夕暮れも近づこうかという放課後。 校舎裏で女子部の練習が終わった後も、私は一人で壁打ち練習を続けていた。 理由は練習し足りないのと、人目に付かないから。 …まぁ、壁打ちしているボールの音は結構響くから、近くに人が通れば気付かれるんだけど。 不規則に跳ね返ってくる球を私は一つ残らず打ち返していく。 単純な運動だけど、スピードが上がれば難易度は増すし、長く続けていれば腕も疲れてくる。 夢中というより無心で打っていると、ストレートに返ってきたボールがラケットには当たったものの重さに耐え切れず、ラケットごと弾きとばした。 「――はぁっ…は……はぁ」 動きを止めた私は、初めて乱れていた自分の呼吸を聴いた。 吹いてきた風にテニスボールが転がるのを見て、空を仰いだ。まだ夕焼け空には早い。 息を吐いて、弾かれて落ちたラケットを拾おうとして動きを止める。微かな痛みに、徐に右の手ひらを持ち上げて見つめた。 ……まだ、グリップを握っていた跡が残ってる。 それを何の感情も含まない表情で見つめていると、遠くから自分を呼ぶ声が聞こえた。 「オーイ、ー!」 爽やかな声に振り返って見ると、私は驚いたように硬直する。 そんな自分を不審に思ったらしい大石が訊く。 「…何だ?どうしたんだ?」 「いやー珍しい組み合わせだと思って、ね」 苦笑を浮かべてラケットを拾う。 そこにいたのは、ユニフォーム姿の大石・乾・タカさんに海堂だった。 見慣れたレギュラー達とはいえ、この組み合わせは珍しい。私からすればだけど。 大石が何がと不思議な表情をしていたと思ったら、私を見て何やら溜め息を吐いてから手招きをする。 「ちょっと来い、」 「ん?なーにー?」 「随分頑張っているみたいだな」 私が駆け足で大石達の許へ行くと、大石が関心したように呆れたように言う。 何のコトかと彼らの前に立ち止まって首を傾げていると、大石が持っていたタオルを掛けてくれて、少し照れたように言った。 「汗くらいキチンと拭け」 そう言われて私は汗を掻いていることに気付いて、掛けてくれたタオルで汗を拭こうとして、匂いを嗅いだ。 「洗い立てだから安心しろ…」 しっかりとフォローする彼に笑いながらお礼を言った。 判っているけどそこはノリというか、お約束? 汗を拭いながら思い出して彼らに向き直る。 「それより、皆はどうしたの?もう部活は終わり?」 時間的に終わりなんだろうけど、一応訊いた私に答えてくれたのはタカさん。 「あぁ、ちょっと早かったんだけどもう終わったよ」 「いいなー男子部は。練習が長くて」 タオルを首に掛けて、愚痴るように肩を竦める。 実際は女子部の練習は短いんじゃなくて普通だ。基本的な部活動の規定時間を守っているだけで、男子部の練習時間が長過ぎるのだ。 そんな私に意外なのか、大石達は驚いた顔でいた。訊いてきた乾を除いてだけど。 「物足りないのか?」 「物足りないよ!もっと練習試合を増やして欲しいなー」 練習時間が短くて不満なんて、どれだけ熱心で真面目なのかと感心されるか稀有に思われるかだろうけど。 至極簡単な話、私がテニスを好きだというだけ。 練習も試合も楽しいからだ。 多分、それを他人に話して尊敬はされても理解はされないだろう。 きっと同意してくれるのは、彼らのようなレギュラー選手だけかな。 私が足りないという部分の説明に入りかけていたところで、何やら居場所に困っていたらしい海堂がいつもより控えめに言ってきた。 「…あの、じゃあ俺はお先に……」 早く着替えたいのか、去ろうとする海堂に乾が引き止めて、事務的に話し出す。 「あ、海堂。今の練習量だが、もう少し減らしても…」 指導するようにも見える乾に、私はふと思い出した。 「そういえば、乾が皆の練習予定を立ててたこともあるんだよね?」 週末に男子部で練習に参加しているとはいえ、私もそんなに彼らの普段の練習内容を把握している訳じゃない。 それでも噂で聞くよりは男子部のことは知っている。 誰となしに訊いた質問に、大石が答えた。 「あぁ、そうだな。アイツのデータは正確だから」 「いーなぁ。私も作って欲しいよ」 羨ましがる私に、タカさんが不思議そうに訊いてくる。 「でもならちゃんと計画立てて練習してるんじゃないかい?」 「する前はね。でも、どうしても偏っちゃうの」 頭の中で考えていても、実行する時になると本能に任せて好きなことしかしないのが現状だ。 良い改善方法はないのかと思っていると、海堂と話し終えた乾が振り返って言った。 「作ってやろうか?」 「ホントっ?」 喜ぶ私に、乾はどこからともなくノートを取り出して捲り始める。 「…まずはきちんと朝食を摂ることだな」 淡々と述べられた言葉に、私は明るい表情のまま固まった。 ………一体どこから取ってくるの?そのデータ。 「お前、朝ごはん食べないのか?」 「いやいや、食べるようにしてるけど基本的、朝からあんまり食事とか入らない体質なの。気分悪くなるし…」 わざと平静を装いながら、大石の問いに身振りで答える。それに全く食べない訳じゃない……パンとかお茶ぐらいだけど。 「また倒れるぞ」 続いた乾の言葉に、今度こそ表情が強張った。 私の記憶では青学へ転校してきてから、体調不良やケガで倒れたことはない筈だ。――少なくとも、乾の前で倒れた憶えはない。 「……いつの話よ?」 「さぁ?今年のことではないな」 含みのある言い方に、私は本当に侮れないと思った。いつものことだけど。 本当に、どこからそんな情報を手に入れてくるのよ…。 乾にだけ見える位置で軽く睨んでいると、わざと肩を竦めて改めて言った。 「ま、お前が望むなら簡単な練習表でも作ってやろう」 「…ありがと」 「まずは体力作りだな」 テニスに関する練習じゃないんですか。 断言する乾に内心でツッコんだ。 確かに自分でも体力作りが必要だとは思ってたけど。 少し落ち込む私に、大石とタカさんが心配とも同情とも取れる表情で私を見ていた。 その時、呼び止められてそのまま去り損ねた海堂が、少し意外そうに言ってくる。 「…先輩って、努力家なんスね」 思わず感心するような彼に、一度目を丸くして私は笑った。 「ん?まね。強くなる為には練習あるのみだよ!」 それは海堂がよく知っていると思う。 人一倍練習して努力しているし、それは試合にも表れている。勿論、他のレギュラーの皆もだ。 ここの人達はテニスに対して貪欲――向上心がやたら高い。 だから、一緒にいて楽しい。 「お前はもっとテニスが強くなりたいのか?」 私の言葉を聞いて、大石が楽しそうに聞いてくる。 「うん。負けたくないからね」 それはすらりと出てきた言葉だった。まるで用意されたような本心。 満面な笑顔の私につられてなのか、彼らも笑ってくれた。やっぱり居心地の良い場所だと思う。 その私の気持ちを汲んでくれたのか、大石が提案をもちかける。 「じゃあ、まだ時間あるし。コートで打ち合うか?」 予想外の言葉に驚いて、私は訊き返した。 「…良いの?」 部活が終わったのなら、もうコートも閉まっているだろう。彼らも着替えなくてはならないから、閉まる前に部室へいかなくてはならない筈だ。 それを含めて訊くと大石は、自分がカギ当番になっているから平気だと言ってくれた。 タカさんや海堂も練習足りないのか、快く付き合うと言ってくれた。 元気だなーみんな。 クスクスと笑いながら喜んでいる私も、大概元気だけど。 「最初は試合形式でいくか?」 皆で男子部のテニスコートへ向かいながら、副部長らしく大石が尋ねる。 「タカさんじゃキツイだろうし、俺とやってもつまらないだろうから、海堂とやってみるか?」 あくまでメインは私らしく、大石はそう言って私が試合を楽しめるように海堂を誘う。 私は真面目だな、と思いながら苦笑して彼らの前へ出て、振り返って笑った。 「試合じゃなくてもイイよ。折角だから、ダブルでしよう?その方が楽しいし」 練習をしたいのは確かだけど、みんなだって部活で疲れているだろう。私もそんなに体力は残っていない。 その提案に、皆も乗ってくれた。 「じゃあ、誰と組むんだ?」 「んー…ココは、後ろを任せられる大石とが良いな」 「よし。任せられよう」 楽しそうに訊いてくるタカさんに、私が悪戯するように指名すると大石も答えてくれた。 「という訳で、タカさんは海堂とね」 「えっ…?」 私が言うと驚いたのは海堂だった。少し戸惑っているようにも見える。 嫌という訳じゃないんだと思う。 きっとタカさんと組んだことがないから、困っているだんだろう。確かに合わない組み合わせだよね。 内心で笑っていると、置いて行かれたような乾が口を開く。 「………俺は?」 「「審判」」 素朴な疑問に、イジメるかのように私と大石が声を揃える。それに溜め息をついていたが、彼は異論しなかった。 ……というか、乾の場合。良いデータが取れるとか思ってるんじゃないかな。 そっちの方に不安を憶えたけど、まぁ別にイイかと割り切った。 そうして短い時間ではあったけれど。 私達は少し奇妙な、遊びにも似たテニスを楽しんだのだった。 †END† 書下ろし 07/11/30 |