――4.


 が青学テニス部に入部して、二週間が過ぎようとしていた頃。

 それはやって来た。










 男子部の練習が終わり、不二が菊丸と共に部室へ向かっていると。
 コート傍の水飲み場にいたが、見知らぬ女子二人と話しているのに気付いた。
「…どしたの?不二」
 思わず立ち止まっていると、気付いた菊丸も止まって振り返る。
「アレ、じゃん。おー…」
 彼女を見つけて声をかけようとした菊丸を、不二は無言のまま片腕で止める。
 不審そうな菊丸は気にせず達を眺めていると、短い会話の後に歩き出す女子二人に、が続いて歩き出す。
 その表情は、遠目だったが、煩わしそうな横顔だった。
「……英二。他の皆を呼んで来てくれる?」
 そこで漸く状況を判断したのだろう。不二に従って、歩き出しながら尋ねる。
「皆って?」
「残ってるメンバーで良いよ。多分、三年だけだろうし」
「判った」
 頷いて走り出す彼を見送って、不二は向き直った。

 案外、早かったね…。

 不二は僅かに微笑みながら、ゆっくりと歩き出した。




















 声をかけられたのは、練習を終えて水呑み場で顔を洗っている時だった。
 明らかに好意的でない声音に振り返ると、そこには見知らぬ女子が二人いた。恐らくは同学年だろう。
 そして連れて来られたのは、人目のつかない校舎の裏側――中庭の方だった。
 案外早かった、かな?とは他人事のように思う。
 呼び出された理由なら大体想像がつく。どうせ下らない用件だ。出来れば付き合いたくなかったが、こういう問題は後回しにしても仕方ないとまた息を吐く。
 それにしても、文句付ける勇気がある割に人の目が気になるとは何ともおかしな話だ、とは呆れながら考えていた。
 向こうが切り出すのを待っていると、始めに話しかけてきた長髪の女子が、振り返り様に言う。
「――アンタ、どういうつもりなの?」
 既に苛立っているような彼女に、は内心で倦みながら笑みを浮かべた。
「何が、かな?」
「とぼけないでよ。女子のアンタが何で男子部の練習に参加しているのかって訊いてるのっ」
 は正しい対応をしたつもりだったが、もう一人のショートヘアの女子が捲し立てる。
 予想通りの状況に溜め息も出ない。つまり、彼女達はいきなり転校してきたが男子部で練習していることが許せないのだろう。……正確には、レギャラー陣と仲良くしていることか。
「それは男子部顧問の竜崎先生が提案したことで、私は従って練習に参加してるだけだよ。それに文句を言われる憶えはないし、私と貴女達は関係ないよね?」
 不快を表に出さないまま、が平静に告げると彼女達は言葉を詰まらせた。
「か…関係なくないわよ!どうせ、アンタだってその顧問に取り入ってレギャラー達に近付こうとしたんでしょっ?」

 そんな訳無いじゃない。

 半ば必死になって言う女子に、心中では力一杯否定した。呆れを通り越して憐れに思う。……勿論、形だけだったが。
 自覚はあっても納得がいかないのだろう、要は気持ちの問題だ。それでもにとっては傍迷惑なのに違いない。彼女は真面目に、練習に参加しているのだから。
 どう反論したものかと考えていた時、唐突に肩を後ろへと引かれた。
 驚いて振り返る前に、その人物は女子達に話しかける。
「――あんまり、僕のパートナーを苛めないでくれないかな?」
「不二…!」
 抱き寄せるようにの肩に手を置いていたのは、クラスメイトで部活仲間の不二周助だった。
 状況を全く把握していないような、或いはワザとやっているような笑顔の彼に、は嫌な予感がした。その証拠に、目の前の彼女達は驚いたような傷付いたような表情で動揺している。
「……何しに来たのかな?不二」
 身体を不二から離しながら、なるべく笑顔で問う。こんなところでボロは出せない。
 それでもが少し迷惑そうに言うと、不二は判り易く心外とばかりに苦笑する。
「それは勿論、君を助けにね」
「あのね…そんなの、火に油を注ぐだけだって君も判ってるでしょ……まさか、他の人まで呼んでないよね?」
「残念。もう手遅れだよ」
 嘘でしょ、とが項垂れているとやって来たのは菊丸・大石・河村・乾の、男子部三年レギャラー達だった。
 何も知らぬまま来たようだが、達を見て状況を把握したのか大石が駆けて来る。
「大丈夫か?
 心配する彼に、は笑顔で無事を知らせるが内心は少し焦っていた。
 こういう場面に第三者、しかも本題に関わっている男子が入ってきては逆効果になる可能性が高い。簡単にいえば、その場で引いてくれても解決にはならないからだ。
「不二君……あの、パートナーって…?」
 が様子を窺う前に、片方の女子が余所行きの声で不二に尋ねる。
 明らかに先程とは違う口調に呆れながらも、は不二へ視線だけで抑止を図る。――余計なことは言わないでと。
 それに気付いていた不二は、にこやかに女子達へ笑顔を向ける。
「ミクスドでの相方、てことだよ。今のところ僕と相性が良いのは彼女くらいだから」
「でも、それはもう決まってたんじゃ…」
「それだけ彼女に実力があるってことだよ。じゃなきゃ、男子部の練習にはついていけないよ。結構、厳しいからね」
 笑顔で言いながら核心をつく不二に、彼女達はますます行き場を失くす。優しそうでいて意外と意地悪なのかと、はぼんやりと思った。これが、悪い方へ向かわなければ良いが。
 けれど、その思考を遮ったのは高い女の子の声だった。
「――なーに、やってんのかな?」
 その場にいた者達が振り返ると、そこにいたのは男女二人。
 女子の方はも知っている、女子テニス部の部長。そしてもう一人は男子部の部長の手塚だった。珍しい組み合わせに、大石達も驚く。
「…君が呼んだの?英二」
「ううんー。私がね、菊丸君が来た時に、丁度居合わせただけだよー」
 不二の問いに、明るく答えたのは女子部の部長だった。特徴的なポニーテールを揺らしながら達の方へ向かい、話しかけたのは文句をつけてきた女子二人。
「どうしてこんなコトしてるのかな?言っちゃ悪いけど、貴女達は部員じゃないでしょう?」
 にこやかなに笑う彼女に、短髪の少女が負けずに返す。
「でもっ納得出来る訳ないじゃない。女子部の子らだって言ってる!何でこんな子に…」
 それを聞いたは、『確かにね』とまた他人事のように納得する。
 彼女達ではなく女子部員の立場で考えれば当然の話だ。元々、決まっていたミスクド候補を横から奪ったのだ。遅からず、こういう状況にはなっていただろう。
 そして女子部の部長もそれが判っていたのだろう。その意見を汲むように考え込み、改めて問う。
「じゃあ、こういうのはどう?私とサンとで試合をして、その結果で彼女を見極めるっていうのは?」
 楽しそうに告げた提案に誰もが驚いた。その中で、は妙な既視感を憶える。何処にいても、人の考えていることは同じらしい。
 とはいえ、彼女達もそれが判り易いと判断したのだろう。二人で顔を合わせ後、向き直る。
「いいわ。それでもし、勝ったら認める。でも貴女が負けたらテニス部を辞めて貰うわ」
 長髪を揺らしてへ言った台詞に、動揺したのは周囲だった。
「ちょっと待て、それは幾らなんでも…」
「――良いよ」
 庇うように前へ出た大石に、遮ったのは本人だった。ゆっくりと歩き出しながら、その表情は笑顔で声音は平静だった。
「それで満足するなら、受けるよ。良いんだね?部長さん」
「えぇ。まだ女子部の子らも残ってるから、皆も集めて試合をしましょう」
「判ったよ」
 ついでに女子部員達にも観戦させて、認めさせる気なのだろう。にとっては手間が省けて有り難い。何より、女子部部長が自分に対して好意的だったこともだ。
 恐らく彼女は知っているのだろう、の実力を。それを知っている上で勝負を申し込むなんて余程の策士か、遊び人だ。
 互いの了承を得て場所移動を始める彼女達を止めたのは、意外にも今まで黙っていた手塚だった。の前に遮るように出て、普段通りの表情で言う。 
「……その条件じゃ、に何のメリットも無い」
 気を遣ってくれたのか、勝負を公平に帰す為なのか。彼の言葉に一番驚いたのはだった。 
 それに彼女は伏せるように少し微笑って、振り向く。
「じゃあ、私が勝ったら部長さんに一つ。私の願いを聞いて貰うってのでどうかな?」
 今度はがにこやかに笑って提案する条件に、誰もが驚く。訊いてきたのは不二。
「…そんなので良いのかい?」
「うん」
 向こうが提示した条件と、全くつり合わなかったがそれでも彼女は笑っていた。それは負けない自信があると誰もが思っていたのだろう。男子部員達に心配はなかったが、引っ掛かるものがあった。
 それでも流れは変わらず、と女子部部長の試合は行われることになった。
 コートへ向かう中、は隣りを歩いていた不二にだけ聞こえるような声音で尋ねる。
「……ところで、あの部長さんって強いの?」
「……強くて、上手いよ。部長を務めている位だからね」
「ふーん…そっか」
 答えた不二が横目に窺うと、彼女はとても楽しそうに笑っていた。