切原を乗せたバスが走り出すのを見届けてから、は繋いだままにしていた携帯で再び真田に話しかける。 「真田?…うん。今・バスに乗ってった。でもアイツのことだからねぇ、また寝過ごしたりして」 『有り得るな…』 苦笑いで話すに、真田は溜め息混じりに答える。電話越しでもその表情は手に取るように判った。 『済まなかったな、。面倒をかけて』 相変わらず中学生と思えない低い声で謝る真田に、は瞳を閉じてやはり苦笑気味だ。 「なーに言ってんの。この位、そっちいた時に比べれば面倒なんて思わないわ」 まだ一年だった頃の切原に比べれば、今の彼は大人しくなったと言っても良いだろう。 それに切原だけなら構わないが、立海の男子部は問題児ばかりが揃っていて騒がしくない日の方が珍しかった。だからにとって、この程度は面倒の内になど入らない。 『それよりお前はどうなんだ?転校してから、何の連絡も寄越さんで』 「あはは。ゴメンねー、ずっと立て込んでてさ。連絡するヒマがなかったの」 『笑い事ではない。心配してたんだぞ。ちゃんと食事は摂っているんだろうな?学校はどうだ?…まさか、恐い教師やクラスメイトに虐められてたりはしないだろうなっ?』 ……コイツは何を口走っているのだろう。 何か必死になって訊いてくる真田に対して、は無言で軽蔑の目を虚空へと向けた。 それは立海にいた時から変わらない、対応に困る真田の心配性だ。但しこれはだけに限り、その度合いは異常な程だった。 「あのねー、小さいガキじゃないんだから。そんな母親みたいなコト言われなくても大丈夫よ。場所が変わっただけで、私の生活は変わらないんだから」 『だったら尚更ではないか!今でも、両親が家にいる事は殆どないのだろう?』 嗜めるようにが答えるが、それは却って真田の心配を増幅させるだけだった。 彼女の家庭は特殊で、普段からいつも両親は不在な為、は一人暮らしをしているようなものだったのだ。 「仕方ないわ。忙しい人達だから」 自分を心配してくれる真田に、は先程よりも声の勢いを落とす。その表情は、少し自嘲じみていた。 それを聞いた真田はやはり声を荒げて言いかけるが、横から現れた誰かの高い声に遮られる。 『何故そう諦めたように言うんだっ?いいか、。お前は…』 『――何々?真田、と話してんの!?』 『オイっブン太!』 『副部長がサボってお喋りとは、感心しませんね…』 『ちょお真田、俺にも替わってくれんか?』 真田を遮った声とほぼ同時に、その向こうで数人の声が重なって聞こえたのに少し驚く。それは全て、の知っている人達の声だった。 『一度に喋るな!が聞こえないだろうが』 電話の向こうでその騒いでいる部員達に真田が怒鳴っているのが聞こえて、は苦笑した。 「大丈夫だよ。ちゃんと聞こえたし、誰がいるのかは大体判ったから」 『お前は聖徳太子かっ!?』 「 そんな神業使えません。」 意味不明な真田のツっ込みに、は平坦な声で切り返す。 確かに電話だけの会話で一度に何人も喋ったら聞き取りにくいのは当然だが、この人数なら人物特定くらい出来るだろう、とは思う。 「真田。悪いけど、ボリューム高くしてくれる?」 気を取り直してがお願いすると、渋々ながら真田が携帯から離れるのを気配で感じた。 『お久しぶりです、君。そちらの生活にはもう慣れましたか?』 そして真田と替わって話しかけてきたのは、紳士的で穏やかな口調の柳生比呂士――だったのだが。 「あぁ、その声は仁王ね」 が口にしたのは、彼のダブルスパートナーである仁王雅治。その余りにもあっさりとした返答に、仁王は溜め息を吐いて素直に正体を明かした。 『なんじゃ、バレとったか』 「当然。私がアンタのペテンに引っかかる訳ないでしょ」 『そうやった。けどこうも簡単に見抜かれると面白くないなー。なァ?柳生』 『面白いかどうかは、私では理解し兼ねますが。それより仁王君、試合以外で私の真似は控えて頂きたいですね』 仁王の問いかけで、横にいるらしい本物の柳生が興味なさげに答えて仁王は不満気に何でー?と訊いていた。 あはは…何か大変そうだね、柳生も。 二人の口論に耳を傾けていると、バッという音と共に今度は別の声がを呼んだ。 『もうヒドイじゃんかっ!!』 『あ!携帯を取るな丸井っ』 どうやら真田から携帯電話を奪った丸井ブン太が、憮然とした様子でに文句を撒き散らす。 『転校なんて聞いてなかったよ!何で俺に黙って行っちゃうのさ!? お前のそういう大事なコト言わないの、悪いクセだぞ?俺、もっとと遊びたかったのに』 「あーゴメンね?丸井。私も急なコトだったからさ、本当にゴメン。今度お詫びに、美味しいケーキ屋さん紹介するから、ね?」 今にも泣きそうな丸井に、は苦笑しながらも誠意を込めて謝罪する。そして何とか丸井の好きな物で機嫌を取ろうとした。 それを聞いた彼は一瞬黙った後、確認するように尋ねる。その声は先刻に比べて明るくなっていた。 『……ホントだな?』 「うん。約束する」 『「ジャッカルの奢りで」』 『俺かよっ!?』 声を揃えて言った二人に、突然指名されて決定事項にされたジャッカル桑原が丸井の傍で驚いて言った。 いつもの反応にと丸井は愉しそうに笑い合う。このような三人のやり取りは、彼女がテニス部に入ってから今まで変わらないものだ。 『丸井。ちょっと替わってくれないか?』 その時、何の感情も持たないような淡々とした聞き慣れた声に、は笑いを止めた。そして零れるのは、穏やかな笑み。 先刻は声が聞こえなかったが、彼女には何となく、いることが最初から判っていた。 『元気そうだな、』 「――蓮二」 電話を替わったのは、が立海大附属に入学してからのクラスメイトでテニス部の仲間でもあった、柳 蓮二。 在校中はいつも一緒にいて、テニス部の中でも一番仲の良かった人物――そして、がこれまで生きてきた中で初めて、信頼出来た他人。 「うん、元気よ。そっちも相変わらずみたいで安心した。もっと早く連絡出来たら良かったんだけど…」 『気にするな。期待はしていなかった』 「あ、ひっどいなー」 いつもの素っ気ない返事に、は大して傷ついた様子もなく答える。 柳の性格を判っていなければこんなあっさりと受け留められないだろうし、の性格を把握しているからこそ柳が何の配慮もせずに済む。 それは、お互いが信頼し合っている証拠だ。 『ところでどうなんだ?青学の方は。楽しめそうか?』 「まぁね。実はさ、顧問の計らいで男子部の方で練習出来るコトになったよ。レギュラー達と一緒に、週末だけだけどね」 『ほぅ、それは面白そうだな……だが余りやり過ぎるな。身体を壊しては元も子もない』 突然の思いがけない台詞に、は言葉に窮してしまう。 真田ならいつものことだから慣れていたが、柳が心配をするなど久し振りだったから、は驚きを隠せなかった。 「何・真田みたいなコト言ってんの?それじゃ、私が危なっかしいみたいじゃない」 投げやりに返すと柳は毅然とした声で答える。 『あぁ。お前は赤也以上に、無茶をし兼ねないからな』 「……………」 それは余りに普段通りで、見透かしたような言葉には沈黙するしかなかった。だからか判らないが、妙な安堵感がの胸を満たす。 それと同時に過るのは、言い表わすことの出来ない微かな焦燥。 「……ねぇ、蓮二」 『何だ』 呼びかけるの表情は物憂げで、声が沈んでいたことに本人は気付いていない。 「あの、さ。もし……いや…」 近い将来、きっと――。 言いかけては口を閉ざす。 それを言葉にすることは、自分が脆い人間だと認めるようで、恐くなった。 『?』 「…ううん。何でもない、忘れて」 俯いて沈黙を続けるに、不審に思った柳が問いかけるが彼女はその場で軽く首を振りながら空を仰ぐ。しかし次に聞こえてきたのは、少し穏やかな柳の声音。 『――安心しろ』 「え…?」 『喩えお前が何処にいても、テニスを通じている限り俺達が仲間である事に変わりはない。だが、関東大会で当たるとなれば敵同士。その時が来てもお前はお前の力を出し切ればそれでいい』 まるで、言おうとしたことが判ったように告げる柳に、は瞬きを忘れて呆然する。 それは確かにが求めていた答えで、胸内にあった霧を一気に消し去ってくれた。 「………嫌になるなーホント…」 ――こんなコトで、泣きそうになるなんて。 独り言のように呟いて、は前髪をクシャと左手に絡ませる。 柳は、いつもそうだ。素っ気なくて無表情で軽薄なのに、自分のことを支えて助けてくれる。 いくら感謝してもし足りないくらい、にとって彼は大切な人だった。勿論、真田達も。 『どうした?』 の呟きが小さく、聞き取れなかった柳が尋ねるのに答える為、は少し邪魔な髪を降り払って明るい声を出す。 その表情も、どこか嬉しそうだった。 「何でもないわ。じゃあ私、部活があるからもう切るね。近い内にまた連絡するわ」 『あぁ、気を付けてな』 「うん。……ありがとう、蓮二」 通話はどちらともなく切られ、は再び空を仰ぎながら背伸びをする。 広がる空は、まるで今の彼女の心境を写すかのように、清々しい蒼穹。 そんな中、はハタ、と手の中の携帯電話を見て思い出す。 しまった。アレ、真田の携帯と繋がってたんだっけ…。 柳を最後で切ってしまったので、真田が怒っているかもしれないが、後でメールをしておけばいいだろうと思い。 は携帯をポケットにしまって遅れている部活へ行く為に、校舎に振り返りコートへと向かう。 その足取りは軽く、表情も少し、緩んでいた。 †END† 初出 04/06/07 編集 07/09/17 |