合宿1日目:朝


 夏休みに入り、本格的に陽射しが強くなり始めた頃。
 合宿当日を迎えた青学レギュラー達は、その舞台となる宿に到着していた。
「――へぇ、結構大きい所ですね。竜崎先生」
「あぁ、合宿によく使われる所じゃからな」
 建物へと続く道を歩きながら、大石の呟きに竜崎先生が自慢げに言う。
 周囲を緑に囲まれ、近くに海があることも含めて目前に建つ旅館は、避暑にはもってこいの場所だった。
 ただし今回の彼らの目的は合宿であり、近隣にスポーツ設備が充実していたからこの宿が選ばれた。
 とはいえ、来たばかりの彼らにとって気持ちはまだ遊び気分だ。
「海行けるかなー?海ー!」
「行けるといいよね」
 はしゃいでいるのは先輩である菊丸。その横で、にこやかに答えるのは不二だ。
「ちょっ…先輩達、少しは代わって下さいよー!」
 そんな二人に異議を申し立てている桃城の両手は、大きな荷物で塞がっていた。
 桃城だけでなくその後ろには、無言ではあるが苦痛の中に不服を浮かべている桃城と同様に荷物を抱えた海堂と越前。つまり、後輩組だ。
 彼らの前を行く、大石を含めた三年組は身軽な装いだった。
 主に合宿で必要なテニス用具や着替えなどの大荷物は、先に旅館へ送っていた。それでも練習で使う物や食料などがある為、その荷物を持つ役目が後輩の三人に向いたという訳だ。
「大丈夫?桃。あと少しだからさ」
 暑さとは別の意味で汗を掻いている桃城に声をかけるのは、半ば強制的に合宿へ参加することになった
 ジャージ姿の彼らと違い、制服姿で手ぶらの彼女の荷物は不二が代わりに持ってくれていた。
「だ…大丈夫っスよ!このくらいどうって…」
「おーいっ早く来んかー桃城達!も、受付するから早く来とくれ!」
「あ、はーい!」
 心配してくれたのを喜んでいるのも束の間、容赦ない竜崎先生の声では駈けて行ってしまった。
 その後ろ姿を、項垂れる桃城を抜かしながら見つめていた越前が呟く。
「……何か、嬉しそうっスね。先輩」
 少し不服そうな呟きに、桃城を一喝していた(実際には文句を言っただけだが)海堂が振り向いて言った。
「…何故、そう思うんだ?」
「いやなんか、そう見えたんで…」
「そうかぁ?練習に参加出来るのはイイけど、手伝いとか面倒って言ってたじゃん」
 先輩達と一緒に旅館へ入っていくを眺めながら、二人の会話に桃城が割って入る。
 実際、レギュラー達に対してアシストするメンバーは竜崎先生としかいない。
 当然ながら先生は指導に当たる為、の仕事は多くなる。勿論・彼らも自分で出来ることは自分でするが。
 余り好色を見せていなかった彼女に、嬉しそうだと言う越前に少し考えて海堂は思い出すように呟く。
「……確かに、実は楽しみだったんだって出発の前に言ってたな」
「何っ?俺達の前ではそんな素振り見せてないのに、何でお前に言ってんだよ!?」
「しっ…知るかっ!」
 海堂にそんなことを言っていたのには驚いたが、それを火種にまた言い争いになっている二人に溜め息をついた越前は先に行くことにした。
 微かに、心の隅で胸騒ぎを感じながらも。










 三人の到着を待たずに、竜崎先生は旅館の人に挨拶を済ませていた。
 入り口の傍は大広間になっており天井の高さと広さに、彼らは感嘆しながら周囲を見渡す。
 越前達が玄関先に着いた頃には、仲居に旅館案内をして貰う為にその場を後にした先生の代わりに大石が声をかけた。
「遅いじゃないか3人共……って、何で海堂と桃城はそんなに疲れてるんだ?」
「いや、なんていうか…」
「何でもないっス…」
 無駄な体力を消耗した二人に、大石は不思議そうに戸惑っている。
 その横でさっさと中に入っていく越前に、が声をかけた。
「お疲れ様、越前。大変だったねぇ」
 苦笑しながら労わってくる彼女に、思わず視線を逸らす。なぜか少し居心地が悪い。
「…大丈夫っスよ、このくらい」
 それには気づかず強がる彼に、はやはり苦笑しながら思い出したように訊く。
「そういえば、越前の好きな食べ物って何?」
「…何スか?いきなり」
「いやほら、私・皆の食事も作るじゃない。だから越前の好きなモノ作りたいな〜って」
 確かに今回は合宿費の関係なのか、彼女が食事も担当することになっていた。
 純粋な疑問なのか、それとも気を遣っているのか。楽しそうに訊いてくるに、越前は少し考えて呟いた。
「………焼き魚」
「渋っ…もしかして、和食好き?」
「割りと…」
 意外だとばかりに驚く彼女に、そういえば越前もこの2つ上の先輩の好きな物なんて知らないな、と。
 ぼんやり考えているとそれはも同じだったようで、また興味津々に尋ねる。
「うーん、考えてみれば越前にそーいうの訊いたコトなかったね。じゃあ、誕生日は?」
「何でそんなコト……12月24日っスけど」
「え…」
 不思議に思いながらも答えると、はまた驚いた声を出した。
「そーなんだ…じゃあ、プレゼント用意するね」
 違和感を憶えたのは一瞬で、すぐに明るい表情を見せた彼女に尋ねようとして、横からの声に遮られる。
「何をしている。早く部屋へ移動しないと、この後すぐに練習だそうだ」
「えーっ?少しは休もうよ、移動で疲れたって」
「あはは」
 口を挟んできた乾にそれほど移動時間はかかっていないというのに、訴える菊丸に河村が仕方なさそうに笑う。
 つられて笑うが、不二に預けていた鞄から予定表を取り出しながら確認するように説明する。
「大丈夫だよ。本格的に練習するのは午後からだけど、まだ時間があるから基礎練かな」
「うわーやっぱ練習じゃん!」
「合宿だからね」
「はいはい。今更・嘆いても仕方ないでしょ、部屋に案内するからついて来て」
 やはり反論する菊丸に不二は苦笑して、は呆れて返しながら先導するように踵を返した。それに待ったがかかる。
「あれ?、部屋の場所知ってるのか?」
 旅館の人が居ないのに歩き出そうとするに、大石達が首を傾げていると振り返った彼女が思い出したように笑った。
「あぁ、言ってなかったけど私・ここに昔来…」
―――っ!」
 そこで突然、勢いよく走って抱きついた人物によって、の言葉は遮られた。
 余りに唐突な出来事だった為、彼らも反応が遅れてしまった。
 呆然とする彼らには構わず、押し倒すほどに抱きついてきた人物――丸井ブン太がまるで子犬が尻尾を振るかのように声を弾ませる。
「本当に来たんだなっ会いたか…」
「――丸井ぃ〜いきなりとびついて来るなっていつも言ってるでしょ〜っっ」
「だって嬉しくて――って、・痛いっ顔掴むなって!」
 しかし喜びも束の間、馬乗りになっている彼の顔を鷲掴みするは、怒気を孕みながら無理やりにでも丸井の頭を押し戻そうとする。
 傍から見たら凄い光景を止めに入ったのは、通路から歩いてきた立海レギュラー達だった。
「まったく…何やっとんじゃお前は」
 と攻防を続ける丸井の襟首を引っ張って剥がしたのは仁王で、続いて普段の威圧感を更に厚くして怒鳴ったのは立海大テニス部副部長・真田弦一郎。
「旅館で騒ぐんじゃないっ…あと、にとび付くな!危ないだろう!!」
「その大声も充分うるせーよ、真田」
「げっ…ホントに来たんだ青学」
 毎度のことだがウンザリした様子の桑原のあと、顔を引き攣らせて切原が顔を出す。
 その間に手際よくを起こしたのは柳で、柳生が紳士らしく心配そうに声をかける。
「大丈夫ですか?君」
「うん、大丈夫。蓮二もありがとう」
「あぁ」
 その頃には青学のメンバーも我に返り、立海の許へと歩いてきて皆の疑問を代表して大石が尋ねる。
「どうして君達がココに…?」
「あぁ、俺達は毎年ココで合宿してんじゃ」
 まるで驚いていない仁王の答えに、の隣りに来ていた不二が少し驚いたように尋ねた。
「……は、知ってたの?」
「うん。私も昔、一緒に合宿来たコトあるから。まさか、日取りまで被るとは思わなかったけど」
 苦笑する彼女に、後ろにいた越前は成程と内心で納得した。
 恐らくこの合宿に参加した理由の半分は、そういうことなのだろうと彼は推測する。
 でなければそれが発覚した時に、彼らに会えることを楽しみにしていたなど知られたら悪いと思ったから、口数の少ない海堂には打ち明けたのだろう。
 先輩達が立海のメンバーと話している輪から離れ、そんなことを考えていた越前は不意に玄関先が騒がしいのを感じた。
 何かと思い振り返って、越前の動きが完全に止まった。
「?……越前?」
 それに気づいたが彼の視線を追って振り返ると、同様に身動きを止めるしかなかった。
 同じように気づいた青学と立海のメンバーは、言葉を失った。
「あっれー?青学に、立海のヤツらじゃん?」
「あぁん?」
 そこには彼ら同様、灰色のジャージに身を包んだ集団がいた――氷帝学園テニス部。
 小柄の少年――向日岳人の声に、常に自信の溢れた表情の跡部景吾が振り向き、それまでバラバラだったメンバーの視線が館内の彼らに集中する。
「なっ…何で氷帝までこんなトコにいるんスかっ!!?」
「それはこっちの台詞だっ何でよりによって…!」
 余りの驚きに指を差して声を上げる桃城に、それを注意する余裕もない宍戸が呻く。
「うわーなんか凄いコトになってんなー」
「……お前は知っていたのか?
「いや、流石に氷帝まで来るなんて予想外よ…」
 人事のように言う丸井の隣りで尋ねる柳に、はまるで疲れたように頭を抱えた。
 同様に彼らの登場は氷帝側もまったくの予想外だったらしく、戸惑うメンバーの中で鳳が先頭にいる跡部に話しかけた。
「彼らもいるなんて監督、言ってなかったですよねぇ?」
「あぁ…――いや、ワザとかそれとも…」
 独り言のように呟く跡部は未だに戸惑うメンバーを余所に、彼らのいる大広間まで歩み、傲然と言い放った。
「よう、関東大会以来だな。こんな所で出くわすとは、決勝でやり合った割に仲良く合宿か?」
「こちらとしても、君達・両校の登場は無用なサプライズなんだけどね。そういう君達も合宿かい?」
「バカンスだ――と、言いたいところだが、半分はそんなもんだ」
 不躾な挨拶に怯むことなく答えたのは、爽やかに微笑う不二。その食えない様子に、跡部は意を介した振りもなく軽く返した。
 そして青学と立海のメンバーに囲まれるように、その中心にいたに気づいた彼は胡乱な笑みを浮かべた。
「誰かと思えば、あの時の失礼な女じゃねぇか」
「あら、誰かと思えば真田達に負けてるナルシストじゃない」
「っそれはお前の好みだろうが!」
 反撃されて珍しく狼狽える跡部に、眠そうな芥川と無表情の樺地以外が笑いを堪える。
 その様子に首を傾げているのはあの場にいなかったメンバーで、どうしたんだ?と小声で訊く大石に乾はちょっとな、と曖昧に答えた。
 そこへ現れたのは、館内を廻り終わって戻ってきた竜崎先生。
「まだこんな所におったのか…って、おやぁ?立海のヤツらに氷帝まで」
 大広間の中央で佇んだままの彼らを見て、驚いた素振りを見せた後に愉しそうに笑う。
「お前達まで来てたのかい。これは面白い合宿になりそうじゃな」
 気持ちのいいほどに笑う先生に、嫌な予感が確信に変わったが天井を仰いだ。
 これはまた、大変な合宿になりそうだと――