乾について向かったのは氷帝学園の校内ではなく、側にある比較的広い公園だった。
「どォーして!わざわざこんなトコ歩くのっ?」
 そして今、達が歩いているのは園内にある雑木林にも似た沢山の木々と、氷帝学園の敷地を囲むように立つ木々が混ざり合ったような場所。
 そこを乾から少し離れた距離で、不安定な足取りで歩くが不満げに言い放つ。その後ろを越前がついて来ていた。
「仕方ないだろう。偵察に行くのに、まさか正面からコートへ行く訳にもいかない」
「それはそーだけど…」
 淡々と話す乾に彼女は理解しつつも脱力する。
 言っていることは判るし、自分が彼の立場なら同じことを考えただろう。だけど今のには環境が悪かった。
 ラフな服装の二人と違い、彼女はシンプルながらもそれなりにオシャレをしていた。それこそ、ティーン雑誌に出ていてもおかしくない姿だ。
 だがそれは街中を歩く格好で、こんな林に近い場所を歩くには不釣合いだった。
 おまけに踵の高い靴を履いているからいくら整備された公園でも、コンクリートではない土の上は歩き難かった。
 そんな彼女を見かねてか、後ろを歩いていた越前が体を傾けて乾に尋ねる。
「本当にココ、氷帝のテニスコートに繋がってんスか?」
「当然だ。俺のデータに間違いはない」
 彼の話に因れば、校門以外で真っ直ぐ氷帝のテニスコートへ向かうにはここを抜けるしかないらしい。
 乾のデータなら確かに間違いではないだろうが、嫌々で付き合わされている越前には面倒だと思ったのだろう。
 が振り返れば、彼は不機嫌な表情で溜め息をついていた。
「ゴメンね?越前。なんか巻き込んじゃって…他に用事があるなら無理に付き合わなくても」
「え…いや、別にイイっスよ。どうせ俺も暇だったし……」
「そう?ありがと」
 気を遣われたことに驚いたのか、越前は戸惑うように目を逸らした。
 嘘だろうとは思ったけど、なぜかおかしくて嬉しくて、それ以上追求はせずに微笑んだ。
 とその時、唐突に乾に呼びかけられる。
「――
「何…っひゃあ!!」
 答えようと顔を戻しかけた時、足を何かで躓き大きくこけてしまった。
「先輩!?」
 前屈みに倒れた彼女に越前が駆け寄る。
 幸い、地面は雑草だらけで服は汚れなかったが、受身が取れなかったから身体への衝撃は相当なものだった。
「いったぁ…もう何……」
「大丈夫っスか?」
 思いっきり地面に打ちつけた額を擦りながら、はなんとか起き上がる。
 躓いた物を確かめようと、心配してくれる越前と振り返ればそこには規則的に寝息を立てている、者。

 …………………人?

 二人は目を疑い絶句した。彼女が躓いたものは、確かに人間だった。
 地面に寝そべり何事もなかったかのように、癖のある髪型の少年が眠っていた。
「そこに人がいるから気を付けろ、と言おうとしたんだが…」
「だから遅い!何で君はそう言うのが遅いのっ?てか、普通こんなトコに人が寝てたらスルーしないよね!? 普通立ち止まるよね!!?」
 呆然とする二人の背後で冷静に言う乾に、勢いよく立ち上がって喚いた。にしては珍しく憤慨している。
「そう興奮するな。彼を起こしてしまう」
 これが怒らずにいられますかっとは思ったが、彼の言う通り声を抑えた。
 けれど余程眠りが深いのか単に鈍いのか、当の少年は起きる気配もなく穏やかに眠っている。
 思わず不安になってきたは、彼に近づき身を屈めて様子を窺う。
「……誰なのかな?この人…」
「芥川だな」
「って知り合い?」
「いや、だが知ってはいる。氷帝学園テニス部三年レギュラー、芥川慈郎」
 事務的に説明する乾に、へぇーと相槌しながら改めて少年を見れば確かにジャージの中にテニスウェアを着て、スポーツバッグを枕代わりにしていた。
 彼女がその少年に興味をもって、更に彼のことを訊こうとした時。

 ―――ガサっ。

 背後で葉の擦れる音に振り返ると、そこには途轍もなく大きな影が揺れて近づいてきた。
「ぅわっ!」
「どうした?」
 反射的に乾の後ろへ隠れて恐々と顔を出すと、影の正体は長身で顔も身体も何もかもが大きい人間の男だった。
 よく見れば、傍で寝ている少年と同じグレーと白地のウェアを着ている。
「「あ…」」
「――あーすみません。驚かせてしまいましたか?」
 男を見て越前と乾が声を上げたのと同時に、彼の背後からひょっこりと現れたのは、大男と同様に長身で同じジャージを着崩した銀髪の少年だった。
 先に現れた無表情な男と違い、その少年は人の良さそうな笑顔でまだ驚いているに声をかける。
「大丈夫ですよ。コイツ、怖そうに見えますけど無口で大人しい奴ですから」
「ウス」
「はあ…」
 そう話す少年と、やっと一言を発した男に曖昧に答えるしかなかった。
 悪い人達ではないのかな?と思った彼女は、漸く乾で隠していた身体を離す。
 その様子を見ていた銀髪の少年が、両隣りにいる二人の存在に気づいて目を見開いた。
「あれ?青学の……乾さんですよね?確か。それと…」
 不思議そうな彼を見て、ここにいる理由を訊かれたらまずいと思い、は乾へ振り向いて目で訴える。
 その意味を判ってか否か、乾はまるで思い出したように二人の紹介を始めた。
。この二人も氷帝レギュラー。二年生の、右が鳳 長太郎であの大きい方が樺地崇弘だ」
 多少不自然だったが、偵察しようとしているのをバレない為には仕方ないとは頷く。それに気遣ってか、鳳が話を合わせてきた。
「初めまして。えっと、貴女は…」
。一応、私も青学の女子テニス部に入ってるの。よろしくね」
 笑顔の彼につられてではないが、彼女も無邪気な笑顔で自己紹介する。
 頷く鳳の隣りで微動だにしない樺地という男も頷くが、答える言葉はやはり「ウス」だけだった。
「ところで、お前達はどうしてこんな所に?」
 互いの紹介が終わったのを見計らって、乾が質問をする。
 それで当初の目的を思い出したのか、鳳が焦って彼らの脇で未だに眠り続ける芥川へ振り向いた。
「そうだ。部長に言われて連れ戻す為に捜してたんですよ。先輩、起きて下さい。芥川先輩!」
 彼の横にしゃがんで、鳳が呼びかけながら揺り起こす。
 かなり乱暴な揺すり方だったが、それくらいしないとこの少年は起きないんだろうとは思った。
 暫らくして芥川が呻いて目を覚ます。
 が、その瞳はまだ眠そうでなかなか起き上がろうとしない。
「ふぁ――あ…何だぁー」
「何だじゃないですよ。もう部長が怒ってましたよ。さ、部活に戻りましょ」
「えー…俺、まだ眠いぃー……」
「ダメですって。あぁもう、寝直さないで下さいっ」
 鳳が起こそうと強く言ってはみるが、当人はのろのろと答えながら既に体勢が昼寝モードで再び寝入ってしまった。
 これはもう起きる気云々より、身体が眠ろうとしているのだろう。
「もう仕方ないな……樺地」
「ウス」
 起こすことを断念した彼は、それまで黙って佇んでいた樺地を呼ぶ。
 何をするのかと達が眺めていると、樺地は眠ったままの芥川を軽々と持ち上げて担いだままその場を去って行った。
 成程、この為にいたのかと青学組はその姿を見送りながら納得する。
「それで、乾さん達の方こそどうしてここに?」
 同じ質問を鳳にされ、彼らは我に返った。
 完全に立ち去るタイミングを逃してしまった。だが動揺は見せず、乾がフォローに回る。
「実は近隣の公共施設の現状というものを調べていてな。手始めに色んな公園のデータを取る為に、この公園を探索していたんだ」
「へぇーそうなんですか」
 少し無理のある言い訳だったが、彼の淡々とした口調のお陰か割と説得力があった。鳳もそれを聞いて信じたように笑顔で頷く。
 これなら大丈夫だろうとと越前は胸を撫で下ろした、のだが。
「―― 嘘ですよね?」
 笑顔のまま、鳳にきっぱりと否定された。