太陽も傾き、夕暮れも近づこうかという頃。
 河川敷をノロノロと歩いてたら、眼下の川に見覚えのある姿を見つけ。

 私は、にやりと笑った。


「――冷たっ」
 予想以上に冷たかった川の水に、私は思わず足を引いて声を上げてしまった。
 その声に背を向けてた海堂が振り返る。
「……、先輩」
「あは…見つかっちゃったー」
 不思議そうな彼に、苦笑しながら惚けてみせる。
 ゲーセンで遊んだ後、越前達と別れ帰宅してると海堂が川の中で素振りの練習してるのを見つけ、後ろから脅かそうとしたのだ。水があんまり冷たかったから失敗したけど。
 今度はそーっと、慎重に川へ入る。夏とはいえ、川の水はやっぱり冷たかった。
 それもすぐ慣れて、音を立てて前に進む。
「精が出るね、海堂。こんな川でスネイクの練習?」
「はい…――って、ちょっと先輩ストップ!」
「へっ?」
 楽しそうに訊きながら進む私に、彼は返事をしたかと思うと、急に駆け寄ってきて塞き止める。
「ココ、急に深くなってるトコあるから危ないっス」
 海堂の言う通り、よく見ると岸辺は浅いけど彼がいた辺りは結構深そうだった。
 溺れる心配はないけど、制服のままじゃ確実にスカートが濡れてしまう。
「ホントだ。助かったよ、海堂」
 彼が腕を支えてくれたお陰で、片足を深い所に突っ込む前に免れたから礼を言う。
 すると海堂は、少し慌てた素振りで支えてくれてた手を放した。
「あ…あの、このままだと風邪引くんで上がらないっスか?」
「え?でも練習は?」
「いや、俺も休憩しようと思ってたんで…」
 そう促されて、やや強引に岸辺へ上がらせられる。

 いくら冷たくても、夏だから風邪なんて引かないと思うけどなー。

 仕方ないから荷物を置いてた所に腰を降ろし、濡れた足をタオルで拭く。
 その横で同じように腰を降ろした海堂は、タオルで汗を拭いていた。きっと長い時間川の中で素振りをしてたのだろう。
「頑張ってるね、海堂」
「え?…まぁ」
「部活の後、いつもここで練習してたの?」
 楽しそうに訊いてみると、控え目ではあったけど海堂は答えてくれた。
 そういえば、こうして彼と二人きりで話すなんて初めてだなーと思ってると、隣りの海堂が少し恐る恐ると振り向いて訊いてきた。
「…あの、さっきから気になってたんスけど、その大量のぬいぐるみはどうしたんスか?」
「あーコレ?」
 その質問に、私は明後日に視線を向けて呟く。
 私の隣りには鞄と一緒に、沢山のぬいぐるみが詰め込まれた大きなビニール袋が置いてあった。自分で見てもちょっと空笑いが出る。
「ちょっと帰りに越前達とゲーセンに寄ったんだけど、取り過ぎちゃって」
「全部自分で?」
「ううん、貰ったの」
 あの後、何でか菊丸と千石君の間でどちらがより難易度の高い景品が取れるか勝負になっていた。
 越前も最初は参加してたんだけど、私が暇だったから彼と一緒に別のゲームで遊んでいた。結局、勝負は引き分けだったんだけどその後が問題だった。
 つまり、二人で取るだけ取った景品を私が引き受けることになったのだ。
 その経緯を話すと、流石に海堂も複雑な表情をしてた。まぁこれだけパンパンに人形とか入ってればね。
「結構重いんだよねー。あ、海堂。どれか貰ってくれない?」
「えっ!? 俺がっスか?」
 思いつきで訊いてみると、彼は動揺した。
「うん。ちょっと可愛いモノが多いけど…」
「いや、ぬいぐるみとかはちょっと……」
「えー?」
「嘘はいけないな、海堂」
「「うわあっ!!」」
 要は自分が荷物を減らしたいが為にお願いする私に、海堂が渋ってると別の声が横から聞こえて私達は声を上げた。
 忍んできたとしか思えないほど、いきなり現れたのは乾だった。
「…いきなり現れないで、乾」
「そんなに驚かなくて良いだろう」
「普通、驚くっスよ…」
 項垂れる私に、乾は心外そうだ。いや、本当のトコは判んないけど。
 毎度のことだけど、反発する私達には構わず彼は海堂へと声をかける。
「それより海堂。お前、可愛いモノ好きだろう。猫とか」
「なっ…や、動物とかは嫌いじゃないっスけど、人形は勘弁です…っ」
「えー?可愛いのになー」
 はっきりと断られて落ち込む。私もこんなにあっても困るんだけどなー。
 袋からはみ出てたウサギのぬいぐるみを持って首を捻る。と、ここで一案。
「じゃあコレ、乾にあげる」
「断る」

 決断が早いよ……。

 即決で拒否され、私は落ち込む素振りを見せながらウサギさんをいじり出した。
 その様子に、海堂がどう接したら良いのか困ってる。
「で、どうなんだ?海堂。調子は」
「えっ……まあまあっス」
「そうか」
 けれど乾はそんなことお構いなしに、海堂へ練習の進み具合を訊いていた。どうやら彼は海堂がここで練習してることを知ってたらしい。
 訊かれた海堂は驚きながらも、言葉を濁した。それは進んでるのを隠したいのか、成果がないのが悔しいのか私には判らなかったけれど。
「じゃあ、俺・戻るんで」
 そう言って彼は再び、川の中へと入って行き手拭いを使った素振りを始めた。
 その姿を地面に坐って眺めながら、隣りに立つ乾へと話しかける。
「――乾、越前に何か吹き込んだでしょ」
 すると意外にも、間を開けて乾が訊き返す。
「何故だ?」
「だって越前の様子、おかしかったもの」
 立ち上がって制服に付いた埃を払いながら、私は答えた。
 さっきは戻ってたけど、部活の時の越前は何か気を遣ったような態度だった。
 屈めてた身体を起こして振り向くと、乾は一度目を合わせた後で視線を前に向けた。
「吹き込んだとしたら不二だ。俺は、越前に訊かれた事に答えただけだ」
「不二か……訊かれたコトって?」
 溜め息をつきながら、訊き返すと彼は答えてくれなかった。大体、検討はつくけれど。
 少し俯き、川の流れと水の跳ねる音を聴いてから、顔を上げて私は海堂へと声をかける。
「おーい海堂ー!私、これで帰るけど頑張ってねー」
「…うっス」
 海堂らしい返事を聞いてから、私は乾にもじゃあねと告げてその場を離れようとした時。
「……
 乾に呼び止められて振り返ると、彼は真っ直ぐ私を見て言った。
「物事というのは、お前が思ってるより自分の外の世界で動いてる事もある」
 一瞬、何を言われてるか判らなかったけれど。
 それがさっきの答えだと知っても、益々判らなくなった。
「…それって、私が無知ってコト?」
「ただの一般論だ。そういう事もあるかもしれないだろう」
「そうだね…」
 乾の言葉に、私は曖昧に答えながらその場を立ち去った。
 いつもより多い荷物が越前達と別れた時より重く感じるは、気のせいじゃないかもしれない。

 この後に訪れる邂逅に、本当の意味で私は知る由もなかった。





 †END†




書下ろし 09/01/16