――夢を、見ていた。
 懐かしい、けれど遠くないあの夕暮れの夢。


 がその微睡みから目覚めると、見憶えのある背中があった。
 背負られているのだと認識するのに時間がかかったが、誰なのかはすぐに判った。
 ぼんやりする頭で倒れたんだと思い出し、前方を見ると真田の後ろ姿もあった。
 一緒にいた筈の越前達はどうしたのだろう?驚かせただろうかと思っていたが、不思議と真田達がいることには疑問に思わなかった。
 彼女にとって、それは当たり前だったからだ――数ヶ月前までは。
 何も言わなくても彼らは傍にいてくれた。例え、望まなくても。
 そしていつ日かそれは、自分が望んでいることに変わっていた。
 身体が弱っている所為なのか、視界が滲むのを堪えるようには柳の首に力一杯しがみつく。
「……?起きたのか?」
 それに気づいた柳がゆっくりと声をかける。
 背中にいるからか、その声音が耳に心地良く響いた。
「…………降ろして」
 は顔を柳の背に埋めたまま、消えそうな声で呟く。
「何を言っている?お前、熱があ…」
「――いいから、降ろしてっ!」
 彼女の言葉が聞こえた真田は歩み寄り注意するが、は遮って叫んだ。
 それを聞いた柳は立ち止まり、少し考えるような素振りの後、ゆっくりと彼女を下ろした。
 地に足をつけて少しフラつきながらも、は自力で立って柳達を見る。
「大丈夫か?」
 真田が珍しく心配そうに訊くも、彼女は黙ったまま少し虚ろな瞳を柳へと向けた。
 彼もただ黙って、を見つめている。
 その顔は何もかもを判っているような、無感情だったけれど彼女にとっては酷く安心する懐かしい表情だ。
 思わず縋りついてしまいそうになるのを押さえるように、は俯く。
「…何で……っどうしてそうやって助けてくれるのっ?」
 熱の所為なのか、押し殺すような声で叫んだだけで呼吸が乱れる。立っているのもやっとだ。
「何を言ってるんだ?そんなこと当…」
「――だって!もう一緒に試合には出れないっ私は、青学の生徒だから!」
 当然のように真田が言いかけたが、は悲痛にも似た声で叫ぶ。
 それは今まで彼女の中で燻っていたこと。そして、気づいてしまった。
 青春学園に転校してきて、テニス部に入ったのは幸村達と約束をしたからもあったが、きっと立海との繋がりが欲しかったから。
 それでも青学の皆と一緒に過ごして、彼らと共に選手として仲間として頂点を目指すことも彼女にとって楽しみになっていた。
 ――そう、思っていた筈なのに。
 立海メンバーと再会した時、ライバルとしてではなく皆と会えたという喜びの方が上回っていた。
 そして、戻りたいとも思ってしまった。
 自分はどこかでずっとそんな気持ちを抱いていたことが、青学の皆には罪悪感で。
 割り切れてなんていなかったことが、には腹立たしかった。
「これじゃ、立海にいた頃のままで……変われてないよ…」
 今にも泣き出しそうな彼女は、堪えるように拳を握り締める。それは見ている真田も辛いものがあった。
 同じように見ている筈の柳は、ただ無表情だった。
 いつもの感情の読めない顔には微かに、笑みが浮かんでいるようだったが、俯いているが見ることはなかった。
 雨雲が低さを増した空の下で、彼らの纏う空気も重かった。
 そして、まるで追い討ちをかけるかのようにの背後から人影が現れる。
「――
 低い癖のある声に真田達が振り向くと、そこには灰色を基調としたユニフォームに眼鏡をかけた少年。
 名前を呼ばれたは、ゆっくりと振り返ってその人物を視界に捉えて呟く。
「……侑士」
 自分を見ている忍足の表情が強張っているのに、頭の片隅で嫌な予感がした。
 それを増長させるかのように、雨が静かに降り始める。




















 真田達が去り、残された越前達は暫くその場に立ち尽くしていた。
 の体調に気づけなかったことも後悔していたが何より、真田の放った言葉が胸に刺さっていた。それは越前だけでなく、他のメンバーも同じだっただろう。
 恐らくあの二人はミクスド試合の段階で、異変に気づいていたのだ。だから、を迎えにきた。
 越前は倒れる彼女を柳が受け止めた時のことを思い出し、無意識に拳を握り締める。
 あんな風に、彼は今まで助けてきたのだろう。を、外敵からも内面的にも。
 そんな無言でいる越前達の許に、視察へ行っていた乾と共に不二が戻ってきた。
「こんな所にいたんだ。試合はどうだった?」
 不二が良い知らせを期待して笑顔で尋ねるが、答えるどころか目を合わせる者もいなかった。
 不思議に思った二人は顔を見合わせて、乾が訊く。
「どうしたんだ?」
 負けたにしても、この反応はおかしいと思ったのだろう。
 彼らを眺めていた不二が、違和感に気づいて少し硬質な声で尋ねた。
「……は?」
 の姿がないことを訊くと、余計に空気が重くなったような気がした。
 だが黙ったままにもいかないと、意を決したように大石が顔を上げる。
は試合の後、体調を崩して倒れたんだ。それで…立海の真田と柳が病院へ連れて行った」
「……何で、立海の二人が?」
「アイツら・が体調悪いの知ってて来たみたいで、俺達にを任せるのは早いとか好き勝手言ってて…」
 立海の名前を聞いて、表情を変えた不二に菊丸が不機嫌につけ足した。
 それを聞いた不二は黙考していたかと思うと、息を吐いて大石達へと向き直った。
「…それで、すみすみ彼らに連れていかれた訳だ」
 まるで責めるような口振りに、その場にいたほぼ全員が表情を歪めた。反論したのは桃城。
「だってっ!俺らには何も判んなかったスよ!先輩は我慢してたみたいだし……不二先輩みたいに、先輩のコト判んないし…」
 それまでの苛立ちを吐き出すかのように、それでも弱まる言葉尻は恐らく周りの気持ちを代弁していたのだろう。
 だがまるで予想していたかのように冷静な不二は、そして真っ直ぐ越前を見据えていた。それは越前本人だから判った視線。
「そうだね…彼女も知られたくなかったんだろうし。でもそれじゃ、本当に彼女を知るコトなんて出来ないよ」
 どこか力の籠った言葉の後、不二は返答を待たずに歩き出したから菊丸が慌てて声をかける。
「どこ行くんだよっ不二」
「そんなの、決まってるよ――」
 考える間もなく答えて去って行く彼に、他のメンバーは何も言えず佇んでいた。
 その中で一人、不二の後ろ姿を見ながら越前はハッと気づいた。
 きっと彼は、を取り戻すつもりなんだと。
 そう思った時には、後を追うように越前は走り出していた。