「……何のつもり?」 僕に引き寄せられ俯いたまま黙っていたさんが、睨むような冷たい視線で尋ねる。 てっきりいつものように明るく非難してくると思っていた僕は驚きながらも、すぐに微笑んで腕の中にいる彼女に訊き返した。 「それが本当のさん?」 「勘違いしないで。私の中で君が信用出来る人物なのか、疑いにかかってるだけよ」 パシっ、と僕の腕を払い退けるさんの声は、普段と比べてやはり冷たい。そんな彼女に、僕は胸の奥で微かな疼きを感じた。 「そんなに嫌だった?それとも、越前に誤解されるのが嫌?」 笑顔を崩さない僕を一瞥して、彼女は目を伏せながら軽い溜め息をつく。 「両方、と言いたいところだけど、越前は関係ないわ。場所と状況を弁えて行動して欲しいだけ。私は有りもしない噂が流れて前みたいな面倒事に巻き込まれるのは御免なのよ。第一、彼女でもない女の子にすることじゃないわ」 冷静に、けれどきっぱりと話す彼女の瞳は、真っすぐ僕に向けられている。決して半端な返答を許さない姿勢。 恐らく常人では思わず怯んでしまうような眼光に、僕は愉しそうに微笑んだままだ。 この程度で僕が怯まないことは彼女も判っているのか、気分を害された様子もなく毅然としている。 「僕は、君を気に入っているよ」 「だから?」 「君を抱き締めた」 「それじゃ説明にならないわ」 笑顔を絶やさない僕に、さんは突き放すような声音で言い返す。そこでふと、浮かんだ疑問。 「なら君は、どうしてそんなに越前の事を構うの?好きだから?」 突然、矛先を越前に向けたことで、さんは微かに眉を顰めた。 「はぐらかさないで」 「じゃあ、どうして越前を気に入っているのか教えてよ。そしたら答えてあげる」 「…………」 出した条件に彼女は少し沈黙した後、顔を逸らして呟く。 「越前と、試合をしてみれば判るわ」 その瞳は少し伏し目がちで、見つめる横顔はその時のことを噛み締めるように愉しそうだ。 「初めて会って、時間潰しに軽く遊ぶつもりだったけど。とんだ拾いモノだったわ。あんなに愉しめるテニスは久しぶり………強くなるわよ、アイツは」 再び真っすぐ見つめてくる瞳の奥には、鋭く光るモノ。それを味わった者だけが浮かべる、強さに対しての期待。 「……だろうね」 それが己にも判るから頷くしかなかった。 自分も彼は一目置いている。越前の持つ、天性の才能が判るから――アイツは強くなる。僕らの想像を越えるほどに。 頷いてさんに目を向けると、彼女は黙って僕を見つめていた。質問に答えたから、僕の答えを待っているのだろう。 「僕のは、一目惚れってヤツかな?」 笑顔を戻して軽く言った返答に、彼女は露骨に訝しそうな表情を浮かべた。 「ソレ、本気で言ってるの…?」 「ヒドイなぁ。僕が冗談でこんな事言うと思う?」 「どうだか。私、君みたいにいつも笑ってる人と、軽口叩く人の言うコトは信じない主義なの」 「でも、嘘は言わないよ」 呆れる彼女に今度は真面目に答えると、驚くように目を丸くしてから肩を竦めた。 「……そうね。それは判ってるつもり」 諦めているのか、理解してくれているのか。判別しづらい返答の後、さんはそのまま視線を下へと向けてしまった。 そして互いに黙る口。目の前には、窓に背を向け風に煽られて不規則に揺れるカーテンに包まれている、さんの姿があった。 「あの日…」 その光景に虚ろなモノを見るかのように目を眇めながら、ぽつりと呟く。 「君の試合を初めて見た時、軽い衝撃を受けた気分だった」 さんが転校して来て暫らくした頃。 どこで知ったのか、ミクスドの選手候補のことで事情も知らない女生徒らが彼女に文句を付けてきて、騒ぎになったことがあった。 それを僕ら男子テニス部の三年レギュラーが止めに入ったのだけれど、強引ともいえる話し合いでさんと女子部の部長とが、試合をして場を沈めることになり。 そして僕達は、彼女の試合を初めて見ることになった。 それまで一緒に部活で練習してきて、さんがそれなりの実力者であることは僕らも判ってはいた。しかしそれはあくまでも"練習"だ。勝負である試合でこそ本気が発揮されることは、誰もが判っている筈だった。 ―― その日、僕はその試合中、彼女からずっと目を離せなかった。 「世の中には、君みたいな女の子でこんなにも強い選手がいるんだって、驚いた」 実力だけじゃない。彼女の試合や相手に対する姿勢が、表情が、瞳がとても力強く全てが凛然としていて、惹かれてしまった。 それと同時に先刻の豹変したさんに感じたのと同じ、ゾクっと疼く感覚と沸き上がる興奮。そしてもう1つ―― 今も鮮明に思い出せる光景から思考を戻すと、さんは驚いたような表情で僕を見ていた。それでもすぐに笑った表情は、どこか自嘲じみている。 「それは褒めて貰ってると思っていいの?」 「構わないよ。僕の素直な意見だから……僕はあの時の、君の姿が忘れられない」 「………どうして?」 笑顔で答えたのに対し、さんは不思議そうに、けれどなぜか苦しそうに尋ねた。 その表情を見た時、あの試合で感じた微かな違和感が確信となって蘇る。 ――あの日、試合中に選手としてコートに立っている彼女が、不意に頼りなく今にも崩れ絶えてしまいそうな少女のように見える時があった。 ただただ強がって、そこにがむしゃらに食らい付こうとしている姿を見る度、 「僕は君を…さんを、守りたいと思ったんだ」 「え…」 その述懐に、さんはただ目を丸くした。それでも僕の言葉の意味を判ってはいるのだろう。彼女は一笑して、再び冷たい表情を向けた。 「何・ソレ?……私は守って貰われるほど、弱くな…」 「――僕には、」 さんの言葉を、自分の声と彼女の背にあるカーテンを掴み包むことで遮り、一切の笑みを消して彼女を見つめた。 「君が、とても脆い人に思えたから」 そう告げると、さんは顔を歪ませた。 傷付いたという訳ではなさそうだったが、予期せぬ言葉に当惑しているように見えた。……けれど、顔が赤くなっていたのは確かだった。 それを見た僕は、胸の辺りで何かが騒ついたことに気付く。 高鳴る鼓動は彼女の試合を見ていた時の感覚に似ていたが、この衝動はそれとは異質なモノ。 その感情の答えが出かけた時、乱暴に教室の扉が開かれる。 「おっ待たせー二人共。早く部活行こ――って、何してンの…?」 今までの空気を一気に掻き消してくれたのは、本来僕達が待っていた英二と、その横には途中で合流したと思われる大石。 元気よく現れたものの、僕がさんを窓際へ追い詰めている形になっている状況を見た英二は、おどおどした様子で尋ねる。 「っ……」 その声で我に返ったのか、僕を押し退けるように離れるさんは近くに置いてあった自分の鞄を持って、英二めがけて走り出した。 「わっ、何?どったの?」 「な…何かあったのか?」 勢いよく抱き付く彼女に驚きながらも、英二と大石が心配そうに声をかける。それでも英二の胸に顔を埋めたまま、さんは反応を示さない。 その突然の行動に少し呆気をとられ、僕が呆然と眺めていたら、英二に抱き付いたままで顔をこちらに向けている彼女に気付く。そして、 べ――っ!! まだ少し赤らめた顔で、小学生のように舌を突き出してきた。 「行こ!」 「え…?!?」 不覚にも面食らってしまった僕には構わず、さんは英二達を連れて教室から出て行ってしまった。 「………………ふッ」 一人残された教室で込み上げてくる可笑しさに耐えられなくなり、思わず吹き出し声を押し殺して笑ってしまった。 あんな幼稚なことをするさんが可笑しかったのもあるが、そんな彼女を可愛いと思ってしまう自分にもだ。 そして気付いた、自分の想いにも口が緩んでしまう。 さんを惚れ込んでいるというのは本当だ。 でもそれは彼女の試合姿を見てその流麗な様に、選手としてのさんに一目惚れをしていたんだ。そして、今は―― ふと、先刻まで彼女を掴んでいた腕に目を向けて、そして遮るものがなくなり今は自由に風で揺れ動く白いカーテンを見つめた。 思い出すのは、さんの面影と未だ胸に宿る甘い感覚。 彼女は本当に僕を愉しませてくれる。 「………ハマってるね、僕も」 苦笑気味に呟く声と反して、その表情はきっと嬉しそうだったに違いない。 今はまだ、この状況に浸っているのも悪くないかもしれない。 "クラスメイトで同じ部活仲間"―― それも結構気に入っている。だからといって、このままでいるつもりなど毛頭ないけれど。 僕は開け放たれた窓を閉め、自席に置いていた鞄を掴んでさん達より少し遅れて部活へと向かった。 後々に思い知らされる、あの時感じた、不確かな脅威への悚れもないままに。 †END† |