朝、目覚めると体調が良くなかった。
 夢見が悪かった所為かもしれない。懐かしい、とても懐かしい昔の夢だ。
 それを見た朝は、決まって体調が悪い。
 ぼんやりする頭をゆっくり動かすと、そこには教科書や参考書以外に目立つ物がない無機質は部屋。
 家庭の事情で転校を繰り返す内に、余り物を持たないようになった。
 ――いや、一つだけ。部屋の中央で無造作に置かれた物だけ、幼い頃から手放せないモノ――テニスラケットやボールの入ったスポーツバッグ。
 その傍にあるテーブルの上には、先日幼馴染みから貰った古い写真。
 彼女はそれを一瞥して、カーテンの隙間から外を見れば、空は低い雲に覆われていた。
「………嫌な天気」
 今日は試合の日だというのに。
 今にも降り出しそうな鈍色の空に、溜め息を吐いて。
  は、緩慢にベッドから抜け出す。


 今日は関東大会、二日目。















俤 ‐omokage‐















 が自宅を出て、会場へ向かうバス停への道を歩いていると。
 前方に見憶えのあるジャージを来た男の子が立っていた。
 思わず立ち止まりそうになるのを堪えて進むと、気づいた不二がいつものように微笑む。
「おはよう、
「おはよう不二。待っててくれたの?」
 不二へ歩みながら、も普段と変わらない明るい笑顔で尋ねたつもりだった。
 けれど何か引っ掛かるモノがあったのか、彼は僅かに表情を顰めて。
「一緒に行こうと思ってね…」
 言いながら無造作に、不二は彼女の頬に手を添えた。
 驚いて怪訝に顔を上げると、彼はなぜか心配そうな表情をしている。
「大丈夫?顔色、悪いみたいだけど…」
「……大丈夫だよ」
 予想外の言葉に、内心で驚きながら僅かに後悔もしていたけれど。
 それでもはクスリ、と穏やかに微笑んだだけで歩き出す。苦笑にも、見えた。
 納得はいかなかったのだろうが、追及してもはぐらかされると判断したのか。不二は彼女の後を追った。
「……今日の試合、どうなるだろうね?」
 横に並んで歩く不二を一瞥して、は真っ直ぐ前を向く。
「さぁ?…辛うじてミクスドで勝ち残ることは出来たけど、どうかな」
 緩慢に答えながらも、その眼差しは強いことを不二は見逃さなかった。
 言い終えてからはニッ、と笑い不二へ振り向く。
「でも、負けないよ。絶対に」
 それはいつもの無邪気な笑顔ではなく、選手としての不敵な笑みだった。
 最近ではよく見せてくれる、彼女の素顔に近い表情。
 それを独占していることが今の不二にとって、ささやかな倖せだった。…勝手な、想いだと判ってはいても。
「そうだね、僕らは負けないよ。絶対に勝とうね」
 今はただ、目前の試合・ライバルだけを見て。
 二人は試合会場へと向かった。




















「――越前とペアっ?」
 大会が開始される会場で、ミクスド試合のメンバーオーダーを提出する直前。
 が乾から聞かされたペア組みに、怪訝な声を上げた。
 隣りにいた当事者である越前さえ、驚いていた。無理もない。
 その二人は勿論、他のメンバー達もその時に初めて聞かされたからだ。
 全員が驚く中、乾だけは冷静にへ視線を向ける。
「不安なのか?」
「いや…そうじゃないけど、何でいきなり?」
 彼女の相方は今まで不二だった。相性も良かったし、何より互いにプレイし易かった。
 それを突然、公式試合では組んだことのない越前とのペアとなれば、でなくても不思議に思うだろう。
「特に問題は無いだろう。今までも練習で何度かやっているし、それにここへきて相手も強くなり調べてきてはいるだろうから、奇策としては充分だ」
 表情は勿論、感情の読めない乾の説明にその場にいた全員は黙り込む。
 確かに準決勝まできた以上、対戦相手も一筋縄ではいかないだろう。意表をつくという戦略としては多少なりとも使える。
「……面白い」
 メンバー達が集まる中で一人、呟いたは愉しそうに顔を上げた。
「OK。それで行くよ、越前も宜しくね」
「……っス」
 笑顔で振り返る彼女に、越前は帽子のツバを押さえながら頷く。表情は見えなかったが、照れていたのかもしれない。
「それから、不二には一緒に他校の視察を手伝って貰いたいんだが」
「…乾の頼みじゃ仕方ないね」
「悪いな」
 不二と乾が話しているのを見て、説明は終わったのだと判断した他のメンバーはそれぞれに散っていく。試合開始まではまだ時間があった。
 もアップの為に移動しようと歩きかけた時、不意に隣りにいた不二が彼女の腕を掴む。
「……大丈夫?」
「…心配性だなぁ、不二は。誰かさんにソックリ」
 彼を見上げて苦笑するに、少しだけ不二は表情を歪めた。
 それを立ち去れないまま、黙って越前は眺めていた。なぜか酷く、居心地が悪い。
「言ったでしょ、平気だって。私はそんなに軟弱じゃないよ」
 微笑んだ彼女は不二の手からすり抜けて行く。その後を、越前が反射的に追おうとした時。
「越前」
「…何スか?」
「僕は見れないけど試合、頑張ってね。それから…」
 呼び止めた不二が言葉を切って、次に向けられたのはなぜか、とても真剣な表情だった。
「――に、注意しててね」
 けれどすぐに笑って告げた言葉の意味が、越前には判らなかった。
 危惧でも、しているのだろうか――――何に、対して?
 それはやはり判らなかったが。ただ無性に、越前は悔しさを感じて。
 承諾の意も表さずに、不二へ背を向けての後を追った。