最初は、本当に気づかなかった。
 今日会った時も、一年前に出会っていた時も。
 違和感を抱いたのは彼女が名乗ってから。無邪気な笑顔に隠れた狡猾な眼差しに、忍足は強い既視感を憶えた。
 そして確信をもったのは、不二に抱き締められて痛んだ傷の理由を聞いたからだ。
「なに…?」
 弾かれたように駆け寄って彼女の右腕を掴んだ忍足に驚いて、が振り返る。
 突然の出来事に、その場にいた者は呆然と見ているだけだった。
「――お前、相楽…か……?」
 腕を掴んだまま鋭い眼差しで訊けば、は酷く驚いた表情で固まった。
 だがすぐさま顔を逸らし、微かに笑いを漏らして。
「……懐かしいなぁ。もう何年も呼ばれてなかったから、忘れかけてたよ」
 そう自嘲気味に呟く彼女は、忍足の腕を振り払った。
「どうして君がその名前を?」
 真っ直ぐ見据えてくるは、それまで見せていた無邪気さを一切掻き消し、洗練されたような力強い眼差しを湛えていた。
 これまでと異なる雰囲気に忍足の仲間は勿論、彼女の仲間である青学メンバーまでもが驚いて身動きが取れずにいた。
 だが向けられている筈の忍足に動揺した様子はなく、寧ろ懐かしさを感じていた。
 その昔から変わっていない、冷徹な眼差しを見て。
「…なんや忘れてしもうたん?俺や。昔、隣りに住んどってよお一緒に遊んどった忍足侑士や」
 自分を指差しながら普段に比べて明るい口調で話すと、彼女は訝しげに首を傾げて忍足を凝視する。
「え……あー!もしかしてあの、気が弱くて小さかったあの侑士っ?」
 やっと思い出したらしいが、瞳を大きく見開いて大袈裟なリアクションで驚く。
「非道いなぁ。昔のことは言わんといてや、
「いやー見違えちゃってるから判らなかったよ。前は眼鏡なんてかけてなかったでしょ?」
「あぁこれ・伊達やねん。お前も随分と印象変わってんから、ホンマにさっきまで気づかへんかったわ。昔はそない明るいカンジやなかったやん」
「…そーだっけ?」
 互いを懐かしむように、忍足とは言葉を交わす。
 その時のはいつものように明るく笑っていたが、忍足が何気なく言った言葉に微かに表情を曇らせた。
 忍足が知る彼女はこんな風に無邪気に笑う少女ではなかった。
 冷静で気が強く、笑顔はいつも自信に満ち溢れたような笑みだった。
「ナンだよ、お前ら知り合いだったのか?」
 の微かな変化が気になったが、いつの間にか立ち直っていた跡部に質問され、仕方なく振り返る。
「そうや。小さい頃、俺が住んどった家のすぐ隣りやったから、幼馴染みってトコやな」
「相楽というのは?」
 先程から何かをノートにメモっていたらしい青学の乾が、隣りに立つに訊く。
 それに忍足は少し後悔した。マズかったのかと、横目で窺うと気づいた彼女が振り向いて微笑んだ。
 "大丈夫"とでも言っているような、大人びた笑み。
「……私の旧姓」
 顔を乾達へ戻し、は柔らかく言った。残りの者達が一様に驚きを見せる。
「私ね、本当の家族をさっき言った火事で亡くしてるの」
 それは穏やかな声音で告げられた。
 横で聞いていた忍足の方が、彼女より悲痛な面持ちになっていた。
 ――その時のことを知っているから、余計に。
「それで父の仕事仲間で親しかった今の両親に、養子として引き取られたの」
 続けられた内容は忍足の知らないものだった。
 あの事故後、彼女の消息がまったく判らなかったからだ。
 だからという苗字を聞いても判らなかったのは、それが一因でもあった。
 彼女の話を聞いて息を飲むように、驚いている彼らを見たはやはり苦笑いをしていた。
 そうするしかなかったのだろう。そんなに改めて向き直って、忍足は呟く。
「そうやったんか……すまんかったな、何も出来へんで」
 申し訳ないように言うと、は驚いてから不思議そうな表情で笑った。
「何言ってるの?侑士が謝ることは何もないよ。私達、まだ子供だったんだし」
 軽く忍足の腕を叩いて、目前の少女はあの無邪気な笑顔で微笑う。それを見て彼は安堵した。
 はもう変わったんだ。乗り越えたんだと、安心して無造作に彼女の頭に掌を置く。
「元気そうで良かったわ」
 心からそう思って彼女に微笑むと、一瞬キョトンとした後、照れたように笑った。
 無邪気な笑顔より強気な微笑みより、その笑顔の方が忍足には可愛く見えた。
 周囲を気にせず、そのまま二人が昔話に花を咲かせかけていた時。
 それが気に食わなかったのか、唐突に不二がの腕を引き寄せた。
「お話中申し訳ないけど、僕達はこれでお暇するよ」
「えーもう?まだ…」
 声を上げる彼女には構わず、不二は忍足から引き離すように自分の後ろへと連れて行く。
 だが、それを黙って見送る跡部ではなかった。
「あぁ?今更そんなこと許されると思ってんのかよ?」
 コートを去ろうとする青学メンバーに向かって、跡部は仁王立ちで呼び止める。
 しかし不二はまったく動揺もせず、不敵に微笑みを浮かべて振り返った。
「僕達はまだ何も偵察してないよ?もうそれどころじゃないしね。それに、練習の邪魔しちゃ悪いでしょう?部長サン」
「っ………」
 まるで邪魔を許さないかのように、有無を言わさぬ不二の笑顔に跡部は何も言い返せなかった。
 偵察しようとした彼らを許す訳にはいかないが、確かに練習をしている者からすれば、彼らに時間を割いている暇はないのも事実だ。
 それが判っていて、不二は返事も聞かずに踵を返した。その後を越前と不服そうな乾が渋々とついて行く。
 最後のが、去り際に振り返って忍足達に手を振った。
「じゃあまたねー侑士!それに皆もー」
「お、おうっ!」
 声を大きくして別れを告げる彼女に、向日が手を振り返す。
 それに跡部が腕を組んで吐き捨てた。
「ハッ…もう顔も見たくねぇ」
「君には言ってないから」
「!!」
 それが聞こえたらしいが冷たく即答した。案の定、傷ついて落ち込む跡部。
 ホンマ大した奴やと思いながら、跡部を見ていた視線を向けると彼女は悪戯に笑って青学の連中の許へ駆けて行った。
「少し変わってましたけど、可愛い人でしたね」
「ま、確かにな」
 帰っていく彼らを見ながら、鳳と宍戸が楽しそうに呟く。それには忍足や他の面々も同感だった。
 ただ一人、不服そうに跡部が反論する。
「どこがだ。あんな失礼な女」
「だけど気に入ったんだろ?素直じゃねぇなー跡部は」
「ぅ……」
 向日が悪戯するような笑みで茶化すと、図星だったような跡部が詰まる。
 普段と逆転している二人のやり取りを横目に、忍足が再び達に目を向けると、彼女は隣りを歩く一年の越前に話しかけていた。
 からかっているのか、反発しようとする越前には躊躇いもなく抱きついている。
 傍から見れば戯れているように見えない光景に、忍足は目を離せずにいた。
 同時に、再び懐かしい既視感に駆られる。
 二人と重なって目に映るのは、彼女達より一回り小さい。

 同じように戯れる幼い少女と少年の姿―――

「どうした?侑士」
 余りに鮮明な映像に気を取られ、固まっていた忍足の思考を遮るように向日が呼びかけた。
「……いや、なんでもあらへん」
 現実に引き戻された彼は、まるで振り払うように首を振って否定した。

 ――気のせい、だと。





 †END†





初出 05/06/18
編集 08/11/14