1 不運との遭遇


 都大会へと近づいた青春学園のテニス部は、活気づいていた。
 それに合わせて、男テニを偵察しようと他校の生徒達がやたらと学園ヘやって来ているようだった。……ココへ来るまで何度、テニスコートの場所を訊かれたか。

 ――ま、それだけウチを他校が注目してるってことよね。

 そう思って微笑みながら私が女子部コートへ向かうと、フェンス外で困り果てている女子二人の姿を見かけた。
「どうしたの?」
 声をかけると振り返ったのは女テニの後輩である竜崎桜乃ちゃんと、彼女の友人である小坂田朋香ちゃん。
「あ…先輩」
「あーこんにちは!センパーイ!!」

 わーお。いきなりタックル?

 大人しい桜乃ちゃんと違い、明るい朋香ちゃんが勢いよく抱きついてくる。元気だなぁ。
 越前を王子様と慕う彼女には始めは警戒されていたけれど、いつの間にか懐かれていたのだった。
 アレかな?私が「越前に目をつけるなんて見る目あるねー」と褒めたからかな?ま、懐かれるのに悪い気はしない。
「それで、こんな所でどうしたの?」
「あの、それが……」
 朋香ちゃんが離れてから尋ねると、困惑した桜乃ちゃんが向けた視線を追えば、そこには明るい髪色をした白ランの男の子が倒れていた。
 どう見てもノびている。
「………どうしたの?この人」
「それが、リョーマ君のボールを顔面に受けて…」
 それで気絶しちゃった訳か。
「その"リョーマ君"は?」
 彼女の真似をして、大方予想がつく質問をする。
「それがリョーマ様、この人ほっぽって行っちゃったんですよ〜」

 女の子に押しつけて去るなんて良い性格ね、リョーマ様(笑)。

 溜め息をついて倒れている男の頭の前にしゃがみ込む。多分、青学に偵察へきた他校生なんだろうけど運がなかったね。
 どうしたもんかと考えていると、少し呻いてその少年が目を覚ました。
「あ、大丈夫?気分悪いなら、保健室に連れて行くけど…」
 心配そうに訊くとその少年は何も答えずジッと上を見上げていた。やっぱりどこか具合が悪いのかと思っていると、横たわる男はヘラと笑い。
「紺色のパ…」
 嬉しそうに彼が呟き終わる前に、私は半ば反射的にソイツの顔をガッと片手で押さえつけた。後ろで桜乃ちゃん達が驚くのが気配で判る。
 私は沸き上がる怒気を押さえて、笑顔で尋ねた。
「……このまま、目を潰されるのと土下座して謝罪するのとどっちがイイ?」
「えっとスミマセン全力で謝りますごめんなさい」
 男は早口で捲し立てて謝罪した。ま、乙女の下着を見たんだから当然よね。
 内でそう冷笑を浮かべていると不意に身体が宙に浮いた。不思議に思って振り返ろうとすると、後ろから聞こえたのは穏やかな声。
「――そんな所に坐り込んだら、スカートが汚れるよ」
「不二…」
 軽々と私の身体を抱き上げていたのはレギャラージャージ姿の不二で、ゆっくりと地面へ降ろしてくれる。
「みんな集まってどうしたの?」
 にこやかな不二に、続けたのは地面から立ち上がって埃を叩いている先程の少年。
「…ひょっとして、アンタが青学の天才と言われてる、不二周助君?」
「……君は?」
「私の下着を覗いた変態君」
 抑揚なく呟いた私の言葉で、その場が凍りついた。
 そして不二は何やら不穏な空気を漂わせ、私を庇うように前へ出て目前の男に笑顔を向ける。
「へぇ……良い趣味してるね?キミ」
「いやっ!!! 故意で見たんじゃないって!不可抗力!! ちゃんと謝ったじゃんっ……て、えーと」
 本能的にヤバイと感じ取ったのだろう、彼は慌てて両手を振りながら一瞬動きを止めて私へと振り向く。
「君、名前なんて言うのかな?俺・山吹中の千石清純」
 ヘラヘラと笑いながら訊いてくるのに、私は少し呻いて答える。先に名乗られたらこっちも答えるしかないじゃない。
「… 。テニス部の三年だよ」
「へぇ〜君もテニス部なんだ。しかも同学年なんて、あんまり可愛いから年下かと思ってたよ」

 ……本気で言ってんのかな?

 少し軽そうに見えるけど、この千石君はまぁ悪い人じゃなさそうだな。……ちょっとスケベそうだけど。
 千石君は癖の入った髪を払って笑っていると、不意に眉を顰めて考え込むような素振りを見せた。
「……待てよ、って前にどこかで聞いたコトあるんだけどなー…君、ずっと青学だった?」
「ううん。前は立海にいて、今年の5月に青学へ転校して来たの」
 別に隠すことじゃないから素直に答える。けれど、私は彼のことなんて全く知らないから首を傾げた。
 多分、テニス関連のことだとは思うけど、然して興味も湧かなかった。
 考え込む千石君から、不二へ視線を移すと彼は相変わらず微笑んでいた。なーんかいつもより怖いよ?その笑顔。
「それで、他校生の君が青学へ何しに来たの?……て、訊くまでもないか。ナンパしに来たって言うなら、もっと別の場所があると思うけど」
 声音は穏やかなんだけど妙に刺のある不二に、千石君は再びにこやかな笑顔を浮かべる。彼の場合、とても爽やかな笑みだ。
「そう邪険にしないでよ。まぁ面白いモノは見れたし、このまま本当にちゃんをデートに誘うのも悪くないなぁ」
「 お断りします。」

 てか、勝手にちゃん付けしないで。

 間髪入れずにサラリと拒否する。うーやっぱこの人、軽そうだ。
「ツレナイな〜。ま、そういう女の子も好きだけどさ」
 めげない人だな。
「残念だったね。彼女はこれから僕とデートだから」
「どーしてそうなるの?」
 爽やかにとんでもないことを言う不二に、私は少し睨む。
 あんまり軽弾みなことは言って欲しくないなぁ。桜乃ちゃん達が驚くでしょう…………なんか、朋香ちゃんが目を輝かせているように思うんだけど…。
 この年頃の女の子はどうも色恋めいた話が好きだからねーって、私もそんなに歳変わらないか。
「冗談だよ。ただ、女子部が今日は自主練らしいからさ、男子部へ来ない?って話」
「そうなの?桜乃ちゃん」
「あ、はいっ」
 急に話を振られ慌てて答える彼女に、私は少し考え込み。
「じゃあ、行く」
 端的に頷くと、不二は嬉しそうに微笑んだ。
 彼がこういう表情をするとなぜか自分も嬉しくなるから不思議。……前にも、こんな思いになったような気がする。
「それじゃ千石君、私達もう行くけど…」
 言いかけて振り向くと、彼は苦しそうに片手で顔を押さえていた。
 そういえば、越前のボールを顔面に受けて倒れていたんだ。
「どうしたの?やっぱり具合悪かった…」
 傍に寄って彼を見上げたら、急に身体を抱き締められた。
「――捕まえた♪」
「へ…?」
 間の抜けた声を上げる私を、強く抱き締めてくる千石君の顔が間近にあった。どうやら先程のは演技だったらしい。
「ね、部活なんてサボってこのまま僕と…」


 ―――ドカッ!!


 おや?凄い音。

 千石君が熱い眼差しで紡いだ言葉が終わる前に、物凄く痛そうな打撃音が聞こえたかと思うと、私はいつの間にか不二の腕の中にいた。
「さ、早く行こうか」
 爽やかに言って私を引き摺っていく不二に、何か恐ろしいものを見たように怯える桜乃ちゃんが声をかける。
「でも…あの、あの人は…良いんですか?」
 後ろを振り返ると、今度は俯せで千石君が倒れていた。けれど、不二は見向きもせずに。
「構わないよ。彼はアレで精神が図太いから。キミ達も男子部へ見学に来るかい?」
「ハーイ!行きたいでーす」
 不二の誘いに朋香ちゃんが元気良く返事をする。

 確かに、図太いかもねー……。

 私は内心で賛同しながら、千石君の運の悪さを憐れんだ。