その日の放課後、場所は男子テニス部コート。
 私はそこのフェンス近くの隅で、制服姿で蹲っていた。
 その隣りには、いつものようにニコニコと微笑う不二が当然のように坐ってる。
「……何をやっているんだ?
 周りの部員達が不思議そうに眺める中で、通りかかった乾が尋ねてきた。
 まぁ、邪魔にしかならない所で制服姿の女子が坐り込んでたらそりゃあ疑問に思うよね。
 というか前にもこんなことあったような――それより、隣りでサボってる不二には何も訊かないんだろうか。
 そんなことを膝に頭を埋めたまま考えてると代わりに不二が答えてくれた。
「悲しみに打ちひしがれてるらしいよ」
「何故ここで…」
「それが訊いてよ、乾!」
 勢いよく顔を上げる私に、取り敢えず話を聞くことにしたらしい乾。
 無言で促す彼に私は悲しみを全面に出しながら話し出す。


 それは放課後になって、女子部に向かった時のことだ。
 2日振りの部活に私は心を躍らせてたんだけど、大事なことを忘れていた。
 あのミクスド試合の後に、私は部には何も告げず勝手に帰ってしまったのだ。
 正確には倒れた私を蓮二が病院へ運んでくれたらしいが、突然消えてしまったことに変わりはない。
 しかも、倒れて病院に行っていたなんて余計に彼女達の不安を煽っていたようで。
 部活に向かった私を待っていたのは、部員達の叫びにも似た心配したんだからという声だった。
 中でも一番だったのは部長で、いつものように無邪気な笑顔だったけれど怒ってるのがひしひしと伝わってきた。
「心配したんだからねーサン?」
「い…いやーホント、申し訳ないです……ごめんなさい」
 その剣幕が流石に怖くて思わず畏縮した程だったけど、地獄はそれだけに止まらなかった。
「反省は態度で示して欲しいな」
「と言いますと…?」
サンが今一番したいコトって何?」
 年相応の笑顔で訊いてくる部長に、私は嫌な予感がしながらも言った。
「えっと……テニスの練習、かな」
 その答えに満足そうに笑いながら、後ろに部員達を従えた女子テニス部部長はにこやかに告げた。

サンは今日、部活練習禁止ね」


 事の経緯を話して、私は盛大に泣いた。フリだけど。
「うわ――んっ酷いでしょー!私は部活に参加したいのにー!」
「だからって、ここにいる理由が判らないが」
「ずっと眺めてたら参加させてくれるかと思って」
「いや、女子部からもここ丸見えだから見つかると思うけど」
 やっぱりー?と思いながら、半分は本気で言った願望を不二にあっさり砕かれて私はまた項垂れる。
 私がテニスが好きなのを知ってるから、連絡をしなかったことに部長はその楽しみを奪うという嫌がらせみたいな罰を言いつけたのだった。
 普通は練習を倍にするとか雑用を押しつけるとかなんだろうけど、私にはこの方が効果的だと思ったんだろう。
 そして私はまんまとその苦痛に打ちのめされていた。
 すると、私がここに入り込んで坐ってた隣りで、何も訊かずに横にいた不二がクスリと微笑う。
 不思議に思ってると、彼は向き直って苦笑して言う。
「それは部長サンなりに、心配しての配慮だと思うよ」
 言われて、私は驚くように動きを止めた。
 いつの間にか同じように反対側の隣りに坐る乾も、コートを眺めながら同意する。
「だろうな。彼女だけじゃなく、他の部員達もお前を心配していたから」
 天気の話でもするように、淡々と言う彼に私は少し拗ねた素振りでまた蹲った。
 それは勿論、私にも判ってはいた。
 ただ、余り女子から心配されることに慣れていない私には照れ臭いのだ。
 それを隠して黙っていると、それが判ってるのか否か、二人は何も言わず隣りに坐っている。
 沈黙は自動的に聴覚を鋭くさせる。それは錯覚だと判っているけれど、いつにも増して激しいボールのラリーや部員達のかけ声に私は再び顔を上げた。
 決勝が近いから当然といえば当然だけど、と思いながらある人物の姿がないことに気づく。
「……越前は?帰ったの?」
「アイツなら、ガットが駄目になったから張り替えに行ったよ」
「そう」
 衝いて出た問いに、乾が答えたのを聞いて私は呟くように返した。
 続くと思っていた会話の途切れは、思いも寄らない形で乾が繋げる。
「――何があったんだ、あの試合の後に」
 指してることの意味は私にも不二にも判っていた。
 けれど何をどう説明すればいいのか、判らなかった。最初から話すのも違う気がするし、結果的に何が残ったのかも解決しているのかも私には判らないのだ。
 ……単に、一から説明するのが面倒だというのもないこともなかったけど。
「不二に訊けば、答えてくれるんじゃない?」
「それは僕の方が訊きたいんだけど?」
 総てを不二に丸投げしようとして、逆に反撃を食らってしまった。

 これは結構、根に持ってるなぁ…。

 苦し紛れに空を見上げながらぼやいてみる。
 隣りの乾を見れば引く気はないのか、それでも私に発言権を委ねる体勢だ。
 私は溜め息を吐いて、苦笑しながら呟いた。
「大したことじゃないよ。単に、私的に過去との清算がついただけ」
 ただそれだけのことだ。
 それで乾が納得するとは思わなかったけど、追求されることもないだろうと思った。
 チラリと横目で見た彼の表情は、読めなかったけど振り向いて告げる。
「まぁ、お前がそれ良いならいいが。余り周りを心配させるな」
「そうそう。ウチには心配性の人が多いんだから」
 珍しく二人揃って諭してくるのに、私は居心地が悪くてそっぽを向く。
「判ってるよ。これでも反省してるんですからねー」
 我ながら説得力がないなと思いながらも、拗ねてみせる。
 考えてみれば、こんな風にダイレクトに言ってくれる人なんて立海では幸村くらいのものだった。……いや一人、物凄く心配性の人がいたっけ。
 けれど大体が私の性格を知っているからか、直接は言わず普通にしてくれていた。
 要は甘えていたんだと思う。その、心地良さに。
 三人で、コートの練習を眺めながら話してると微かな振動を感じた。
 それが横に置いていた自分の鞄の中からだと気づいて、私は携帯電話を取り出した。
 届いてたのは珍しい相手からのメールで、私は驚きを表に出さないようにしながらメールを開いたのだけれど。
「――!」
 その内容に驚いて、私は思わず立ち上がってしまった。
「…どうした?
 突然の行動に、流石の乾も驚いたのか少し戸惑って訊いてくる。
 けれど私にその質問は届かず、携帯の画面を見ながら呟いた。
「……私、帰るね」
 そう言って鞄を持って歩き出そうとした私を、腕を掴んで引き止めたのは不二。
「何処に行くの?」
 明らかに何かを勘づいた不二が、鋭い眼差しで見上げてくる。
 場合に寄っては行かせないつもりなのか、いつになく掴む腕の力が強い。
 けれど私に焦りはなかったし、後ろめたさもなかった。
「…大丈夫よ不二」
 だから微笑って言える。
「――ちゃんと、戻ってくるから」
 答えは、その一言で十分だった。





 to be continued...





書下ろし 10/03/19