――2. 転入生の が、男子テニス部の練習に参加することになったという噂は。 翌日の内で学園中に広まっていた。 事実、本当のことだから皆が騒ぎ立てるのは無理もない。 そんな中、興味本意で『どんな心境なんだ?』と訊いた乾に、は。 『…あんまり、目立ちたくないんだけどね』 と、無邪気に微笑った。 授業の間の休み時間。 三年生の教室が集まる階の廊下で、乾は手塚や大石と共に部活練習の打ち合わせをしていた。 といっても廊下での立ち話だ、然して深い話が出来る訳でもない。今後の部活動の傾向と雑談が主だ。 立場や外見上、否応なしに目立つ三人だがこの面子のお陰なのか、話しかけてくる者はいない。 有り難いと言えば、そうだが…と乾は相変わらずノートの上でペンを走らせながら、頭の片隅で思った。 だが、それを覆す者が一人――― 「――あ、手塚に乾に大石だーっ」 廊下の反対側。丁度、階段から上がってきたらしいと菊丸が、三人に気付いて大きく手を振る。それに大石は軽く手を挙げて、乾は視線だけで応えた。 しかし、背を向けた手塚だけは無反応だった。振り返りさえしない。 それに気付いていないとでも思ったのだろうか、はめげずに手塚を呼んだ。 「オーイ手塚ぁ――っ?手塚ってばてーづーかー!聞こえてる?手塚―― !?」 尚も廊下中に響く声で呼び続けるに、折れたのは手塚の方で。 僅かに溜め息を吐いて、怒気を纏うようにの許へと歩いて行った。 「……そんなに大声で呼ばなくとも聞こえている」 「やっ手塚」 「…で、何の用だ?」 目前に立つ手塚に、は敬礼めいた仕草で挨拶をする。けれど問われた言葉に一瞬動きを止めて。 「 え?呼んだだけ。」 の返答に、今度は彼女以外の者達が固まった。 そして当の手塚は更に怒気を孕んで、に背を向けて立ち去ろうとする、のを慌てて彼女は腕を掴んで引き止めた。 「わーっゴメンって手塚!だって何度呼んでも返事してくれないからー」 「そうだぞー手塚ー。が呼んでんのに無視なんか失礼じゃーん」 「だからって、用も無いのに何度も呼ぶ奴があるか」 「そこは意地よ」 離れた所で話している達を乾と大石は何となく眺めていた。というより、を見ていたに近いが。 「……手塚を、あんな風に動かせるのはぐらいじゃないか?」 苦笑気味に呟く大石に、乾は内心で頷いた。 彼女が転入してきてから五日と経つが、という人物は変わっていた。 きっと本人に自覚はないだろう。廊下で大声で名を叫んで、手塚から動かさせる女子などそういない。況してや、手塚に話しかけることなど、彼のファンだという女子でさえ滅多に出来ないのだから。 男子部に参加する器には、適しているという事か……。 顧問である竜崎先生がそこまで見抜いていたかは判らないが、そこら辺の女子とは違うというのは確からしい。そして―― 再びに目を向けると、彼女達に近付いていく女子生徒が二人いた。 けれど話しかけるという訳でなく、三人の横を通り過ぎようとした時。片方の女子がわざとらしく、に肩をぶつけて行ったのだ。 結構強く当たったのか、は微かに顔を歪めていたのだが、ぶつかって来た方の女子は隣りにいた女子と素知らぬ顔をして去って行った。 「どうしたの?」 「………ううん。何でもない」 黙るに気付いて、菊丸が声をかけていたが彼女は笑顔で首を振った。まるで何も無かったように、無邪気に。 「……強いな」 「え…?」 その一部始終を見ていた乾の呟きに、大石は不思議そうな顔をした。 「――オーイっ」 そろそろ授業開始時間が近付いた頃、手塚達と話していたが彼らへと呼びかけて手を振る。 「皆でお昼一緒に食べようってコトになってさ、二人も来ない?」 ニッコリと笑って訊いてくるに、乾と大石は一度顔を見合わせて。 「「手塚も?」」 「バッチリ了承済み!」 ピースサインを作る彼女の横で、手塚がウンザリと肩を落としているのを見て。 「…………強いな」 「あぁ…」 呟いた乾に、大石は今度こそ頷いた。 昼休みに入って、間もなくした頃。 越前のクラスである1‐2の教室に、明るい声が響き渡った。 「――えっちぜーん!」 廊下の窓辺から身を乗り出して呼ぶに、席に着いていた越前の動きが止まる。 「……何でココにいるんスか」 半ば脱力気味に問う越前に、不二や菊丸達と一緒にきたらしい彼女は、相も変わらず楽しそうに笑う。 「テニス部の皆と屋上でお昼食べようってコトになってさ。越前も来ない?」 「遠慮するっス」 の提案に、自分の弁当を机に出しながら越前はあっさりと断る。 「えー何で?一緒に食べるの楽しいよー?」 「俺は静かに弁当食べたいんです」 「教室も充分騒がしいじゃん」 「馴れ合うの、好きじゃないんス」 目を合わさずの返答に、は窓際で拗ねるようにムー…とむくれていた。 少し冷たかったか?と越前は戸惑っていたのだが、彼女はそれで諦めるような者ではなかった。 「……不二、越前のお弁当確保。」 「了解」 「え?」 抑揚なく告げた後に、いつの間に教室へ入ってきたのか。不二が隣りで越前の弁当を持っていた。 「菊丸、越前を確保」 「アイアイサー!」 「わあっ!?」 続いて今度は後ろから菊丸に持ち上げられて、強引に教室から連れ出される。そして抵抗も虚しく。 「よーし。屋上へレッツゴー!」 「おー!」 越前は、達に屋上へと強制連行されてしまうのだった。 抵抗を諦め、連れてこられた屋上で。 越前は広がる光景に、僅かに呆然とした。 「本当に、レギュラー全員じゃないっスか…」 「うん。皆に声かけたから」 屋上の中央に陣取っているのは、越前の部活の先輩であるレギュラーの面々。 弁当とは別に大量のパンを広げた桃城に、弁当らしいお重箱を前に手を合わせる海堂。いないだろうと思っていた手塚部長まで、輪の中に加わっている。 「越前はココ。私の横だよー」 招かれるままの隣りに坐りながら、実は凄い統率力があるんじゃないかと、越前は内心で思った。 全員が揃った処でそれぞれが持ってきた昼食を摂りながら談笑する。 けれど、男子九人に対して女子一人という光景は、端から見れば違和感がある筈だ。本人達にそれがないのは、が余りに溶け込んでいたからだろう。 ふと、越前が隣りのに目をやると、購買部で買ったらしいパンを口に運んでいる処だった。持ち寄っているのに弁当が多い中、彼女だけはパン二つにパックジュースだけだ。 「……そんなんで足りるんスか?先輩」 唯でさえ細いのに、というのは伏せて思わず訊くと、はパンを食べる口をあんぐりと開けたまま目を丸くする。 「え?……あぁ、私・元々小食だからそんなに入らないんだ」 「そういえば、いつも購買部で買ってるよね。お弁当とはか、持って来ないの?」 「いや、作ってきてもイイけど時間かけちゃいそうだし…」 越前とは反対側のの隣りに坐る不二が不思議そうに訊くと、彼女は空を仰ぐように答えた。それに続いて疑問を抱いたのは菊丸で。 「母親とかは作ってくれにゃいの?」 普通は躊躇われる質問に、は優しい笑顔を見せた。 「私の両親、共働きみたいなモノだから。家にも滅多にいないし、家事は自分でやってるの」 「へぇ……なんだか、大変そうだな…」 「そう、でもないかな。もう慣れちゃってるから」 当然のように話す彼女にとって、それは本当に当たり前なのだろう。感心するような大石や河村に、は照れたように微笑っていた。 そんなの横顔を見ながら、越前は内心で少し驚いていた。いつもふざけているように思えて、本当はしっかりしているのだと。 「でもいつもパンじゃ、健康に悪いよ」 「や、別にいつもじゃないんだけど……」 「そースよ。俺みたく、弁当にパン2・3個食べるくらいしないと部活までもたないっスよ」 「いや、君とは違うよ桃城」 君はムダに動力を使い過ぎなのよ、と冷静にツっ込むに桃城は酷く傷付いたように項垂れた。後には愉しそうに笑うメンバー達。 「さん。良かったら、母さんに頼んでさんの分も作って貰おうか?」 「えっ?いいよ、そんなの申し訳ないし!私だって選手だよ?健康管理くらいちゃんと気をつけるわ」 突然の提案に慌てるは、まだ納得していないらしい不二に向き直って礼を言う。 「有難う不二。――それより、訊きたいんだけど」 「何かな?」 そのニッコリと微笑む様には、どこか怒気を纏いながらは向かいの乾を指差して。 「乾はさっきからご飯も食べずに何をノートに書いているのかな?」 本人ではなく、わざわざ不二へと訊いた質問に全員の視線が乾へ集まり、全員が納得していた。以外が。 乾は先程からずっと、何かノートに記入し続けていた。 「あぁアレはね、一種の病気みたいなモノだから。気にしなくて良いよ」 「そ…そういうモンなの……?」 「――失礼だな。これはれっきとしたデータ採取だ。何れは、役に立つ時がくる」 「今までの会話がどんな役に…?」 「どれどれ…」 脱力するに、真面目に答える乾の横で菊丸は不意にそのノートを覗き込む。 「えーっと……凄ぇや。の生年月日に血液型にー…身長、たい…じゅう……?」 「ちょっと待てぇ――ッ!!!」 戸惑うように読み上げる菊丸に、は思いっきり立ち上がって叫んだ。まぁ当然の反応だ。明らかにプライバシーの侵害である。 「何でそんなデータまで取ってあるのっ!? 君は好きな子を徹底的に調べ上げて外堀から埋めていくストーカーですかっ?」 「これ位のデータなら造作も無い。何が役に立つか判らないと言う事だ。因みに、俺はストーカーじゃない」 「そういうコトじゃなくてぇー!」 「へぇ、乾。他にはどんなさんのデータがあるの?」 「ふむ…そうだな」 「不二まで乗らないでっ」 乾と不二が息を合わせるのに、は心底迷惑そうに叫んでいた。ムリもないが、菊丸も乗り気らしかった。それを他のメンバーは温かく、否、憐れむように見守っている。 そんな達の横で、我関せずと黙々食事を摂っていた越前は。 騒がしい人が増えたな、と内心で少し後悔しながら、楽しくも感じていた。 |