関東大会の一日目が終了してから。
 激戦の中、強豪氷帝学園から勝利を奪った青春学園テニス部は騒然としていた。
 原因は部長である手塚が治療の為、九州へ旅立つこと――つまり、試合から彼が抜けることだった。
 その最中で手塚と大石は放課後、後輩の越前達の闘志を焚きつけていた。
 最後に海堂へカマをかけに行った後、どこか満足そうな大石に手塚が呆れかけていた時。
 二人が歩いていた道の前方で、が静かに立っていた。
「…?」
 大石が不思議そうに問いかけたのは、彼女が普段に比べ無表情に佇んでいたから。
 けれどはすぐに笑顔になり、手塚へ視線を向けながら告げる。
「九州に、行くんだってね。手塚」
「あぁ…」
「じゃあさ――」
 返事を聞いてから、彼女は徐ろに持っていたラケットを手塚へと突き出して不敵に微笑う。
「勝負してよ、手塚」
 凛とした声が風に乗って手塚達に届いた。
 その力強い瞳に対して、けれど手塚は黙ったまま何も答えない。
 見つめ合う二人と場の空気に、少し押されていた大石が動揺した様子で口を開く。
「突然、何を言ってるんだ
「突然じゃないよ。ずっと、手塚としたいって思ってたから」
 大石の問いには明るく笑いながら答えて、再び手塚に話しかける。
「前に言ったよね?いつか試合してくれるって」
「……何を焦っている?」
 手塚は答えない代わりに、ただ静かに問い返した。
 それには僅かに驚いたように目を見開いて、行き場をなくしたように腕と視線を落として黙り込む。
 妙に距離のある三人の間に流れた沈黙は、数十秒もなかったがお互いに長く感じられた。
 それは、彼女の迷いだと気づいたのは手塚だけだったかもしれない。
 は視線を落としたまま、呟くように訊く。
「……いつ、帰ってくるか判らないんでしょ?」
「そうだな」
 いつものように、短い手塚の返答に彼女は少し苦笑したようだった。それから顔を上げて微笑う。
「…いいなぁ手塚は。皆に、託して行けるから」
「…?」
 溜め息混じりに呟かれた言葉に、手塚達は表情を顰めた。彼女はそのまま続ける。
「心配なんて……不安なんてないんでしょ?皆を、信じてるから」
「…どうだろうな」
 真っ直ぐ見つめるに、彼は曖昧に答えたがそれは肯定しているのと同じだった。
 けれどその返答に、彼女は満足したような淋しそうな表情の後、顔を背けて呟く。
「…――私は、いつまでここにいれるか、判らない…」
 そう言ってゆっくりと、空を見上げたの顔はとても無表情で虚ろげだった。
 大石達はその横顔を眺めるしか出来なかった。同時に彼女の内情を思い出す。
 は昔から転校を繰り返していて、ここへの転校も急なことだったと聞いている。
 慣れているとはいえ、一度住んだ場所から離れるのは簡単なことではないだろう。それは物理的なことではなく、内面的な問題だ。
 彼女は、断ち切ることを繰り返してきたんだと手塚達はそこではっきり理解する。
 黙り込むに、溜め息を吐くような素振りを見せた手塚は徐ろに歩き出した。
 そして彼女の横を通り過ぎる時。
「だったら尚更、試合をするつもりはない」
「――!」
 弾けたように振り返るに、手塚は背を向けたまま立ち止まり。
「お前も、アイツらと共に青学を支えて欲しい」
「でもっ…」
「――必ず」
 焦る彼女の声を遮って、手塚は振り返って強く告げた。
「俺は必ず、戻ってくる」
 言い残して手塚は去っていった。
 その背を見送っているの隣りに大石が寄ると、彼女は俯き呟いた。
「……待ってろって、コトか…」
 余り覇気のない声だったから、不安そうに見つめる彼に気づいたが微笑む。
「そんな顔しないでよ、大石」
「だが…」
「安心して。元々、本気で手塚と試合する気はなかったから」
「え、そうなのか?」
 驚く大石に、彼女は苦笑しながら歩き出した。
「だって、治しに行くっていうのに無茶させる訳にもいかないでしょ?」
「まぁ…そう、だな」
 納得いく説明だったが、ではなぜそんなことを手塚に持ちかけたのか。
 ――それは、が望んでいるから。
 そして勝負を急いだということは彼女自身、いつでもここを離れる覚悟をしているということではないか、と大石は思った。
 隣りで歩くいつも明るい少女を見ながら、自分が思っていた以上には様々なモノを抱えて堪えているのかもしれない。
 困惑している大石には気づかず、は微笑みながら振り向く。
「ゴメンね、大石。驚かせちゃって」
「あ…謝らなくていいよ、。きっとアイツが帰ってきたら試合も出来るさ」
「…うん。そうだね」
 頷いた後、は少し遠くを見ながら微笑んだ。
 その笑顔がなぜか、大石にはとても淋しそうに見えた。





 †END†




書下ろし 09/03/03