試合は、珍しく苦戦を強いられていた。
 けれど対戦相手が特別強かった訳ではなく、勝敗は明らかに越前とが優れていた。
 なのに苦戦していた。
 正確には、一方的にが狙われているような状況だった。
 彼女の試合を初めて観たような者からすれば。
「………先輩…っ?」
 それは一緒に試合をしている越前には、よく判った。
 表情を面には出していなかったが、その試合スタイルは"らしく"なかった。いつもの余裕のあるプレーではなかった。
 例えば何か違う、見えない別のモノと戦っているような――


 その試合を、越前と同じく困惑した驚きの表情で。
 またはまるで冷めた眼差しで見つめる者達がいた。
 コートを囲むフェンスの外。観客者たちの声援の中で。
 この会場にいる誰よりも、彼女の本当の苦しみや戦っているモノを、彼らは痛感していたのかもしれない。


 それでも、無事に勝利を納めた試合の後。
 選手や審判がその場を後にする中、はコートでただ静かに佇んでいた。
「……先輩?」
 気づいた越前が呼んでみるが、返事はなく。
 聞こえていないのか、彼女は虚ろに空を仰いだまま呟く。
「――…てくる」
「え?」
 それは余りに小さくて、後ろにいた越前まで届かなかった。
 倣うように見上げた空には、朝よりも低い鈍色の雲。
 吹いてくる風も、どこか生暖かい。
 まるで、不穏な何かを運んでくるかのように。


 ――…降ってくる。




















 ミクスドの試合を終え、青学メンバーは会場を歩いていた。
 雨雲で陰る道を手前に菊丸と大石、海堂と桃城の中央にが並んで歩く。
 ユニフォーム姿の彼らの話は試合のことで、その時の表情は皆・活き活きとしているようだった。
 勿論、も例に漏れずいつもの明るい笑顔を振り撒いている。
 そんな中で話題は、先程行われたミクスド試合となった。
「そーいえばさ、達の試合。ナンか変だったよなー?」
 菊丸はそう言って歩きながらの方へ振り返った。
 それに彼女は何が?と、小首を傾げる。
「いつもと違う気がしたっつーか……なぁ?大石」
「…あぁ、確かに普段ならあんなに手間は取らないだろう」
「それは慣れてない越前と組んだからじゃないっスか?」
 同様に不思議だという大石に、彼女の隣りの桃城が反論するがは苦笑しながら首を振った。
「そんなコトないけど…ただ、ちょっとやりにくい相手だったのは確かかな。ね、越前?」
「え…あぁ、そうっスね」
 それまで一番後ろで眺めていた越前が、唐突に話を振られて少し戸惑いながら答える。
 彼の返答に納得したのかは判らないが、はにこりと笑ってまた話に戻った。
 菊丸達が言っていたことは越前も共感していた。一緒に試合に出ていたのだから、当然といえば当然だ。
 だが彼はダブルスには余り慣れていない。だからシングルスとは勝手が違うミクスドでは、違和感を覚えるのはおかしくないとも思っていた。
 ――ただ一つ、気になるのは試合前に言われた不二の言葉。
 自分では変わりないと思うのに、忠告を受けたことで逆にの行動や言動が不自然に思えるようになっていた。
 そんなことを黙考していた所為か、越前は先輩達と少し離れて歩いていた。
 気づいて早歩きしようとしたその時、不意にが立ち止まる。
「どうしたの?…」
 立ち止まって俯く彼女に気づいて菊丸が声をかける。
 けれど彼女はそれには答えず、自虐的に笑って呟いた。
「ははっ…なんか、限界かも……」
 そう言って唐突にの身体が、後ろへと倒れていく。
 予期せぬ出来事と、緩慢な光景に菊丸達はすぐに反応が出来なかった。
 唯一、驚きながらも後ろにいた越前が支えようと反射的に手を伸ばした、その時。
 視界の端で人影が横切って行った。
 誰かが走り抜けたのだと目視出来た時には、既にその人物が彼女を受け留めていた。
「――…危なかったな」
 他の者達も呆気に取られている中で、声と共に現れたのは立海大の真田弦一郎。
 驚く青学メンバーには目もくれず、を支えている柳の許へと歩く。
「どうだ?」
「熱はあるが、大丈夫だ」
 支えられている彼女を見ると、意識はあるようだったが汗も酷く見るからに辛そうだった。
 それを見た真田は、しゃがみながらの額に触れてから息を吐いた。
 まるでそれは安堵したような仕草だったが、すぐに振り返って彼らを睨む。
「こんなになるまで、お前達は気付かなかったのか?」
「それは……」
 責めるような口調に、大石が口を開いたがそれ以上、彼らは反論の言葉が見つからなかった。
「不二か、手塚なら気付いたかもしれないな」
 対して柳の方は、何の感情も含まない声音で言いながら体勢を整える。
 越前はただ、それを見ていることしか出来なかった。
 恐らくその場にいた青学メンバー全員が後悔していただろう。
 先程まで話していた彼女は、無理をして笑っていたことに気づかなかったのだから。
 だが越前の後悔は彼らよりも上回っていた。
 なぜなら確かに、不二は彼女の違和感に気づいていたからだ。
 具体的に言われていた訳ではなかったが、気をつけるように忠告されていたのに気づけなかった。それは――
「…先輩は気づかれないように、振る舞っていたから……」
 越前が呟くと、彼らの視線が集中した。
 それは真田と柳にも判っていたことなのだろう。目を合わせた後、二人はを見つめた。
「…そうだな。だがそれでも――俺達なら、気付いていた」
 自信ではなく、それは当たり前のように聞こえた。
 越前達へ言い放った真田の言葉には、確実性があった。
 その後ろではまるで青学など眼中にないような柳が、苦しそうなを軽々と抱き上げている。
「それが、俺達とお前達の差だ」
 威厳を思わせるように吐き捨てた真田は、彼女を抱える柳と共に歩き出した。
 呆然と見送りそうだったところを、菊丸が慌てて呼び止める。
「おい!をどこに連れて行くんだよっ?」
「病院だ」
 けれど二人は振り返りもせず、真田が端的に答える。
 そして徐ろに立ち止まった彼が、ゆっくりと振り返って告げた。
「やはり、お前達にを任せるのは早いようだな」
 期待をしていた訳ではないだろうに。
 まるでを奪っていくように去っていく二人の後ろ姿を。
 越前達はただ、今度は本当に見送るしか出来なかった。