幼過ぎたあの冬の朝。 瞳に焼き付いているのは、低い曇り空の下。 ひらり、ひらりと舞い落ちる無情な雪の中で。 動くことのない、少女と少年の姿―― Suggestion 氷帝学園の校内へと続く、昇降口前。 制服で鞄を持った忍足が歩いていると、後ろから声をかけられた。 「――オイ」 然して驚かずに振り返れば、同じく制服姿で腕を組んだ跡部が立っていた。 「何処へ行く?」 威圧的な態度に、内心で溜め息を吐きながら忍足は答える。 「ヤボ用や」 「…サボる気か?」 訝しげに訊くのは今は放課後で、部活生は練習に励んでいる時間だからだ。 跡部もこれからコートへ向かうのだろう。忍足は歩き出して軽く答えた。 「大丈夫やて、監督には言うとる。早退や」 「……アイツの所に行くのか?」 先程とは違う口調で訊いてきた彼に、忍足は思わず足を止めた。 「――…アイツて?」 振り返らずに訊き返すと、意外にも少し怒った様子で跡部が言った。 「 だ!お前、青学へ行くつもりだろう」 その言葉に驚いた忍足が振り返って笑う。 「よう判ったな、跡部」 感心したように言えば、彼は息を吐いてから腰に手を当てて言い放つ。 「お前があからさまに気にしていたからな」 表に出ていたことに驚いたのか、跡部の洞察力に驚いたのか。 どちらにしろ、余りに意外だったから忍足は表情に出ないまま沈黙する。 「なぁ、跡部」 「…何だ?」 「似とるモノを追ってる奴に、何て言うたらえぇと思う?」 顔を上げた忍足に、跡部は少し戸惑っているようだった。質問の意図が判らないモノに答えを返せる筈がない。 「どういう意味だ、それは」 「…何でもない。ただの戯言や、ほなな」 悪戯に笑って彼は再び歩き出した。呆気にとられた跡部が慌てて引き止める。 「な…本気でサボる気か?」 「ちょっと、届けモンがあるんや」 振り向かないまま、忍足は手を振って学園を後にした。 目的地に着いた忍足は、早速テニス部コートへと向かった。 だが、他校生の彼が場所を知っている筈もなく。 何となく下校中だったの女子生徒に尋ねると、快く教えてくれた。 男子部の向かいにある女子部コートでは、試合形式の練習をしているようだった。 その中に、忍足は目的の人物を見つけて眼鏡の下の眼を細める。 コートには圧倒的に格の違う強さを持つ、夕陽を思わせる橙色のユニフォームを着た女子―― がいた。 対戦相手も部内では強い方なのだろうが、力の差は歴然だった。 それでもの球に食らい付いているのは凄いことだ。 一方のは息も乱していなかったが、表情は真剣そのもの。 曇りのない真っ直ぐな瞳に、忍足は記憶の中の幼い彼女と変わっていないことが少し、嬉しく思えた。 その間に練習が終わり、観戦していた何人かが忍足の存在に気づき、騒ぎ始める。 普通なら女子部を覗いている部外者だから、変質者扱いされるだろうが。 彼の風貌のお陰と言うべきか、注目を浴びている忍足が愛想笑いを浮かべると歓声が上がった。 その騒ぎで、休憩していたがこちらを振り返り忍足に気づく。 「…侑士っ?」 「よぉ、」 危く囲まれそうだった忍足が軽く手を上げると、は驚いたまま彼の許へ駆け寄った。 「どうしたの?こんなトコに来て…」 「ちょっと、お前に会いとうなってな。来てしもうた」 「はぁ?」 彼がにこやかに答えるとは大きく首を傾げた。 かみ合わない二人を余所に、集まっていた部員達が余計に騒ぎ始める。 それを抑止したのが、先程と試合をしていた女子部員。 「はいはい皆ー今は部活中だよー。散った散ったー」 「部長…」 どうやら部長らしい彼女は、明るい声で部員達を散らせながら歩いてきた。 「えっと、サンの彼氏?」 「違いますっ。昔、近所に住んでた幼馴染。最近ちょっと再会してね」 「俺は彼氏でもえぇけど?」 「侑士まで余計なこと言わないで」 力強く否定するに悪戯心で答えると、彼女は眼を合わさずに笑顔で言った。 普通に見れば明るい笑顔だが、の性質を知っている忍足には逆に怖かった。 二人のやり取りをどう受け取ったのかは判らないが、部長はなぜか残念そうに呟く。 「なーんだ、彼氏じゃないんだー私はてっきり」 「何でてっきり彼氏と思うかな」 逆にそれが不思議だとが首を傾げると、彼女は少し真面目に。 「だってサンが誰かを下の名前で呼んでるの、初めて見たから」 その言葉にが少し驚いたように見えたが、すぐに苦笑して告げた。 「まぁ、小さい頃にそう呼んでたからクセみたいなものかな」 「俺もて呼んどったからなぁ、今更苗字もないわ」 「へーそんなモノかなー?」 本人達があっさりしているから、第三者の部長は疑問を残しながらも一応納得したようだった。 すると当初の目的を思い出した忍足が、の肩に手を置いて訊く。 「そや、ちょっと話したくて来たんや。・借りてってえぇかな?」 「な…何言ってるの、まだ部活中だよ」 彼の申し出に一番驚いたのはで、まだ練習があると断ろうとしていた。 だがその許可を決める部長は何か考え込むような素振りの後、にっこりと笑ってを差し出すように背中を押して言った。 「どーぞどーぞ。なんなら、そのまま持って帰っちゃってもいいよ!」 「あ、ホンマ?」 「ちょ…何言ってるのよっ部長!?」 余りの快さに驚いたが、珍しく狼狽えて反論する。 「だってサン、練習始まってから休憩してないでしょ」 「ぅ……」 「試合が近いから焦るのは判るけど、体調管理も選手の仕事だよ」 「…そうだね、判ってるよ」 少し窘めるような部長に、も自覚しているのか苦笑しながら答えた。 その彼女を見た忍足は空を仰いで密かに溜め息を吐いた。 それは疎外されていることではなく、昔から変わっていないに対してだ。 「だから休憩ついでに行っておいでよ」 再度、彼女の背を押して促す部長は続けて呟くように言った。 「それに、あんまり無理はさせないでくれって言われてるの」 「え…それって誰に――」 戸惑って訊くに、彼女はただ穏やかに苦笑するだけだった。 |