――1. 朝の登校時刻。 生徒の姿で溢れている、昇降口へ続く道で竜崎桜乃は足早に急いでいた。 日直だったことを忘れてしまっていた桜乃は、急いで教室へ向かう。だがしっかりと前方を見ていなかった為、人とブツかってしまった。 「きゃ…っ!」 軽く吹っとんでしまい、謝ろうと顔を上げると大柄な男子が三人。上級生だ。 「……ってーな。何ブツかってきてんだよ、テメ」 「ご…ゴメンなさいっ!」 脅えて反射的に謝罪するが、男子達は納得していない。不穏に意地悪く笑む者もいる。 「謝って済むモンじゃねぇんだよ。あー痛」 「オイ、骨折れてんじゃねぇか?」 「そ…そんな……」 有り得ないと判っていても脅すような空気に、後の仕打ちが予想出来て桜乃は泣きそうだった。 その時、背後から声がかかる。 「――いけないなぁ、か弱い女の子をイジメたりしちゃ」 聴こえたのは、少し高めの女の子の声だった。 振り返るとそこには、長い黒髪が印象的な一人の女子生徒。 「なんだぁ?テメー」 「ホラ、脅えてちゃってるよ?女の子には優しくしなきゃ」 表情は和ませてしまう程の笑顔なのだが、そんなことで治まる連中ではないらしく。一人の男子が少女へと近付く。 「テメ、ケンカ売ってんのか?」 「そんな訳ないよー。人の忠告を素直に聞けないなんて……ガキ以下?」 「なっ――」 含み笑いで告げる少女に、気の短い男子生徒が殴りかかる勢いで詰め寄ろうとした時。 「 ハイ、そこまで。」 間を遮るように現れた少年に、動きを止めた。 「…不二」 「まったく、朝から元気だね。皆」 穏やかな笑みに呆れを交じらせて、少女達の前に現れたのは不二周助。 泰然とした動きで、彼女達を守るように男子達の前に立ち塞いで笑みを浮かべ。 「女の子相手にみっともないよ」 「な……ソイツの方から、ブツかってきたんだぞ」 「だからって喧嘩越しは良くないよ。その辺にしておけば?」 不二の登場に、少し男子達が怯むも引く気はないらしい。 けれど、不二の隙のない笑みと纏う冷ややかさに二の句を紡ぐことが出来ず。真っ直ぐな双眸に睨まれて。 「出来ないって言うなら、僕が相手になるけど?」 「……チッ」 居た堪れなくなったらしい男子達はその場を去っていた。 それを見送って、一息吐くと後ろにいた少女が笑顔で声をかける。 「有難う不二」 「これ位どうってコトないよ。さんに、竜崎さんも大丈夫だった?」 「あっハイ!」 急に話しかけられて、呆然と眺めていた桜乃は我に返って、慌てて頭を下げる。 「あの…ありがとうございましたっ不二先輩、それと……」 言いかけて、上目遣いに見る桜乃に気付いたと呼ばれた少女は、無邪気に笑う。 「あ、私?―― 」 「先輩、本当に助けていただいてありがとうございますっ」 「イイよー。じゃあ、授業に遅れないようにね」 深く頭を下げる桜乃に、片手を振っては不二と一緒に昇降口へと向かった。 「……知り合いだったの?」 「女子部の子だよ、ホラ。竜崎先生の孫らしいよ」 「へぇー…」 話しながら並んで歩く二人の後ろ姿に、桜乃は暫らく見惚れていた。 よく、似合っていたからだ。その二人が。 カップルだと言われても遜色ない。 桜乃はそこで初めて、が見慣れない人だなと思ったのだった。 不二と共に、自分のクラスの下駄箱まで来て。 が上靴に履き替えていると、隣りの不二が微かに笑ったような気がした。 「……何?」 不思議そうに訊くと、不二は笑いを深める。 「いや、さんって結構危なっかしいなと思って」 「……そう?」 不二が下駄箱を閉じて廊下へと向かうのに、早足で追いつきながら更に首を傾げた。 「うん。あんな風に勇敢に注意できる女の子なんて、そうはいないよ」 愉快そうに笑う彼を見上げながら、はんー…と天井を仰ぐ。 確かに、珍しいかもねと思いながら。 「基本的にあーいう奴らって許せないんだよー。それに困ってたら、何とかしてあげたくなっちゃうじゃない」 「うん。それは良い事だよ。でもこれからは気をつけてね」 「判ってるって」 心配してくれる不二に答えて、は微笑んだ。とても無邪気な笑顔だ。 それを見て本当に判ったのか不安にもなったが、不二は話題を変える。 「そういえば、今日からだよね。部活」 三年の教室までの階段を上がりながら問うと、今度は嬉しそうには笑って。 「うん。竜崎先生に手配して貰ってるけど、放課後に挨拶へ行くから今日は女子部の方だけになるかな?」 「そっか。楽しみだね」 楽しそうに話すに、不二も満足げに微笑んだ。 そして階段を上がり終えて廊下を二人で進んでいると、前方の――3‐2の教室前で、菊丸と大石の姿を見つけた。 「――あ、おっはよー!」 二人に気付いて、元気に手を振ってくる菊丸にも笑顔で手を振る。 「おはよー菊丸・大石」 「不二に、おはよう。今日は少し遅いな」 「ちょっと、あってね」 菊丸達の傍まできた二人に、大石はいつものように爽やかだ。 挨拶を交わす横で、は朝から元気な菊丸の話に笑顔で付き合っている。 「そういえば、菊丸と大石ってダブルス組んでるんだっけ?やっぱ仲良いんだ?」 ふと思った疑問に、首を傾げて訊くの真似をして菊丸も、彼女の両手を握って首を傾けて頷く。 「まぁ仲は良い方だねー。大石とはずっとコンビ組んでんだ。名付けて、ゴールデンペア!」 「別に俺たちが名付けた訳じゃないだろ…」 ボケとツッコミの漫才を見ているような二人の様に、は可笑しそうに笑いながらへぇーと感嘆を漏らす。 「じゃあ、二人はダブルスで。不二はシングルスだけ?」 「確かに不二はシングルスが合ってるけど、たまにタカさんとダブルスになったりするな」 「そうだね。タカさんとは組み易いし」 「ほーなるほど」 興味津々に聞いているの瞳はどこか輝いているようで、不二はこっそりと苦笑した。相変わらず、菊丸は彼女と手を繋いだままだが。 「そういうさんは?」 「私は専らシングルスだね。あ、でも向こうにいた時はもうミクスドやってたから、れ…」 言いかけて、の言葉を遮ったのは予鈴のチャイムだった。 それを聞いて慌てた菊丸がの腕を引いて、走り始める。 「ヤバっ遅刻になっちゃうよ。!早く教室行こっ」 「わあっ!」 教室へと手を繋いで駆けて行く二人を、半ば呆然と不二と大石は見送ってしまった。 不二は、何か不穏な空気を纏って。それを悟った大石は目線を合わせないまま。 「………不二。気持ちは判るが、お前も教室へ行った方がいいぞ。英二には控えめにな」 「…出来たら、今の内から君が指導してくれれば有り難いんだけどね」 にっこりとした笑顔を向けられて、大石は引き攣り笑いしか出来なかった。 放課後に、竜崎先生と共には女子テニス部の練習コートへと向かった。 は楽しみで、内心は意気揚々と胸を弾ませていたのだが。 そこで待っていたのは、期待というより不穏の波だった。 部室前に集められ、女子部員達の注目を浴びる中で驚きの声が一つ上がる。 「――あっ…!」 が声のした方へ振り向くと、最後列に今朝、昇降口前で会った竜崎という女の子が自分を見て驚いていた。 気付いたはその子へと柔らかく微笑って、手を振る。それに恥ずかしそうに照れながら、桜乃は小さく会釈した。 「今日から入部する事になった、 さんじゃ」 二人のやり取りを見て、竜崎先生は少し怪訝な表情をしていたが然して気に留めず、部員達へと呼びかけた。 「宜しくね」 続けて笑顔で挨拶すると、小さなざわめきが生まれる。驚きというより不思議、そうな。 「知ってる者もおるじゃろうが、彼女は立海から転校してきた実力者じゃ。よって、練習は男子部の方に参加して貰う。……これは本人と女子部顧問と承諾済みじゃ」 ―――ざわっ 先程よりも大きなざわめきが、音を成す。 やっぱりね…。 予想通りの反応に、内心で苦笑しては微かに空を仰いだ。通常は有り得ない例外だ。驚くのは無理もない。 そして不満に思う者も当然いるだろう。男子部員達の影響力を、が判らない訳がない。それは覚悟していたことだ。だが―― 「それから、をミクスドの正レギュラーにする」 「……え?」 続けられた竜崎先生の言葉に、その場にいた全員が驚愕した。無論、もだ。そんな話は聞いていない。 尚もざわめきが止まない中、は隣りに立つ竜崎先生に視線だけ向け。 「……私、初耳なんですけど」 「何じゃ不満なのか?」 どこか楽しげに問う教師に、何かを悟ったのかは「いえ…」と一言呟いて、そのまま視線を前に戻した。 それを承諾の意だと判断したらしい竜崎先生は騒ぐ部員達を一喝するが、ある女子が食ってかかるように不満の声を上げた。 「――ちょっと待って下さい。じゃあ既に決まっていたメンバーはどうなるんですかっ?」 それは当然の疑問だった。 部員達を代弁した質問に、予想していたように竜崎先生は平然と答える。 「無論、一人抜ける事になる」 「そんな…」 「――言っておくが、コレは男子部との実力を均等する為の最終手段じゃ。決定するかは、これからの練習と調整で判断する。以上」 声音を強めて言い放った後、竜崎先生は集合を解いた。 その後ろでは再び、空を仰いで。 ――これはまた、ややこしいことになりそうね…。 と、他人事のように一人ゴチた。 |