色んなことがあった、転校初日。

 思いも寄らぬ展開に、私は嬉しさと楽しさに。

 笑顔が止まらなかった。










 something extra










「――手続きは明日で、今日は見学していくかい?」
 男子部レギュラー達が練習を再開して。
 隣りに立っていた、顧問の竜崎先生が私に話しかけてきた。
「えぇ、是非」
 それに笑顔で答える。自分でいうのもなんだけど所謂、隙のない笑顔。
 多分、人に比べて目上の大人への対応に慣れているんだろうな私は。
 家庭の事情でそういうことには慣れきっていた。だから、割と教師からの受けは良いんだよね。まぁ形通りの堅物教師達には、だと思うけど。
「ならゆっくりしてくといいよ。わしは用があるから、後は頼んだぞ。手塚」
「――はい」
 言って竜崎先生は、コートを出て行った。それを見届けて振り向くと隣りには手塚。
 なぜか、二人で並ぶような構図になっていた。横の手塚部長はというと、険しい表情で練習を続ける部員達を眺めてる。
 改めて手塚を眺めてみると、やっぱり背が高い。
 こうして隣りに立っていても見上げなきゃ、表情を見るコトが出来ないんだよねー。
 きっと見られているのは気付いてるんだろう。その顔は本当に険しかったけど、手塚にとっては無表情に近いのかもしれない。

 ……別に怒ってる訳じゃないんだよね。

 それはなんとなく、空気で判った。
 普通の女の子じゃ多分、怖がってしまうかもしれないけど、なんというか私はこういう人には慣れちゃっていた。
 中学生には有り得ないくらい、真面目というか固いというか。
 気付くと露骨にジーッと見つめていた私に、手塚は無反応。面白くないから声を掛けてみた。
「手塚って背、高いね。何センチ?」
「…………」
「今のレギュラー達の調子って、どうなのかな?」
「…………」
「…君は練習に参加しないの?いつもこうして眺めてるの?」
「…………」
 思い付いたことを質問してみるけど、手塚は相も変わらずコートへ視線を向けたまま。

 あれー?…まさか聞こえてない訳じゃないよね。

「……好きな、プロ選手とかは?」
「…………」

 完全無視って……。
 コミュニケーションもとれないんですか、君は。

「…………足のサイズってなん…」
「――少し黙っててくれないか」
 言いかけた私の言葉は、手塚に声音を強めて遮られた。あ、ちょっと眉間の皺が増えてる。
 苦笑しながら手塚に笑いかけた。
「あはは。あんまり無視するもんだから、つい。…私、邪魔かな?」
 少し、声を弱めて訊いた。余り邪魔になるようなことはしたくないし。

 ……だからって、存在自体を無視されるのは困りますが。
 言葉のキャッチボールくらいしようよ。

 その様子が、少し淋しそうにでも思えたのか。手塚は黙考するように間を置いて少しだけ優しく言ってくれた。
「……黙っているなら、居ても構わない」
 私はそんな手塚に、驚いて。笑ってしまった。
 彼は"何が可笑しいんだ?"とでも言いたげな顔だったけど、何も言わなかった。
 笑ってしまったのは、嬉しかったから。
 こんな風に堅物で怖そうな手塚でも、こうして人を思いやってくれてることが可笑しくて嬉しかった。………ホント、判り難いけどね。
 笑い終えても、笑顔を崩さない私に手塚は既に呆れて視線を前へと戻していた。
 その厳しい表情は、正に彼ら青学テニス部を取り仕切る部長の顔だ。それを見つめてから、自分もゆっくりとコートへと向けて。
「……ねぇ、本当に良かったの?」
 その問いに、手塚は視線だけを向けてきた。
「私が、男子部に参加するコトになって」
「…今更、後悔でもしているのか?」
 呟くような言葉に、手塚は淡々とそう返してきた。
「うーん…私にはとっても喜ばしいコトなんだけど。皆はどうなんだろうって、周りの反応がね」
 ま、それは覚悟の上で承諾したんだけど、と内心で付け加えて。
「………不安なら、自分の力で周りを納得させれば良いだろう」
「アレ?私って期待されてる?」
「…誰にだ?」
「キ・ミ・に。いやー私ってモテるー」
「…………」

 あ、スミマセン。調子に乗り過ぎました。
 だからそんな無言で不機嫌オーラ出さないで。

 そろそろ本気で怒らせかねない様子に、私はコホンと咳一つで気を取り直し。
「安心して。君をガッカリさせるようなことはしないよ。寧ろ、楽しませてあげる」
 微笑って宣言すると、今度は手塚が驚いたようだった。とはいえ、目を少し見開いたくらいだけど。
 少し向き合う形で、手塚と視線を合わせていたらなんか横から凄まじい足音が聴こえて来た。
「――なーに、2人で見つめ合っちゃってんのーッ!!!」
 こっちに向かって走りながら叫ぶ菊丸に振り向こうとしたけど、彼は凄い勢いで前を通り過ぎて行った。――手塚を突き飛ばして。

 あああっなんてコトしてんの菊ちゃん!

 なんだか正面衝突して倒れた後みたいになっているにも拘わらず、菊丸が必死に私に向かって話しかけてくる。
「変なコトされなかったかーっ?」

 いや、それよりも手塚が横で蹲って痛みに耐えてるんだけど、その心配は?

「もうっ手塚もズルイぞ。俺らを差し置いてと2人っきりでおしゃべりなんてさー」

 え、そっち?

「ダメだよ英二。いきなり人を突き飛ばしちゃ」

 そうそう――あ、不二も来たんだ。

 声に振り向くと菊丸を追ってきたのか、不二がゆっくりとこちらに向かって来ていた。
「だってさー」
「というか、そんな事したら苦しむのは英二だよ」
「え?」
 不満そうにする彼に、いつもの穏やかな笑顔を絶やさずに――というか深めて言う不二。
 その意味はすぐに判った。
「…………菊丸…」
「にゃっ手塚…あははー」
 のっそりと、埃まみれで背後に立ち上がったのは手塚。
 うわー、普段以上の低音ボイスが怖いです。
「グラウンド10周して来い」
「えっ!? いや…まだ練習残ってるし…」
「 ――50周。」
「…………はい」
 身を乗り出して言い切る手塚に、そのオーラに負けたのか菊丸は素直に従って急いでグラウンドへ向かい走っていった。
 菊丸の後ろ姿を見送りながら、手塚は溜め息をついて不二はなぜか楽しそうに笑っていた。
 その様子に私は吹き出すように笑ってしまった。
「いつもあんな調子なの?菊丸って」
「まぁ、そんな感じかな?」
「アイツは無鉄砲過ぎるんだ…」
「明るくてイイんじゃない」
 手塚と不二の対称な答えに、私はますます可笑しくなった。
「ホント、楽しそうだなぁココは」
 本当にそう思って、満面の笑顔を浮かべた。それに二人は驚いたようだったけど、別の所で練習をしていた大石が手塚を呼ぶ。
「オーイっ手塚。ちょっと来てくれ」
「あぁ」
 手塚は一言答えて大石の許へと向かった。
 さっきの菊丸の攻撃でケガなかったのかな?とちょっと心配しながら見送っていると、隣りの不二が声をかけてきた。
「どう?ウチの青学は」
 脈絡のない質問に私は振り向いて動きを止めた。
 私を試しているか、それとも純粋に訊いてきているのか。迷うところではあったけど彼の人柄を考えて両方だろうなと思った。
 言い方は悪いけど、常人なら騙されてしまいそうな不二の笑顔も私には効かない。
 あの、使い慣れた笑顔というものをよく知っているから。
「んー…まだはっきりとは言えないよ。練習を見てるだけじゃね」
「それもそうだね」
 その返答に不満もなく満足もなく不二は笑顔で言った。うーん、こういう人は何を考えているか判らないから困るなー。
 少し空を仰いで、横目に笑顔を絶やさない不二を見る。

 不二はとっても綺麗な、人だなと思う。

 男の子に綺麗ってヘンかもしれないけど、それが一番合っているんだ。外見要素で言えば。
 うん、これは絶対女子が放っておく訳がないんだろうな。
 私でもつい見惚れちゃうもん。
「あー!不二先輩、こんなトコでサボってるーっ」
 そんな時、唐突に上がったのは不満そうな声。
 今度はコートで練習をしていた桃城が、私達に駆け寄ってきて不二に抗議してる。
「ズルイっすよ先輩だけ!俺も混ぜてくだ…」
 けれど言いかけたところで、どこからか飛んできたボールが桃城の頭に命中する。振り返る先のコートの中には海堂。
 へぇ……あんな遠い所から打ってきたんだ。やるじゃん。
「お前こそサボってんじゃねぇよ…」
「ってー……何すんだよマムシ!頭が悪くなったらどうしてくれんだ!?」
「そんな心配はいらねぇだろ。元々悪いんだから」
「何をォ……っ?」
「ヤメなって2人とも!手塚に怒られるよっ」
 なんだか桃城と海堂の二人は、寄ると触るとケンカという間柄のようで、その二人をタカさんが宥めてそれをまた楽しそうに不二が笑顔で眺めてる。
 そんな状況がもう、彼らにとっては"日常"なのだろうと思うとまた笑えてきた。
 本当に、ココには一癖も二癖もある人達が揃ってみたい。
 そう思っている私に気付いたのか、隣りの不二が振り向いてきて。
「……まぁ、こんな所だけどこれから楽しくなりそうでしょ?さん」
「うん。凄い楽しみだよ」
 私は、心底嬉しそうに笑って答えた。















 結局、練習終わりまで見学していた私は。
 帰りの校門前で、制服姿で下校している越前を見つけて、後ろから抱き付いた。
「――えーちぜん!」
「ぅわあっ!」
 突然な後ろからの衝撃に、越前は驚いて身を崩しかける。
「ねぇ、一緒に帰らない?」
 そんなことは気にも留めず、私は抱き付いたまま言うけど越前は必死に離れようともがく。
「あ…アンタ…っいきなり、抱き付かないで下さいっスよ!」
「イイじゃない」
「何でっスか!? 離れて下さい…!」
 そう言って顔を微かに赤らめながら、越前が私を押し退けてしまった。
 ケチー。でも可愛いから許す!(単純)
 息を荒くする越前に、私は変わらずニコニコと笑っているものだから。彼は拗ねてしまったようで、乱れた制服を正しながら背を逸らす。
「で、何の用っスか」
「だから一緒に帰ろ?」
「 イヤっス。」

 そんな即答しなくても……。

「イイじゃん、一緒に帰るくらい。越前は帰り道どっち?」
 越前の横に並んで尋ねると、一度黙り込んだ後、越前は右の方角を指差した。
 その指し示す方角に私はニィ…と笑い、その反応に越前は一歩引いた。
「同じ方角じゃーん!良かったねーじゃあ帰ろう!」
 有無を言わさずに、私は越前の腕を引っ張って歩き出す。
 すっかりペースにハマってしまっている彼は、諦め気味に項垂れていた。

 ふふ…甘いね少年。
 今時、女の子がおしとやかなんて有り得ないんだよ多分。アタックあるのみ!

 ズルズルと越前を引き摺るように進んでいると、校舎側から不二の声が聞こえて来た。
「――さん。一緒に帰らない?」
「あーゴメン。今日は越前と帰るんだ」

 私が強制的にだけど。

「ふーん…そうなんだ」
 立ち止まって不二に答えると、なぜか彼は少し値踏みするように私達を眺めてから笑って。
「判ったよ、じゃあまた明日。越前もしっかりさんを見送ってあげるんだよ」
「…はぁ」
 そう言って、互いに校門を出て反対方向へ帰っていく不二を見送った後、私は越前と帰った。
 帰宅途中も越前の性格もあってからだろうけど、然して話で盛り上がる訳ではなく私が質問して越前がボソボソと答えてる程度だった。
 それでも、私には楽しかった。
 やっぱり後輩というのは可愛いモノだね。その上、こんなに生意気だとイジメがいがあるんだよねー。
 暫らく黙って並んで歩いていると、珍しく越前の方から話しかけてきた。
「………ねぇ」
「ん?何?」
「…何で先輩、俺らと一緒にやろうと思ったの?」
 その質問に私は目を丸くした。越前は不思議そうな顔、というより怪訝な表情だ。

 "俺らについてこれるの?"と、そんな顔だ。

 確かに不利なことは多いだろうけど。
 体格も力も違う、男と女なのだから。でも。

 ――だから、やり甲斐があるってモンじゃない。

 私は内心で、笑んで。越前には嬉しそうな楽しそうな笑顔を向けた。
「君達とテニスがしたいと、思ったから」
 それに越前は少し息を飲むような気配を見せて、顔を背けてしまった。
「って、答じゃダメ?」
「………ウソなんスか?」
「ホントだよ。それに」
 回答に不満なのかと思って、言い足しながら私は越前の前に出て振り返る。
「君には、私を超えるって目標が出来るじゃない」

 今朝、自分を打ち負かした私を超えるという目標――

 私は強気に微笑んだ。
 それが夕暮れの街道で、越前に見えたかどうか判らなかったけど。
「…………上等」
 越前も不敵に微笑って答えたから、満足だった。
 そう、この子がどれ程強くなっていくのか。それが見たくて、男子部に参加する事を受けたのも要因の一つだった。
 きっと、越前は強くなる。
 その時に、少しだけ越前とやっと仲良くなれたような気がした。………私が一歩的にだけど。
 そして自宅への分かれ道で、越前と別れて私はゆっくりと帰路を歩きながら空を仰いだ。
 茜色へと差す、夕暮れの空はいつもその表情を変える。
 人も、毎日何が起こるか判らない。
 明日からも新たな学園生活が始まる――そう、きっと刺激的な。

「ホント、楽しみだね…」

 天に向かって、私は満面の笑みを浮かべた。





 †END†





初出 06/07/04
編集 07/08/30