない。
 けれど、横を並んで歩くは「でも…」と呟き、前を向いたまま表情を曇らせて言った。
「あんな風に、ストレートに言われたのは久し振りだから…――ちょっと驚いた、かな」