コートを後にして、と向かったのは校内にあるベンチ。
 その傍にあった自動販売機で、忍足は二人分の飲料を買って彼女に渡す。
「ほら」
「ありがと」
 笑顔でお礼を言うの隣りに座り、缶を開けて口を付ける。
 同じように横で飲むユニフォーム姿の彼女を見て、忍足は少し笑った。
「…なに?」
 それに気付いたが不思議そうに訊くと、彼はいや、とまた苦笑する。
「相変わらずやなぁ思うて」
「何が?」
「そのテニスが絡むと、周りが見えなくなってまうトコや」
「そうかなぁ?」
 忍足の言葉に、彼女は少し驚いたようだったがすぐに苦笑して前を向いた。
「そーやて。そんでよく体調崩してた」
「それは、子供だったから。ペース配分なんて出来ないよ」
 は少し拗ねたように反論したが、忍足はそれだけではないと思った。
 確かに幼い子供が自分の体力を考慮して運動など出来ないが、それ以前に当時の彼女は他人が見てもテニスに没頭しているのが判った。
 それに実際、先程の部長とのやり取りでが無茶をしないようにと、心配している者がいるのも確かだった。
 けれど本人には余り自覚がないようで、忍足はの横顔を一瞥して呟く。
「……。そない明るくして話さんでえぇから。何か違和感あるし」
「?何の話?」
 急に話題を変えた所為なのか、キョトンとした表情のに忍足も戸惑う。
「いや…その喋り方や。作ってんやろ?皆の前では」
「失礼だなぁ。今はこっちが定着してるんだよー」
「へぇー。人間て変わるもんやなー」
「どういう意味かな?」
 素直な感想に、彼女は不服なのか笑顔の割りにその声はトゲトゲしかった。
 忍足にしてみれば、昔のを知っているから今の明るい彼女は不自然に見える。
 勿論、会わなくなって月日が経っているのだから変わっているのは不思議ではないが、となると話は別だ。
 幼い頃の彼女は、言ってしまえば冷めた子供だった。
 同じく子供だった忍足から見ても思ったことで、良く言えば大人びていた。
 そんな彼女が唯一、明るく接していたのは弟だけだったのをよく憶えている。
「――まぁ、侑士がそう言うなら無理はしないわ」
 遠い記憶を思い出していた忍足にそう言って、どこか冷めた瞳をしているに彼は苦笑で返事をした。
「で、本当は何しに来たの?まさか、ただ世間話をしに来たなんて言わないわよね」
「そんな訳ないやろ」
 ベンチに背を預けて訊く彼女に、忍足は答えて鞄の中からある物を取り出す。
「これを、お前に渡そ思うて」
 そう言ってに手渡したのは、少し古びた一枚の写真だった。
 受け取った彼女はその写真を見て驚き、凝視した。
「…コレって……」
「整理してたら出てきてな、昔の写真」
 そこには、幼い忍足とともう一人の三人が写っていた。
 両側に笑顔の忍足とに、その二人に囲まれているのは彼女の弟――相楽真斗だ。
 まるで時が止まったように動かないを眺めて、彼は視線を逸らして空へ呟くように言った。
「あの…火事の後、残ったのって……」
「……無いよ。何も、残らなかった」
 ないと思っていた返答は、覇気のないモノだった。
 物心ついた頃だったからか、その火事のことは忍足も鮮明に覚えていた。
 とはいえ、既に鎮火後で彼女の家の残骸しか見ていなかったが、それでも衝撃的だった。
 そして、その当事者であるの苦しみは計り知れないモノがあっただろう。
 当時のことを思い出しながら彼女の虚ろげな横顔を眺めていると、表情を変えないままポツリと呟いた。
「こんな顔だったんだね…マナって」
 写真を眺めて懐かしむその表情は優しくもあり、また寂しそうでもあった。
 それは見ていた忍足まで苦しくなるもので、思わず眼を逸らす。
「…そういやアイツも、お前以上にテニスに夢中やったな」
 気を逸らす為か、思いついたことを呟くと顔を上げたが少し惚けてから、苦笑した。
「そうだね。運動は私より、マナの方が上手かったから」
 目前に広がる校庭へ振り向いて、部活動に励む生徒達を眺めながら、彼女も思い出しているのだろう。
 両親の影響だったか、姉弟は本当にテニスが好きなのがよく判った。そして仲も良かった。
 普段は冷たい態度の彼女も弟には優しく、テニスをしている時は楽しそうに笑っていた。
 そんな二人の風景が、幼心ながらも忍足には羨ましかった。
「アイツはよう、日本一の選手になるんや言うてたっけ」
「うん…私は、そのマナの夢を、叶えてあげたかった……」
 性格は少し生意気だったが、その時は眼を輝かせて言っていたなと懐かしむ。
 その隣りで、写真に視線を落とすは今にも消えそうな声音で呟いた。
「お前は、真斗だけには甘かったからな」
 彼女が沈んだ姿を晒すのは少数しかいないことなど知らない忍足は、それでも直視は出来なくてまた視線を逸らし答えた。
 暫く二人の間に例えようのない沈黙が流れていたが、やがて忍足がゆっくりと立ち上がった。
「ほな、俺はそろそろ帰るわ」
 横に置いていたスポーツバッグを肩にかけて言うと、驚いたが彼を見上げて訊く。
「え…本当にコレを渡しに来ただけなの?」
 怪訝に尋ねられた忍足は、少し考えてから振り返って答える。
「あぁ、他にもあるけど。早めに渡しとこ思うて」
「だったら何も学校まで来なくても。試合も近いんだしその時に…」
「阿呆、そない敵の所へ気軽に行ける訳ないやろ」
「そっか…そう、だよね」
 彼の言ったことは尤もだったのだが、見上げていたは少し驚いたような顔をして自嘲気味に呟いた。
 それが気になったが余り長居も出来ないので、忍足は歩き出したのだが。
 あることを思い出して少し躊躇った後、立ち止まる。
「……そういや、お前んトコの1年。越前いうたかな」
「うん、越前がどうかした?」
 急な話に不思議に思いながらも訊き返すと、彼は振り返って言った。
「えらい気に入っとるみたいやな」
「…そう見える?」
「まぁ、あの日見た時はな。それとアイツは少し…」
 がどう思ったのかは判らないが、伏し目がちに笑って答える。
 それを真正面から捉えて、少し逡巡したが忍足は一度目を伏せて静かに告げた。
「――真斗に似とるな」
 妙に感情の欠けた言葉に、彼女は驚かなかった。
 だがそれは表面上に出ていなかっただけで、は全く動けないでいた。
 逆に驚いたのは忍足の方で、彼女が自分を見ていなかったことに安堵した程だ。
 戸惑っている間に我に返ったかのように、首を傾げてが訊き返した。
「そう…かな?」
「あ…まぁ、顔の雰囲気とかな」
 彼女の表情はひどく、寂しそうではあったが、本人が気付いていないようだった。
 だから忍足は話を切り上げるように別れを告げて、背を向ける。
 背中に「じゃあね」と、の声が届いたが振り返らずに去っていく。
 その足取りは若干、早足で表情は酷く険しかった。

 胸中に潜んでいた嫌な胸騒ぎが、確実に拡がっていたからだ。





 †END†




書下ろし 09/04/11