越前は駆け抜けていた。雨の中を、全速力で走っていた。 を捜して、当てなどなかったが、ただ真っ直ぐに。 体調が悪いからすぐに見つかると思っていたが、彼女の足が予想以上に早かったのか、体調など気にかけず全力で走っているのか中々見つからなかった。 暫くして雨で遮られた視界の先に、屋根のある休憩所の柱に寄りかかるの後ろ姿を見つけた。 「先輩…っ」 思わず声をかけて走り出すと、その声に彼女は身体を強張らせて重い身体を引き摺るように走り出そうとしていた。 「先輩っ……待って!!」 見るからに具合の悪そうなを止めようと後を追って、その細い腕を掴んで引き止めた時。 「――ッ」 驚愕するように振り返った彼女の瞳からは、涙が溢れていた。 けれど以上に驚いていたのは越前の方で、腕を掴んだまま俯く彼女を見つめる。 初めてだった。いつも明るくて、気の強い先輩が泣くなんて想像もしてなかったから、越前は固まることしか出来なかった。 「……何で」 掴まれたまま逃げる気配のなかったが、ぽつりと呟く。 「どうして、越前が追いかけてくるの…」 その疑問が、なぜ追ってきたのが越前なのか、あんなことを言ったのになぜ追いかけてきたのかに対してなのかは判らなかったが。 ――じゃあ、誰に追いかけて欲しかった? 思っても、越前は声にすることが出来なかった。 求められているのは自分じゃないと、実感するのが怖かったからなのかもしれない。 それでも、彼女の腕を掴む力を強めることも緩めることもせず、どうしても訊いておきたいことを口にしていた。 「……真斗って、誰っスか…?」 それは一番、口にしてはいけない名前のように思えたけれど。 きっとにとって最も重要な人物だということは、痛いほど判ったけれど。 だからこそ、一番知っておきたいことだった。 越前の問いに、雨に打たれるままに俯いていたは一度、彼に目を向けてからまた逸らして告げた。 「……前に話した、私の弟よ。昔・火事で死んだ――」 呟いて、光を映さない瞳を空へと移して続けた。 「私を庇った所為でね」 感情の削げ落ちた声は、静かな雨に溶け込むようだった。 それを聞いた越前は驚きの言葉も見つからないまま、ただ彼女を凝視するだけだった。 だがそれとは反対に、何かを理解したような表情でもあったが、空を見上げるが気づくことはなかった。無意識に掴んでいた腕を放す。 普段からは想像出来ないほどに、彼女の声は雨に掻き消えてしまいそうにか細かった。 「私を……私なんかを庇わなければ、マナが死ぬことはなかった。夢を、奪われることもなかった」 それはもしかしたら、体調の所為でもあったかもしれない。 焦点の合わない瞳はただ虚空を見つめて、その頼りない肩は全てを拒絶しているようだった。 にとって決して忘れることの出来ない、寒い冬の朝。 今となっては何が原因だったのか。外部からなのか、火元の不始末なのか判らないままだったが彼女にとってそんなことはどうでも良かった。 目が覚めた時には既に、部屋の中は炎で包まれていた。煙が満ちていて呼吸するのも苦しかったのを覚えている。 彼女が真っ先に捜したのは、弟の姿だった。 通常、例え子供だったとしても幼い頭でも逃げることを考えるだろう。 ただにとっての最重要項目として弟を守るというのが強かった。そしてそれは、弟の真斗も同じことだった。 そして部屋を出ようとした時、傍の洋服タンスが彼女へ燃え盛る炎と共に倒れてきた。 目視した時には既に遅く、悲鳴も上がらなかった。代わりに聞こえたのは自分を呼ぶ、幼い叫び声。 気づくとタンスの下敷きになっていたが、激しい傷みは左肩の火傷だけで他はそれほどではなかった。 その理由を知った時、は身体中の細胞が停止したような錯覚を覚えた。 倒れたタンスの間、自分を庇うように、真斗がいた。 だが、打ち所が悪かったのだろう。 真斗の頭部からやけに鮮やかな、緋色の流血。その上、幼い身体で己より大きな物に耐えられる訳もなく。 本能で判った。動かない思考で、もうダメだと。 それでも助けようと、残骸となったタンスを押し退けて弟を抱きかえた時。 虫の息とはこのことだと、頭の隅で思いながら弱った真斗はただ微笑って言った。 『良かった』と―― |