合宿1日目:夜 騒がしい夕食が終わった食堂。 日程通りに入浴へ向かった青学メンバーが去った後、は片付けをしていた。 育ち盛りな上に、キツい練習後の彼らの食欲には凄いものがあった。それを思い出しながら彼女は苦笑する。 空腹だったとはいえ、皆が美味しいと言って食べてくれたのが嬉しかった。 少し心残りなのはいつも家で作るのが自分や両親の分だけなので、分量の多さに手間取ったことだ。 こんなことならもっと料理を勉強しておけば良かった、と思いながら食器を流し台へ運んでいる時。 背後から、声をかけられる。 「――手伝うよ」 「不二…」 振り返れば皆と出て行った筈の不二が、残りのお皿を持って横に並ぶ。 「お風呂は?皆と行ったんじゃないの?」 流し台に食器を置きながら訊くと、蛇口を捻る不二がいつものように笑顔で答える。 「後でゆっくり入るよ。君1人でこの量は大変だと思ってね」 「ありがと、じゃあお願いするよ」 不二の申し出にお礼を言って、洗う役と濯ぐ役に分かれる。 暫く黙々と食器を洗っていたは、男にしては綺麗で長いながらも力強さを感じる手で、手際よく彼女が洗った食器を濯ぐ不二を横目で窺う。 「…………」 それに気づいた不二は、食器を水で濯いでいた手を止めて尋ねる。 「…何?」 「別に…って言ったら、納得する?」 「さぁ?」 ――意地の悪い人だ。 不二の答えにそう思いながらも、自分も意地悪い訊き方をしたことは自覚している。 彼もまた、自分と似た人間だということも。――だったらと。 は恐らく不二が思っているだろう話題は避け、数日前から自分の中に根付いていたことを口にする。 「……もう、頭は大丈夫なの?」 「え?」 洗う作業を続けながら呟いた彼女に、意味が判らなかったのか、不二は目を丸くして振り向く。 それを一瞥して、は泡のついた掌を洗ってから水道の水を止めた。 「ボール……頭に受けたんでしょ。切原との試合の時に」 振り向くと不二はまた驚いた顔をしていた。 今更、決勝戦のことを話に出された驚きなのか。怪我のことが知られていた驚きなのかには判断しづらかったが、僅かに溜め息を吐いて彼は微笑んだ。 「大丈夫だよ。その時は、ちょっと眼が見えなくなったけど、もう平気だから」 「――本当に?」 安心させるつもりで言った不二の袖を、は弱々しく掴んだ。 彼女はその言葉を普通に言ったつもりだったが、不二にはとても弱いものに聞こえた。 それでも上目遣いのの視線は鋭く、返答を待つ姿勢に彼は濯ぐ手を止めて彼女の掴んでる手に自分の掌を添える。 「僕の心配をしてくれるんだ。珍しいね」 「誤魔化さないで」 半分以上は本当に嬉しくて言った言葉に、は俯いて呟く。 「……人の心配はする癖に、君も菊丸達も隠したりしないでよ」 責めるような言葉ではあったが、その口振りはどこか苦笑めいていて。 それがここ数日(少なくとも合宿が決まる前日まで)の機嫌の悪かった理由なんだと、不二は解釈しながら彼女の頭を自分に引き寄せた。 「……ゴメン。そんなに気にしてるとは、思わなかったから」 の香りを鼻に感じながら、彼女の耳元で呟く。 「有難う」 「……お礼を言われる筋合いはないよ?」 「うん。でも、言いたくなったから」 そう言うと照れたのか呆れたのか、一度息を吐いたは空いていた方の手で不二の背をポンポンっと叩いた。 まるでそれが合図かのように、二人は身体を離してが彼の腕をまた軽く叩く。 「さっ、洗い物済ませちゃお」 「…そうだね」 明るい笑顔を見せて洗い物を再開する彼女に、僅かに苦笑して答えた不二も残りの洗い物を片付けることに専念した。 これで、いや――今からでも何かが変わることを信じて。 本日を通して、一番ゆったりとした時を過ごした入浴後。 髪も乾かぬままが一人で旅館の廊下を歩いていると、前方から騒がしい声が聞こえてきた。 その先にある部屋の心当たりに、彼女は嫌な予感に溜め息を吐く。 容易に想像出来る状況だったが放っておく訳にもいかず、仕方なしにそこへ足を向けた。 騒がしい部屋の扉を開けて中へ入ると、予想通り。 青学メンバーが泊まっているその部屋では、正に今・枕投げ大会が催されていた。 「なんてベタな…」 「まぁ、お約束だよね」 入り口で脱力するに、軽く答えたのは自分と同様に風呂上がりの不二。 その不二はというと、枕投げには参加しておらず傍観者に徹している。 彼と同じく見学してはいるが、飛んできた枕をきっちりと避けては投げ返しているのは大石や乾だ。 「あーっ!一緒に枕投げやる?」 そう言って誘ってくるのは、恐らく主犯と思われる菊丸。 残りは桃城達の後輩メンバー。河村はその後ろで被害が拡大しないようにと、オロオロしながらも壁や襖に飛んでいく枕を防御しているようだ。 「…今、お風呂入ったばかりだから遠慮する」 折角流した汗をまた掻きたくはないと、断っている間にも白熱した攻防戦は続いていた。 一応、陣地分けはしているようだがあってないようなもの。 勝敗はどうやって決めるんだろう、とは考えかけて止めた。枕投げにそんなモノを求めるのは野暮だろう。 楽しそうに騒いでいる彼らに、夜だというのに元気だと彼女は苦笑する。 すると自分の傍に越前がいることに気づいた。 「越前も枕投げやってるんだね」 「俺は早く寝たいんスけど…」 「あー先輩達が元気あり過ぎるからねぇ」 飛んで来る枕をキャッチして投げ返す越前に、確かにこれでは静かに寝ることは出来ないだろうと同情する。 「でも飽きるの待ってたら、疲れて明日に響いちゃうよ?」 「じゃあどうすれば…」 基本的に投げ返す枕は敵陣地の桃城へ投げる彼に(桃城は勿論文句を言っている)、は近くにあった枕を拾い上げて越前に耳打ちする。 それに納得した越前は、彼女の掛け声と共に菊丸と桃城の顔面目掛けて同時に枕を投げつけた。 「「うわぁあっ!!!!」」 意識の外からの攻撃と視界を塞がれたことによって、バランスを崩した二人は仲良く布団に倒れる。 「はい、終了ー」 鮮やかに勝利したと越前に、拍手が起こった。 「明日も早いし、コレ以上は旅館に迷惑だからもう寝なよ」 「……っだからって、顔面は反っ則!」 就寝を促す彼女に少し怒ったのか、菊丸は起き上がりながらへ向けて枕を投げたのだが。 本当は身体に当てるつもりだった枕は、菊丸のバランスが安定していなかった所為で誤って彼女の顔へと向かった。 「!!」 完全に油断して避けきれない枕を、越前が咄嗟に割り込んで叩き落とした。 その状況と弾いた音の大きさに沈黙する彼らの中で、声を発したのはの前に立ち塞がる越前。 「……菊丸先輩、いくらなんでも顔には…」 「わーっ・ゴメン!! 狙った訳じゃないから!」 「あ、大丈夫。判ってるから」 少し申し訳なさそうに越前が呟くと、慌てた菊丸がにとびついていく。 彼女は驚いただけだと、菊丸を宥めながら離れていく越前に気づいて声をかける。 「越前、ありがとね」 「いえ…」 笑顔のに照れたのか、越前は呟いて背を向けた。 早く寝ようと自分の寝床を作ろうとする彼に、今まで見ているだけだった不二が寄って越前の肩に手を置く。 「ナイスフォロー、越前」 「……単なるまぐれっス」 僅かに苛立ちを滲ませて見返す彼に、あくまで気づかない振りで不二は微笑んだ。 「そう?僕には、その前からを守ってるように見えたけど」 「………気のせいっスよ」 「…ふぅん?」 不二の言葉に、越前は驚きはせずただ一瞥して顔を背けた。 その様子に不二はどこか愉しそうに微笑った後、騒ぎの中心にいるの許へ寄る。 「英二。が困ってるから、いい加減離れたら?」 「う〜ゴメンよー」 「もう、本当に怒ってないから。そろそろウザいよ」 「何気にヒドイ!!」 笑顔で宥めながらも、あっさりと本音を呟くに菊丸はショックを受ける。 それでも素直に離れてくれる彼に苦笑しながら、早めに退散しようと思った彼女は向き直る。 「私はもう部屋に戻るけど、君達も遊んでないで早く寝てね」 「えー!もう帰っちゃうんスか?」 「夜更かしは美容の大敵だもの」 声を上げる桃城に、尤もらしいことを言いながらは出て行く。 廊下を歩きかけたところで、不二が後を追ってきた。 「…部屋まで送ろうか?」 思いがけない申し出に、驚いた彼女は少し皮肉げに返した。 「部屋ぐらい、1人で戻れるよ。初めてのトコじゃないし」 「いや…そういう意味じゃなくて……」 「…?」 珍しく言い淀む彼に首を傾げていると、諦めたのか溜め息を吐いて顔を上げる。 「ううん。何でもないよ、おやすみ・」 「うん?じゃあ、おやすみ不二。また明日ね」 少し不二の様子が気になったが、追及はせずは別れを告げて部屋へと戻る。 その途中で、先程のことを思い出しながら彼女は少し、照れ臭そうに笑った。 |